第3話 香月蓮は教わっている。

 前方に人だかりができている。その中心にいるのは芦屋で、休み時間のたび、人気者の彼女はクラスの女子に取り囲まれるのが通例だった。僕自身が彼女と結構な量の会話をして感じたことだが、芦屋が蓄えている知識の幅はかなり広い。話題の小説、漫画、アニメ、音楽、ファッションを押さえているのはもちろん、思わず「そんなところまで?」と言いたくなってしまうようなマイナー知識まで網羅している。だからか、気分よく話させてくれるのだ。相槌を打つタイミングがこれまた絶妙で、聞き上手を自称する人間は全員芦屋を知って自分を省みて欲しいと思うくらい、彼女の聞き手能力は優れていた。

 ぼーっと向こうを眺めていたら、ふと、彼女の視線が僕に向いた。偶然に目が合って、それに気づいた彼女がこちらにだけわかる程度に口角を上げる。僕はどうしていいかわからずに両手で壁を作って顔を隠し、右隣に座る男子生徒に助けを求めた。


「完全にやることやった男女のアイコンタクトじゃん」

「僕もそう思う」

「香月が芦屋さんと仲良くなったのもだいぶ意外だったけど、そこまで行くのは完全に想定外だったなぁ」

「勘弁してくれ竜也。僕がどういう人間かくらい知ってるだろ」

「陰キャ。オタク。根暗。奥手。クソ童貞」

「クソは余計だが、概ねその通りだ」


 色素の薄い髪の毛にゆるいパーマをあてた、さっぱりした美少年だった。名前を及川竜也おいかわりゅうや。中学一年の頃から進学を挟んで今に至るまで、四年間クラスが一緒の同級生。彼もまた芦屋と同じく人の輪の中心になれる素養を持った人間で、普通に生活していたら僕と関わることはなかったタイプの人種だ。中一の職業体験で同じ班に割り振られたことをきっかけに奇跡的に話すようになって、たまに遊ぶ仲になった。


「でも、ぶっちゃけかなり脈アリじゃない? 香月からひと押しすれば全然可能性あると思うよ」

「そんな生易しいもんじゃないんだ……」

 

 竜也は知らない。昨日、僕の家でどんなやり取りが繰り広げられていたかを。芦屋の清楚なイメージは、精いっぱい猫をかぶって作り出された想像上の産物だということを。

 だが、どれだけ衝撃的な体験をしようが芦屋が僕と同じ趣味を持った友人という事実は揺るがなく、だから起こったことをありのままに話してしまうのはためらわれた。僕より人間関係の構築が上手い竜也なら良いアドバイスをくれるかもという期待はあったものの、全てを綺麗に説明できる自信もない。


「そもそも君が勝手に作った前提を改めてもらう必要がある。僕は別に邪な目的で芦屋に近付いたわけじゃない」

「世の男すべてが使う建前じゃん。俺も愛用してる」

「星の数ほどの女を泣かせてそう」

「そこまでじゃないけど、両手の指で足りるとも思えないかな」

「もっと生々しくなるからやめて欲しい」


 竜也に彼女がいるかどうかはわからないけれど、少なくとも彼の周りにはいつも誰かしら女子がいた。それは同級生だったり他校の先輩だったり大学生だったりOLだったりするのだが、基本、見るたびに相手は変わっている。どうやって知り合っているかは怖くて聞けていない。

 ただ、どうしてとっかえひっかえし続けているかを問うたことはあった。数を撃つからには当然理由があるはずで、君はいったいなにを求めているのかと。そこで返ってきた「神様がせっかくイイ感じの容姿をくれたんだから、遊び尽くさなきゃ損じゃない?」という回答で彼が僕とは根本的に違う世界観で生きていると知ってから、この手の話題はほとんど口にしなくなったけれど。


 だから基本的に僕は竜也の色恋沙汰に干渉しないし、竜也も僕になにか言ってくることはなかった。それで仲良くやっていけるのだから、変に引っ掻き回す必要などないと思っていた。

 しかし今回ばかりは、無意識下で定められたタブーを破るべきかもしれない。彼以外、身近に頼れそうな人間がいない。


「……恋愛について深読みしすぎた思春期の中学生みたいな質問していいか?」

「いいよ。言ってみ」

「好き嫌いの決め手って何だと思う?」

「うわぁ。恋愛について深読みしすぎた思春期の中学生レベルめっちゃ高いねそれ」

「自覚はある。恥をしのんで君に聞いてる」

「じゃあ香月の勇気に免じて答える。……ざっくりわかりやすく言うと、合計値と合格点」

「ん?」


 こういう場合、ものすごくふわっとした感情論が垂れ流しにされるのが世の常だと思っていたけれど、颯太は一味違うらしい。かなり理屈っぽい単語の出現は予想していなくて、僕は戸惑いがちに目をぱちくりさせた。及川竜也的恋愛観の初開陳だ。


「要素をカスタマイズして採点するんだよ。要素っていうのは個人差があるけどまあ顔だったり体つきだったり懐事情だったり。知力とか運動能力とかを加味する人もいるね。で、自分の中に漠然と存在してる合格点をそれらの合計値が上回ったら『好きになっても大丈夫』って思えるようになる」

「もしかしてロボットの方ですか?」

「まあ聞きなよ。これは別に、俺だけが抱えてる特殊な思考じゃないと思う。誰もが似たようなふわっとした価値観を持ってて、それを回り道せずに言語化しただけ」

「ほんとか?」

「その理屈があるからこそ、俺は女周りがだらしないって減点要素を顔って加点要素で打ち消して、なんなら差し引きプラスにできてるから」


 あと、『女が寄ってくる男』って概念に価値を見出す子もいる。竜也はなにやら不穏な一言も付け加えつつ、頬杖をついて僕の方を見てきた。


「香月が疑問に思ってるの、芦屋さんみたいなド高目美女が付き合いの浅い自分に好意的すぎて怖いからでしょ?」

「まあ、うん」

「でもそれは、『あんな綺麗な子が僕なんかを~』みたいな謙遜ではないよね。証拠に、同じ美少女でも涼音ちゃんの距離が異様に近いのは気にしてないし」


 クラスこそ違ったが、僕と竜也とすずは中学高校と同じだ。僕とすずだけに関して言えば小学校も同じ。家が隣なんだから当たり前の話だが。僕が竜也を家に呼んだりすると、当たり前のように居座っているすずも交えて遊ぶことになるので二人にもそこそこの付き合いがある。


「仲を深めたエピソードがいくらでも存在するから、今の距離感は不自然なものじゃない。そう思ってる」

「そりゃあ、段階踏んで今の形になってるんだからそうだろ」

「ただ、涼音ちゃんとの関係値の積み重ねがなだらかな曲線で表せるとしたら、芦屋さんは鋭角の直線。香月の感覚だと、これ結構おそろしいよね?」

「僕の心情を僕より上手く言語化してくる君も正直めちゃめちゃ怖いよ」


 心の中にあった言いようのない不安感が、言葉になったことで一気に実体を得たような気がした。僕はおしとやかという概念の具現化だと思っていた芦屋が実はめちゃくちゃ下品な言葉を臆せず使う人間だということは正直割とどうでもよくて、それ以上に、なぜあそこまでぐいぐい迫ってくるかが疑問でならなかったのだ。だって、そこに至るまでの過程がまるで描かれていないのだから。


「香月はちゃんとした人間だから、かなり文脈を重視するじゃん。序論本論がないまま結論だけ書かれたらイライラするでしょ」

「誰でもそうじゃないか?」

「ここで導入しておきたいのが、そういう道理や順序をそこまで考えない人間の存在だね。感情のたどる道筋なんてどうでもよくて、その場その場の現実だけがあればいいってタイプ。たぶん、香月との食い合わせは最悪」

「芦屋がそれだと?」

「あくまで可能性の一つだけどね。他には――」


 竜也が言いかけたところで、予鈴が鳴った。僕らは変なところで真面目なので、授業は授業と割り切って教科書やらノートやらを慌てて並べる。結局核心に迫ることはわからずじまいだったけれど、ほんの少しだけ考えが煮詰まった気はする。続きはこの四限が終わったあとの昼休みにでも聞けばいい。


 ――と、大きく構えた僕を許してくれるほど、世界は甘くないらしくて。


『昼休み、時間ある?』


 ぽこんとスマホが鳴って、一件のメッセージが表示された。送り主は――


「…………」


 芦屋がまたこちらへ視線をよこして、もごもご小さく唇を動かす。読唇術なんて高尚な技術は持ち合わせがないが、こればかりはなにを言っているかがはっきりわかった。


「(よ・ろ・し・く)」


 天を仰ぎ、瞑目。どうすりゃいいんだ、僕は。

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