第49話 撤退

天文二十年(一五五一年) 六月 但馬国二方郡芦屋城 山名 右衛門督 祐豊


「御注進! 佐々木近江守殿、お討ち死に!」

「なんとっ!」


 儂の元に入って来た知らせというものは塩冶の家臣を討ち取ったという報ではなく、家臣の佐々木近江守が討ち取られたという報であった。


「部隊はどうなった?」

「総崩れにございます。伏兵に会ったところを敵方の先駆け、米山弥太郎に……。敵方の勢い凄まじく」


 使番が悲しそうな顔で報告を済ます。油断したか。窮鼠が噛んでくるとはまさにこのことよ。戦力差が大きかったゆえ、軍全体に弛みが出たか。


「如何なされます、御屋形様」


 左近将監がそう申す。それに伴って越前守の目もこちらを捉えていた。白々しく何を申すか、この戦が終わったことを考えて兵を温存している癖に。


 さらに兵を集めてくるか。南を薄くするわけにはいかんが、さてどうする。いっそ、城山城を諦めて但馬守と土佐守の兵をこちらに連れてくるか。


 いや、そうすれば芦屋城と城山城から出て来た兵に挟まれることになるか。では但馬守の兵を残して土佐守の兵を連れてくるのであれば然程難しくはないだろう。


 なんにせよ。全軍で突撃できないのが難点だな。越前守も左近将監も自兵の損耗を恐れて積極的に動かないのだ。となれば、我が軍だけが被害を被ることになる。それは避けたい。


 だが、このままでは徒に時が過ぎていくばかりである。諦めて撤退するか。それは儂の沽券に関わるぞ。そんな儂の元に一人の使番が寄ってきた。


「御屋形様、弟君の中務少輔様から文が届いておりまする」

「ふむ」


 中を改める。読み進めていくと段々と頭の痛い内容であった。なんでも尼子式部少輔誠久が因幡国邑美郡に攻め込んで来ているのだとか。その数は二千。


 尼子式部少輔といえば、あの新宮党の中心人物だ。そして粗暴で横柄、不遜な男だと聞く。これは直ぐに援軍を送らなければ九郎の命が危ない。


「皆の衆、事情が変わった。この陣を払い因幡の九郎の元へ向かう。尼子式部少輔が攻めて来おった。因幡で防がねばこちらに流れてくるぞ」


 二人の顔が強張る。因幡が尼子の手に落ちれば塩冶と尼子の領地が接する。そうなれば塩冶が垣屋の領土に攻め込むだろう。これは越前守としてもいただけないはず。


 垣屋越前守もそれを理解しているのだろう。援軍に駆けつけるのは賛成のようであった。しかし、田結庄左近将監が未だピンときておらぬ。


 なんとか説得を試みようとした時、もう一人の使番が陣に飛び込んで来た。儂の兵ではない。越前守の兵である。かなり焦っている様子じゃ。何かあったか。


「ご、御注進! 田結庄左近将監の軍が我が領地を荒らしております! 鎧、餘部の辺りに火を放たれており申す!!」

「なんじゃと!?」

「なに!?」


 報告に越前守が驚いていた。そして何故か左近将監も一緒に驚いておる。一体何が起きているというのか。字面通りに捉えれば左近将監が越前守の領地に攻め入ったということじゃ。


 前々から越前守の領地を狙っていたとも聞く。やはり塩冶と繋がっていたということなのだろうか。急ぎ問いただすことにする。


「左近将監、これは如何なることか?」

「暫く、暫く! 某にも事情が飲み込めておりませぬ」


 左近将監が慌てふためいている。越前守も厳しい目つきで左近将監を睨んでいる。まあ、事ここに至っては誰も左近将監を信じることもできんか。


「御屋形様、申し訳ござらぬが某は領地へ戻らせていただく。これにて御免」


 越前守が立ち去っていく。これは面倒なことになったぞ。事情が飲み込めんが儂も全軍をまとめて早く西に向かわなければ。


「但馬守と土佐守に使いを出せ! このまま因幡の鳥取に向かうぞ! 左近将監、其の方も同道せよ。事情は儂が確認する」

「……はっ」


 左近将監を戻らせるわけにはいかぬ。本当に裏切っているかもしれんのだから。

 陣を払いたいが、そうすると芦屋城から追撃の兵が出てくるだろう。誰を殿に残すべきか。


「大和守、其の方が殿をせよ。兵を百預ける」

「ははっ」


 腹心の伊秩大和守に殿軍を任せる。儂はすぐに鳥取に向かって九郎を助けねば。やってくれたな、塩冶彦五郎。この借りは高くつくぞ。


 持っていた扇子を力任せに折る。それからふーっと息を吐き、殿軍を残して因幡国へと向かったのであった。

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