第73話 漁夫の利

天文二十一年(一五五二年) 八月 因幡国岩井郡東浜 塩冶 彦五郎


 山名との停戦の期間が終わった。どうやら右衛門督からはこちらを攻める様子は見られない。まずは自領の増強に努めているのだろうか。垣屋と田結庄も啀み合ってる。それどころではないか。


 まあ、もう少しで田の刈り入れが始まる。それまではどこも動けないか。俺は動こうと思えば山衆を動かせるが、今はまだ動かさない。それよりも懐柔だ。


 ということで俺は今、船に揺られて釣りを楽しんでいる。見た目も浜の男って感じだ。日本之介とどちらがより多く魚が釣れるかを競っている。俺が三匹、日本之介が七匹だ。年季が違うわ。勝てる気がしない。


「むぅ、何故そんなに釣れるのだ」

「俺には魚の心がわかるのさ」


 と、ただ釣りをしているだけではない。それなら変装する必要もないからな。ここに来たのは人に会いに来たのだ。相手はもちろん中村大炊助だ。


 船上で会うのは耳目を恐れてのこと。戦場で会うよりはマシだろう。あと、ひっくり返って溺死だけは避けたいところだ。まあ、俺は泳げるから良いんだけどね。


「お待たせ致した」


 中村大炊助がこちらの船に乗り移ってくる。彼も町人の様な格好をしていた。お付きの人物も同じような格好をしている。さて、話をどう切り出すか。念のためだが、戦が近いことを悟られたくはない。


「いえいえ、楽しく待たせていただいておりました。ささ、どうぞ」

「忝い。今日は奇特な格好をしておりますな」

「なに。家臣と釣りの勝負をしていたもので。それであれば釣り人の格好をするのも一興かと」


 大炊助に澄み酒とつまみの膳を差し出す。今日は波が安定しているので船酔いの心配はないだろう。酒酔いの心配はあるかもしれんがな。


「ほう、澄んでる良い酒だ。味も良い」

「自慢の酒ですからな。もう一献、如何です?」


 大炊助に酒をどんどん進めていく。それから本題を切り出した。なんとか引き抜かせてもらいたい。彼は山名の重臣である中村氏だ。しかし、厚遇はされていない様である。それであれば、あるいは。


「因幡の様子は如何です?」

「最近は酷いものです。先の尼子式部少輔が滅茶苦茶にしたせいで賊が湧き、ほとほと手に余る」

「それは……申し訳ございませぬ。某が尼子に後詰めを願ったばかりに」

「いえいえ! 塩冶殿のせいではござらん。戦が悪いのです。それを言うなれば先に仕掛けたは我が殿にござる。殿はなんでもかんでも右衛門督様の言い成りで……。もっと自立を――」


 だんだんと酔いが回ってきたのか、口が饒舌になってきた。その悪いことを引き起こそうとしている俺は大罪人だな。山名中務少輔に不満はあるようだが、これは引き抜きの望みが薄いかも知れん。それであれば情報だけでも引き出すか。


「ふむ、中務少輔様は賊の討伐にも手を焼いているのですか。それは討伐するための兵がいないのですか。それとも賊が強過ぎるのでしょうか」

「兵がおらんのです。西の尼子がいつ攻めて来るかわかりませぬ。それに源七郎様が何やら御思案されてる様子」


 酩酊しているのか、色々と聞いてないことまで話してくれる大炊助。酒の酔いと船の酔いのダブルパンチはきついのだろう。それにしても源七郎か。確か山名源七郎豊通であったか。


 養父殿が亡くなった因幡攻めで討ち取られた山名左馬助誠通。その息子が源七郎だったはずである。そうか、彼が不満を抱えているのか。これは使えるかも知れない。


「大炊助殿は中務少輔殿と源七郎殿、どちらが因幡守護にふさわしいとお考えか?」

「それはもちろん源七郎殿にござるっ! 因幡山名氏の正当な世継ぎは源七郎様にござる」


 鬱憤が溜まっているようだな、大炊助は。中村氏は山名でも優遇されていると思ったが違ったか。いや、彼は違う中村氏なのかも知れない。それであればこの大炊助、大いに使えるぞ。


 まず、源七郎と武田三河守を引き合わせる。そして源七郎を旗頭にして反旗を翻せば大義名分は立つというもの。我らは源七郎に組したというだけだ。源七郎が兵を挙げるとなった時、どれだけの家臣がついて来るか。


「源七郎殿は慕われておるのか?」

「岩崎弾正忠、首藤豊後守、橋本将監など左馬助様の遺臣は応じるでしょう。もちろん、某も」

「慕われておるのだな。源七郎殿は」


 よしよし。今日、ここに来た甲斐があった。俺には全景が描けたぞ。まず、武田三河守に源七郎を擁立させる。三河守であれば傀儡にするだろう。


 さすれば山名左馬助の遺臣が呼応する。もちろん、俺も。これで山名中務少輔と互角に渡り合えるはずだ。中務少輔の目を源七郎に向けさせ、被害を抑えて勝つ。これだな。


 そしてその後は源七郎と武田三河守も啀み合うだろう。そうなれば付け入る隙が生まれる。因幡南側も奪う機会が巡ってくるのも時間の問題やもしれぬ。思わぬ拾いものをしたわ。漁夫の利を得られるぞ。


「いやはや、今日は非常に楽しいひと時を過ごさせていただきました」

「某の方こそ、美味しい酒をいただき感謝の念に堪えませぬ。今後とも良しなに願いたい」


 中村大炊助には帰りに干し椎茸をいくつか渡してやった。塩冶も人が増えた。そのお陰で干し椎茸の量産が可能になりつつある。これで考えなければならないのが価値の低下だ。干し椎茸の流通制限も視野に入れよう。


「終わったのかい、大将」

「ああ、上々の出来だった」


 大炊助を見送っている俺に日本之介が話しかけて来る。魚籠には大量に魚が入っていた。こいつ、釣りをしてやがったな。あれだけ警護しろと言っていたのに。まあ、海の上だ。襲えはしないと思うが。


「よし、戻ったら蒲殿衆に一働きしてもらおう。まずは武田三河守と源七郎を引き合わせる。これで面白い展開になるはずだ。急いで羽尾の砦に戻るぞ」


 戻っている最中、日本之介に怖い顔をして笑っていると言われて少しへこんだのは内緒だ。


———

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