第65話 山科

 翌日。公方様の文はまだ出来ていないようだ。なんだ、公方様は俺を京に押しとどめておこうという考えなのか。そんなことをしてどんな益が有ると言うのか。


 仕方がないので貰った紹介状を有効に活用させてもらうとしよう。今日は甚四郎を伴って山科内蔵頭の屋敷を訪ねることにする。


「済まぬが山科内蔵頭様はご在宅か? 文を預かって参った」


 屋敷前に居る下男に声をかける。さて、急な訪問だが山科殿は居られるだろうか。暫くすると屈強な男が出てきた。本人ではないことは確かだ。おそらくは従者だろう。


「某は従者の是則と申す。その文を拝見願えますかな?」

「もちろんにござる。四辻大納言様からの文がこちらになりますれば」


 是則と名乗った男に手紙を渡す。御免と一言謝ってその場で手紙を読み始めた。中を改めているのだろう。何度か俺の方をチラチラと見ている。


「失礼仕った。某に付いて参られよ」


 どうやら認めてもらえたようだ。門をくぐり、屋敷を進んだその奥には四十半ばの物静かそうな男性が静かに座っていた。その男性が是則から文を受け取る。そして小さく一度だけ頷いていた。


「ようこそ御出でくださった。私が山科内蔵頭におじゃりまする」

「突然の訪問、誠に申し訳ない。某は塩冶彦五郎と申す」


 互いに頭を下げる。何とも優雅なお方だ。立ち居振る舞い、そして言葉の速度も調整されている。流石は海千山千の戦国大名と渡り合ってきた公家なだけはある。


「四辻卿によれば塩冶殿は勤皇の志が篤い御仁であるとか」

「もちろんにござる。内裏が政の中心、ひいては日ノ本の心にござれば」


 公家とは上手くやっていきたい。敵に回すのは得策ではないだろう。四辻大納言には献金を多くしている。そのお陰もあって紹介いただけたということだろう。


「ふむ。内裏も色々と入り用での。金子が掛かって仕方がない」


 三好と公方様の争いで公家衆にも被害が出ているのだろう。どこも段々と財政が圧迫されているのだ。そしてそれは禁裏も例に漏れず、ということだな。


「左様でござるか。某もお力になりたく存じまするが、未だ官職もなく元服前の身。到底お力になれるとは……」


 確かに公家とは上手くやっていきたい。が、しかしだ。こちらとしても無益な献金は控えていきたい。確かに他よりお金はあるが、それでも裕福と言うわけではないのだ。


「そうでおじゃったの。其方はまだ幼子。失念しておじゃりました」


 にこやかにそう告げる山科内蔵頭。内蔵頭と言うことは禁裏の財政任されているのだろう。大名に官職を売って見返りに銭を稼いでいるか。元服したらお世話になるとしよう。


「とはいえ、これも何かの縁。某で出来うる限りの援助は惜しみなくさせていただきたく」

「それは有り難いお申し出。当てにさせていただきましょう」


 その後も和やかに談笑をさせてもらった。三好と公方様の情報。それに甲斐と信濃や尾張や美濃の情報なども貰う。代わりに山陰の情報を伝えるのだ。大内が混乱状態にあるのは禁裏にとっても痛手だろう。


 しかし、そうか。信濃では武田氏が着々と北上しているようだが、村上に大敗を喫したようだ。といっても、北上をやめることはしないだろう。となれば、このままだと長尾氏とぶつかるのは必然。


 尾張と美濃は婚姻が成立したものの、まだ不安定な状態だと言う。それも織田弾正忠信秀が老いてきて今川の攻撃を凌げなくなってきているのが要因だとか。斎藤家の家中は織田に着くか今川に着くか揺れに揺れていると言う。信長が表舞台に出てくる日も近い。


「ところで、塩冶殿はまだ元服なさらないので?」

「某はまだ八つ。元服まではあと五年は掛かるでしょう」

「そうでおじゃるか。まだまだお若い」


 俺の年齢を聞いて目を丸くしている山科内蔵頭。というのも、俺の体躯のせいだろう。背は既に四尺を超えている。この時代の平均身長は五尺を超えるくらいだ。


 まあ、現代人なので遺伝もあるだろうが、栄養には拘っている。そのせいで同年代の他の子より体躯が大きいのだ。それで勘違いしたのだろう。


「ほっほっほ。其方と話していると幼子とは思えん。本当に八つか?」

「八つにございまする」


 いや、精神年齢は違うが体躯は八つそのものだ。ああ、それも山科内蔵頭を勘違いさせている原因の一つか。もう少し年相応に振る舞った方が良いのだろうか。今更感が否めないが。


 そんな話をし終わったあと、俺は山科の屋敷を後にした。その途端、仰々しい兵が俺を待っていた。旗印は三階菱に五つ釘抜と蔦紋。三好家の松永だ。さて、これはどうしたものかな。


 山科邸に戻っては迷惑がかかる。となれば進むしかないが、この軍勢の中を突破できる気がしない。しかし、俺は公方様の奉公衆。逃げる選択肢はあるのだろうか。


「是則殿。申し訳ないが細川兵部大輔殿のお屋敷まで使いを出してはいただけぬでしょうか。塩冶彦五郎が松永弾正に拐かされた、と」

「承知つかまつった」


 そんなやりとりを小声で済ますとくだんの人物、松永弾正がゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。顔はいたって笑顔である。三好の旗を掲げてはいるが筑前守は居ないようだ。


「おお、彦五郎ではないか! これは偶然。そこまでどうだ?」

「これは弾正殿。偶然ですな。仰々しい人だかりですな。何かありましたか?」

「なに。京を警邏していただけよ。筑前守様から任を賜ってるのでな。京の治安が下がっていると聞く。そうだ、彦五郎も送っていこう」


 立場上、一度は断るべきか。いや、二度手間になるだけか。だが、はいお願いしますと言ってしまえば公方様の沽券に関わる。こんなことなら奉公衆にならなければ良かった。


「いえ、結構にございます。お気持ちだけいただきましょう。某も武人、自分の身は自分で守りますゆえ」

「そう言うでない。公方様の家臣に何かあれば儂が怒られてしまう。ほら、行こうではないか」


 笑顔だが圧がすごい。これ以上は断れないだろう。その時、俺の腹がくぅーと可愛い音を立てて鳴いた。それを聞いた弾正が大きな声で笑い始める。


「だぁっはっは! 良かろう。其の方を京で一番美味い飯屋に連れて行ってやる。ほら、付いて参れ」


 有無を言わさず歩いていく弾正。そして三好の兵に囲まれる俺。端から見れば警護されてる貴人かはたまた連行されてる罪人か。そんな風景であった。

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