第72話 引き抜き

天文二十一年(一五五二年) 六月 但馬国二方郡芦屋城 塩冶 彦五郎


 因幡攻めが迫って来た。もう家臣たちには伝えてある。そこで何とか因幡山名氏を弱体化させたい。では、どう弱体化させるのか。それは将を引き抜くのだ。


 吉岡将監定勝。この人物は何が何でも引き抜いておきたい。それに中村大炊助春続。彼も因幡を、鳥取を治めるのであれば是非とも召し抱えたい人物だ。


 ただ、吉岡は靡かんだろうな。忠義の者として有名な若者だ。となれば、今回狙うのは中村大炊助である。問題はどうやって引き抜くかだ。鳥取城主に任じてしまうか。


 いや、それはやり過ぎだ。であればどうする。最初から考えていこう。まずこの戦、因幡攻めが上手く行くかどうかである。


 源兵衛と五郎左衛門を城山城に残し、治郎左衛門と勘兵衛、それから甚四郎を芦屋城に残す。兵数は芦屋城が三百、城山城が二百だ。この数はあくまで常備兵と山衆の数だ。


 農民兵の徴収は各自の判断に任せよう。できる限り徴兵して欲しくないが。それと連絡係として蒲殿衆を多めに配置する。やはり連絡が密に取れないのは致命的であった。


 これで山名右衛門督への備えは十分のはず。問題は山名中務少輔への攻めである。今回は俺も出陣しよう。武芸も収め、身体も大きくなった。背ももうすぐ五尺に届く、はずである。多分。


 それで俺の補佐に奈佐日本之介と奈良右近将監の二人に任せよう。当家の新勢力を試して見たいのだ。オレが連れて行ける兵は松永からの援軍も併せて百。


 頑張って百だ。できれば百もつれていきたくないのが本音である。そして、これは百姓を徴兵して二百ほど連れて行くしかないだろう。


 下瀬加賀守は留守居役だな。当てにしたいが当家に加わってまだ日が浅い。将と兵の連携が取れないことほど致命的なことはない。その点、日本之介も右近将監も自前の兵・・・・を率いて因幡を荒らしまわってる、大丈夫だろう。


 それからおそらく武田も二百は動かしてくれるはず。併せて四百か。中務少輔が八百いや、武田が抜けるので六百は動かしてくるだろう。四百対六百。戦えなくはないが分は悪い。


 やはり尼子を頼らざるを得ないか。それであれば甚四郎を尼子に帰して伯耆国から攻め込んでもらうか。しかしなぁ、尼子は動かしたくないんだよ。だって、何を要求されるか分かったものではないからな。


 そんなことを考えていると遠くからドスドスドスという足音が響いてきた。粗雑な足音は日本之介か弥太郎か。機嫌の悪い治郎左衛門かもしれない。


「大将、良いか?」

「なんだ、右近か。構わんぞ」


 入って来たのは奈良右近将監であった。俺の予想は外れだ。俺の目の前にどっかと座る右近。さて、今まで顔を出していなかった右近が何の用か。こちらも正面から向き合う。


「なんだとは失礼な言い草だな。歓迎されてないようだな」

「すまん、言葉の綾だ。菊、済まないが右近のために酒を持って来てくれ」

「歓迎されているようで安心したぞ」


 にやりと歯を見せる右近。相変わらず不健康そうな顔である。少し心配になるが、これが彼の標準なのだろう。余計なお節介はしない。


「で、何用だ?」

「その前に……っぷはぁ、やっぱ旨ぇなぁ」


 一気に酒を煽る右近。話よりもまずは酒か。日本之介とは相性が良さそうだな。いや、酒を巡って争うかもしれん。それで負けました、なんていう馬鹿げた真似だけは避けたい。


「あー、なんだっけ。そうそう、何とか俺らも形になって来た。その礼を言いに来ただけだ。表に色々と持って来てある。納めてくれ」


 そう言って頭を下げる右近。待て、今なんて言った。『俺たちも形になって来た』だと。そう言えば右近も野盗に成り下がっていたな。そして一人では野盗は出来ん。いや、もちろん納めものも嬉しいが。


「右近、其方の元に兵は如何程おるのだ?」

「今は七十くらいか。それがどうした?」


 七十! そうか。右近と日本之介は自前の兵が居るのだ! これは渡りに船というところである。十月までにそれぞれ百に増やさせよう。手段は問わん。それが加われば徴兵しなくても三百だ。これは勝ちの目が見えて来たぞ。


「で、其方はどんな動きをしていたのだ? 折角だ。詳しく聞かせて欲しい」


 右近には因幡を荒らせ、決してバレるなとしか命じていなかった。少し蔑ろにし過ぎていたな。反省だ。予想よりも有能そうな男だな、右近は。


「何って、本当に因幡を荒らし回って来ただけだぜ。襲えそうなところを襲い、奪えそうなものを奪う。それだけだ。おーい、代わりの酒を持って来てくれ!」

「ということは因幡の地理にも詳しいな?」

「当たり前よ。どこに兵が居るかまでしっかと頭に入ってんぜ」


 甚四郎は良く彼を捕まえることができたな。どうやって捕まったんだ、こいつは。我が軍の兵は全くと言って良いほど損耗していなかったぞ。


「あー、あの時は酔い潰れて居たところを急襲されたんだ。ずっと俺のことを見張ってたらしい。弱点が曝け出るまでな。いやらしい奴だぜ」


 なるほど。甚四郎と右近将監は相性が悪かったようだな。ジャンケンみたいなものか。これは良い逸材を拾ったかもしれん。俺の中で右近の評価がウナギ登りだぞ。


「実はな、右近。十月に因幡攻めを考えておる。大将は俺、備えがお前と日本之介だ。武田三河守は調略済みよ。攻略能うと思うか?」

「さぁてね」


 そう言って酒を煽る右近。つれない返事だ。真面目に考えていないのか、それとも俺には言いたくないのか。どちらにしても右近の動きを変えてもらわなければならないな。


「そうか。変なことを聞いた、すまん。では九月までに右近の隊を百まで増やしてくれ。それから荒らすのを因幡南側にして欲しい。因幡の東は入念に調べ、それらに必要なものは言ってくれ。用意できるものは用意しよう」

「じゃあ、人を分けてくれ」

「ない袖は触れん」


 数秒、視線が絡み合う。右近がまたしてもニヤリと笑った。それから「承知」と言葉短かに承諾の意を示すと、そのまま退出して行った。その後すぐ、俺は弥右衛門を呼ぶよう菊に伝える。弥右衛門はすぐに俺の元へとやってきた。


「お呼びでしょうか」

「うむ、三つ頼みたいことがある。一つは奈良右近将監のことだ。彼奴の動向を調べて欲しい。何をして居るのか、何処かと繋がっていないかを隈無く調べるのだ。すぐに募兵を始めるはず。誰か一人入れよ」

「はっ」

「それから二つ目。こちらは簡単だ。奈佐日本之介に十月に戦があることを伝えてくれ。そして、それに向かって兵数を百にしておくことも。必要なものがあれば申し出よと伝えて欲しい」

「承知仕った」

「そして最後の三つ目。中村大炊助を寝返らせることが能うか調べて欲しい。以上だ」

「すぐにお調べしましょう」


 そういうと弥右衛門は風の様に去って行った。奈良右近将監、有能だが何処か掴みどころのない男だ。何もなければ良いのだが。


———

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