第71話 去就 <外伝>

天文二十一年(一五五二年) 六月 但馬国二方郡芦屋城 下瀬加賀守


 塩冶殿の領地に来て一ヶ月が過ぎた。まだ十に満たないというのに、何としっかりした子だろうか。彼には頭が上がらない。


 連れて来た兵も民も全て面倒見てくれると仰ってくださった。特に刀工は手厚く保護してくれると。これで某の肩の荷も一つ降りたと言うもの。


 しかし、塩冶殿の領地のなんと発展していることか。田は綺麗に整理されており、稲も等間隔に植えられている。澄み酒が大々的に生産されており、これが銭を生んでいるのだろう。


 山ではソバが栽培されており、食うに困ることのないように配慮されているのが素晴らしい。そのせいだろうか。領民の顔には笑顔が浮かんでいる。


「これは加賀守殿。如何なされましたかな?」

「おお、治郎左衛門殿。塩冶殿にお許し願い、領地を見回らせていただいており申す」

「左様であったか。某でよければ案内しよう」


 治郎左衛門殿は塩冶の重臣。お忙しいはずである。非常に申し訳ない。治郎左衛門殿の先導で浜坂の湊へと歩いて向かう。


「如何ですかな? 我らの領地は」

「何とも活気があって羨ましい限りに」

「殿は銭を稼ぐのが好きなようでな。商人の誘致に余念が無いのじゃ」


 ほっほっほと笑う治郎左衛門殿。そんな治郎左衛門殿も先代の塩冶若狭守殿が亡くなってもう終わりだと思っていたらしい。塩冶の重臣らしく、責任を取るつもりだったと。


 しかし、殿は何を考えているのか良くわからないが、いつの間にか椎茸を栽培し、細作を召し抱えていたと。それからあれよあれよと田公氏を滅ぼし領地を拡大させたと。


「まさに神童でござるな」

「いやいや、あれでいて中々に抜けているところもあってな。それから子供らしからぬ遠慮がちな部分もあるのじゃ。儂からすればまだまだ手のかかる童よ」


 髭を撫でながらそう呟く治郎左衛門殿。しかし、主君が褒められることはどうにも満更ではないらしい。言葉の端に喜びが含まれているのがわかる。

 

「ほう?」

「それよりも、じゃ。其の方はこれから如何なされるお積もりじゃ?」


 そう。もう某には主家はいない。代々、吉見家に仕えて来たが残っているのはご子息の吉見大蔵大輔様のみ。京にのぼってお仕えするか。しかし、そこに某に活躍の場はあるのだろうか。それに某を慕ってついて来た家臣たちを養えるかどうか。


 それであれば他家に仕官することも考えなければならぬのか。だが、他家に仕えるにしても当てがない。このまま塩冶殿のご厚意に甘えるのは如何なものだろうか。そう考えていた時、治郎左衛門殿から不意な提案が持ち上がった。


「ふむ、当てがないようであれば当家に仕官されては如何かな? 彦五郎様も吉見家の出自、家格には問題ござらんと思うが」


 たしかに塩冶彦五郎殿は吉見兵部大輔範仲殿のご子息だと伺った。吉見式部少輔様の遠縁にあたるのだろう。もちろん、彦五郎殿に仕えるのに不満などあろうものか。しかし、そこまで厄介になるわけには。


「実はな、我が殿は其の方を召し抱えたいと常々考えていたのじゃ」

「なんと!? それは真にございますか?」

「真じゃ。しかし、ほれ、先も申したであろう。子供らしからぬ遠慮をすると。主家を失ったばかりの其方に『我に仕えよ』と伝えるのが心苦しかったのじゃろう」


 またしてもほっほっほと柔らかい笑い声をあげる治郎左衛門殿。そうか、塩冶殿は某を慮ってそっとしておいてくれたのか。なんという心配り。


「お決め申した。某も塩冶家の末席にお加えいただくよう、平にお願い申し上げたい」


 治郎左衛門殿に深く頭を下げる。すると治郎左衛門殿は儂の肩を叩き、頭をあげるよう促す。そうして笑みを崩さずにこう述べた。


「良い良い。儂に申さんでも殿に直接お伝えすれば良かろう。飛び跳ねて喜ぶぞ。どうせ殿はこの先の浜坂の湊に居るはずじゃ」


 二人で浜坂の湊に向かう。すると治郎左衛門殿の言う通り本当に彦五郎殿が湊に居た。なにやら商人と話し込んでいるようであった。こちらに気がついたのか商人との話を早々に切り上げてこちらに向かってくる。


「おお、治郎左衛門に加賀守殿ではないか。如何致した?」

「なに。加賀守殿が領内を見回っておったゆえ、案内をば。して、加賀守殿が何やら伝えたいことがあるそうですぞ」


 治郎左衛門殿に場を整えていただいてしまった。後は某の口から仕えたいと申すだけである。なんというか、負んぶに抱っこだ。治郎左衛門殿が居るから塩冶の家臣も纏まっているのだろう。


「お、なんだ?」

「はっ。某も彦五郎様にお仕えしたく平にお願い申し上げまする。この通りに」


 深く頭を下げる。しかし、何の反応もない。何かしてしまったのだろうか。少し経ってから彦五郎殿、いや殿の声が聞こえて来た。


「お、おお! そうかそうか! よう決断してくれた! 非常に心強く思うぞ! これからも当家にて励んでくれ!!」

「ははっ」


 顔をあげるとそこには満面の笑みを浮かべた殿がいた。治郎左衛門殿に肩を叩かれる。確かに治郎左衛門殿の仰っていた通りであった。確かに心なしか足取りが軽くなっている。


 こうして、某は塩冶家に身を寄せることにしたのであった。

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