第6話 及川竜也に頼るほかない。
「すずと芦屋を会わせてみたらどうなると思う?」
「学校で? それとも香月んちで?」
「僕の家」
「芦谷さんはわからないけど、涼音ちゃんは絶対反発するね」
「残念ハズレ。正解は両方とも猛反発でした~」
「事後報告だったのか……」
呆れ声を出す竜也。それを見て遠い目の僕。昼休みの始まりにしては、ずいぶんと雰囲気が重い。
現状色々鑑みて、やはり竜也にアドバイスを求めるのが一番だと結論を出した僕は、早速頭を下げていた。人間関係の構築、さらに限定した範囲で言えば女性の取り扱い、これらについて考えたとき、僕の身近に彼以上の教師はいない。
「いやさ、すずの反応に関しては僕だって予想できたんだよ。そりゃこうなるなって感じで。……でも、芦屋に関しては予想外が過ぎたと言うか」
「と言うと?」
「うん、まあ、うん……」
「色々あったんだね。あ、それを受けて昨日の話に繋がったのか」
「察しが良くて助かる」
脚を組んで頬杖をつく。クラスの中はがやがやと騒がしく、僕のテンションとは真逆だ。間近にゴールデンウィークを控えているのだから、活気づくのも当然か。
「香月はどんな思惑で二人を引き合わせたの?」
「軽い出来心」
「犯行理由じゃないんだから」
「もしかしたらその場で意気投合して親友に……みたいな」
「無理だろうね」
「無理だったな」
竜也は僕に向けて人差し指をぴんと立て、言った。
「いいかい香月。男を媒介にして女の子二人を知り合わせるのはかなり危険な行為だよ」
「その感じ、なにかエピソードを持っているな」
「いかにも。一時期かなり積極的に言い寄ってきた女の子がいたんだけど、どうにもその子にはメンヘラの気があってさ。深い付き合いをするのはまずいなと察知して、俺は一つ策を講じたんだ」
「策とは」
「化け物には化け物をぶつけんだよとは良く言ったもので、過去一回一緒にご飯を食べただけでめちゃくちゃ彼女面をキメてきた女の子を召喚した。ダイヤモンドを削るのはダイヤモンドの特権。メンヘラをもってメンヘラを制す作戦だった」
「だった」
「香月には覚えておいて欲しい。女性どうしの殴り合いには男にはない『爪』という武器が用いられることを」
「こわこわこわこわ」
「我こそは俺の彼女だと名乗る友達未満の知り合い二人が繰り広げる死闘。容赦ない顔への攻撃。剥がれるメイクに流れる血。生き地獄という形容があれ以上にふさわしいシーンもなかったように思うね」
「会話のネタとしては破壊力抜群でいいんだけど、参考になるかって言われたら絶対違うな……」
にこにこ笑顔の大団円を想定していた僕に対し、竜也は初めから修羅場覚悟で突貫している。彼のことだからそこに至る前に言葉での説得や懐柔を試みてはいたのだろうが、それでどうにもならないと悟ったがゆえの荒療治だったに違いない。
「僕は別に、厄介払いがしたいわけじゃないからさ」
「それにしても早計だったとは思うよ。事前に俺に相談してくれれば、絶対やめておけよって忠告できたのに」
「結構重めの悔恨の中で今話してる」
「反省できるのはいいことだね。……で、香月はそうなってもなお、二人を友人関係にしてしまいたいわけ?」
「まあ、平べったく言えば」
これはもう無理だと諦めていたら、わざわざ竜也に言ったりしない。やらかし一個として自分の記憶にとどめておくだけでいい。しかしこうして話題にするのだから、僕はみっともなく極小の可能性に縋っているのだ。
「竜也、すずの顔正面から見たことあるか?」
「ないね。まちがいなく。あんなに可愛いんだから、一度くらいは向かい合って話してみたいんだけど」
「君が女子の容姿について触れるの不穏すぎるからやめてくんない?」
「香月が言い出したんじゃないか。心配しなくとも、俺は友達の女だけは取らないよ」
「暗にそれ以外全部守備範囲って言ってるけど」
「香月だって女発言を否定してないぞ」
「その類の茶化しや煽りは二億回くらい食らってるからいちいち反応するのも面倒。……っと、脱線したな」
竜也の色恋沙汰に干渉せず、代わりに彼も僕に干渉しない。そのルールがあっさり壊れた感覚があった。まあ、これまでなんとなくお互い履行していた決め事というだけで、破ってしまえばどうということもない。会話の幅が広まったと肯定的に捉えていこう。
「あいつ、珍しく真っ向から向き合って話したんだよ。それも切れ切れに一言二言じゃなくて、口論と呼べるレベルで」
「同性なのが大きかったのかな?」
「いや、むしろすずは同性の前でこそ縮こまるタイプだ。……だからさ、僕としてはワンチャンあるんじゃないかって夢を見たくなっちゃって」
「あー、なるほどなるほど」
竜也はこくこくと二度頷いてから、あたりをぐるっと見回した。視線を定めたと思ったらその先には芦屋がいて、「なるほど」ともう一回だけ呟いた。
「芦屋さん、敵を作らない天才だと思うんだよね」
「敵?」
「うん、敵。女の子に顕著だけど、同性の僻みって結構強烈じゃん。美人でスタイル良くて勉強できて~ってなったら裏で絶対あることないこと言われるだろ?」
「人の悪口以上に簡単に盛り上がれることもないからな。単に人のできてる奴を媚びてるだのへつらってるだの、側面を良いように切り取って馬鹿にするだけで優位に立てたような気分になるし」
「そうそう。表面上は仲良しに見えても腹の中はそうじゃないなんてザラなんだよ。香月が俺を『ヤリチン女泣かせクソ野郎』と思っていたってこっちからそれを知る術はないし」
「自覚があるようで安心した。ちなみに思ってるから心配しなくていいぞ」
「なんだ良かった」
「良いのか……」
言って怒る相手ではないと信用してはいたが、「なんだ良かった」はさすがに意外。やはり僕とは世界観を異にしている男なのだと再確認した。
「時に香月、芦屋さんの悪い噂を聞いたことは?」
「ないけど。そもそも僕の交友範囲にそれ系の話題で盛り上がれる奴が少ないからなぁ」
「それ系の話題を好んで取り扱う奴と多く付き合ってる俺も、聞いたことない。これ、結構すごいことだよ」
「嫌われてない証左か」
「うん。彼女は特定のグループを作らないで誰とでも平等に接してるからね。そこらへんのバランス感覚が優れてるんだと思う」
「普通そんなことしてたら、それこそ八方美人って文句がつきそうなものだけど」
「つかないからすごいんだよ」
「ああ、理解」
確かに、彼女の話し相手は固定されていない気がする。今一緒に昼食を食べている三人はクラスで目立たないタイプでキラキラした芦屋とは一見相容れなさそうだが、そこは僕が証明した通り、普通に会話を弾ませている。意図的にやっているなら秀才で、無意識でやっているなら天才。どちらにしても、芦屋が有する特異な能力と数えて良い。
「だから余計に意外だな」
「なにが?」
「口論って、両方が乗っからないと始まらないだろ?」
「そうだな」
「突っかかったのが涼音ちゃんだとしても、芦屋さんがそれを受ける姿が思い浮かばないっていうか」
「…………」
悪い、違うんだ竜也。最初に喧嘩を売ったの、芦屋の方なんだ。セッ〇スがどうこう言って、すずを挑発してしまったんだ……。
しかしあの顔を友人と認めた僕にだからこそ見せたと考えたら、やはり気軽に吹聴はできない。そこは隠して話を進めるしかない。
「確かに、香月からしたらイレギュラーも良いところだね。涼音ちゃんがはっきり喋って、芦屋さんが否定的な態度を取るって」
「そう。せめてどっちか片方なら対応できてたと思うんだ」
「しかし事実そうはならなくて。……でも、だからこそ光明のようなものが見えたと」
「ああ。すずが僕を介さずに会話できる相手って、実父実母僕の両親の四人だけだったから」
「それは確かに、現状打破への大きな糸口に見えるなぁ」
「だろ?」
この可能性を手放したくない。喧嘩だろうがなんだろうが、今のすずには狭まってしまった世界を開いてくれる誰かが必要だと思っている。数年その役割を担おうと努力はしてきたが、結局できあがったのはクローズな空間だった。それではたぶん、意味がない。僕ではすずを救えない。
「芦屋は救世主かもしれないんだ」
「でも、どういうわけか香月に好意を見せてきて、そのせいで話がしっちゃかめっちゃかと」
「そういうこと」
そっちの要素が混じった途端、僕は一気に使い物にならなくなる。だからこうして竜也に頼っている次第。すずから学んだ乙女の機微は、他で使い回しの効かない専用カードなのだ。
「僕と竜也じゃ修羅場をくぐった回数が違うからな。せっかく身近に頼れる奴がいるんだし、力借りていこうと思って」
「参考意見程度でよければ」
「それで十分。細部の調整くらいは僕が頑張らないとだし」
「じゃあ、まずは手札を増やそうよ。予想外の行動っていうのは、香月が芦屋さんを完全に理解していないからこそのものだろ? とにもかくにも理解からだ、人間関係は」
「するかぁ、観察」
「気持ち悪がられない程度にね」
「ああ」
言って、早速芦屋の方を向く。視線移動にどんな癖があるか、弁当に詰まった具材に規則性はあるか。そういう目立たないところから探っていこう――としたら。
「…………」
目が合って、小さく手を振られた。無視しては悪いので僕も振り返して、竜也の方へ向き直る。
「もしかしてさ、僕の方が観察されてたりしない?」
「あるかもね」
「マジかー……」
八方塞がりもいいところ。僕は嘆息し、さっきのが偶然である可能性に賭けてまた芦屋の方を見た。
「されてるね、確実に」
「……なんで?」
「俺に聞かれても」
昼休みの終わりを告げるチャイムと、僕の「なんだこれ……」が重なった。なんだこれ、ああなんだこれ、なんだこれ。詠み人知らず。知らずじゃないんだよどうするんだこの状況。
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