第48話 芦屋城攻め

天文二十年(一五五一年) 六月 但馬国二方郡芦屋城 塩冶 彦五郎


 いよいよこの時が来た。芦屋城の麓には山名右衛門督の兵が千五百ほど集結している。予想よりも多い。困ったな。そう直ぐには落ちんが、被害を厭わず力攻めされると怖いものがある。


 原因は至って単純。山名中務少輔が参戦しているのだ。これは尼子が動いていないと言うことなのか? 五郎左衛門は一体何をやっているんだ。


「壮観ですな」

「全くだ」


 いつの間にか隣にいた弥右衛門が話しかけて来る。ただ、これをみすみす受け入れる俺ではない。折角なので弥右衛門に噂を流してもらうことにする。


 その噂の内容とはこうだ。垣屋越前守の陣では後ろから田結庄左近将監が狙っていると伝え、左近将監の陣では越前守が後ろから狙うため、先駆けにさせる気であると伝える。


 そして中務少輔と右衛門督の陣では尼子民部少輔が因幡に攻め込んでいるとの噂を流させるのだ。弥右衛門はその後、ある場所に向かってもらう。


 この噂を流す意味は時間稼ぎにある。まずは時間を稼ぎ尼子民部少輔の援軍が到着するのを待つのだ。それしか取れる手はない。


 そして策が当たったのか、敵陣に動きは一切なかった。芦屋城では睨み合いが続いていた。こちらから動きたいが如何せん敵兵が多すぎる。せめて中務少輔が居なくなってくれれば。


 まだ慌てる時間ではない。尼子とて軍を直ぐに動かすわけには行かぬのだろう。大国ならではのしがらみがあるのだ、きっと。


「焦れるな。籠城とはこうも心にくるものなのか」

「何を仰られますか、殿。籠城はまだ始まったばかりですぞ」


 ガッハッハと高笑いをあげるのは治郎左衛門である。戦は慣れていると言わんばかりに余裕綽々という表情だ。今はただ待つしかないか。援軍も、敵方が動くのも。


 それから数日が過ぎた。右衛門督たちは何度か攻めてきている。本攻めではない小競り合いだ。おそらくは芦屋城を探っているのだろう。その度に撃退している。


 芦屋城までの山道の途中、伊助と平太が交代で突如出て来ては一矢浴びせ、逃げ帰るということを繰り返しているのだ。連中も易々と登っては来れんだろう。


 それに芦屋城までの道のりに様々な罠を仕掛けてある。主に落とし罠だ。だが、ただの落とし罠と思って貰っては困る。中には竹で作られた槍が立てられているのだ。この罠が気になって積極的に登ってこれないのだろう。


 正々堂々勝負せよ、などという声も聞こえてくるが所詮は戯言。勝つことが肝よ。我らは一丸となってそれに向かっておるだけのこと。その証として、雑兵の首は捨て置かせることにした。胴や脛当てもである。


 確実に、安全に拾える時しか許可は出さん。あとは大将首だけだな。足軽大将でも侍大将でも、大将格なら首取を許可しようではないか。


 しかし、籠城というものは辛いな。緊張状態が続き過ぎて兵たちもだんだんと憔悴し始めている。俺が流した噂と罠のせいで敵方が疑心暗鬼になって大胆に動けずにいるのは幸いだが。


 兵糧はまだ問題ない。玄米に塩に味噌。水も確保してあるし、竹炭の量も十分だ。あとは干し椎茸だな。あまり使いたく無い代物だが。


 がしかし、逆を言うとそれしか無いのだ。栽培しているきゅうりと大根の漬物はあるが、それ以外の野菜類が全く無い。あ、少量の生姜はあったか。


 米と味噌だけで良いのであれば冬まで籠もれるだろう。しかし、それでは身体を壊してしまうかもしれない。しまった。庭に金柑や橘でも植えておくべきだったか。柑橘類はビタミンも豊富だし籠城には必須だったのか。覚えておこう。


 ただ、このきゅうり。意外にも有用だったな。幸いなことに水不足にまだ陥ってはいないが、きゅうりがあるというだけで安心感が違う。さらに塩でつけておけば日持ちもするだろう。


「御注進! 敵軍に動きが!」

「あったか! 何があった!」

「山名中務少輔の軍が撤退しております!」

「であるか!」


 良し! つまりこれは尼子民部少輔が動いたか。それとも俺の虚報に踊らされて撤退したか。どちらにせよ兵が減ったことに変わりはない。


「よし。完全に撤退したら出陣するぞ! 弥太郎、治郎左衛門、槍兵を率いる準備をせい!」

「はっ!」

「殿、一体何を……」


 弥太郎はすぐに兵を集めに動く。そして治郎左衛門は俺を諌め始めた。大丈夫だ。俺は別に籠城から錯乱したりはしていないぞ。


「良いか治郎左衛門。兵を百五十ほど率いて山を下るのだ。そして向こうを挑発して来い。いつまで経っても攻めて来ぬ弱腰と。そして其の方が弥太郎の手綱を握るのだぞ」

「それでどうするのですか?」

「一当てして一目散に逃げよ。それだけで良いぞ。伊助と平太は何処だ!」

「お呼びですか!?」

「おお、伊助。平太と共に出るぞ! 急ぎ用意せよ」


 話は終わりだと言わんばかりに打ち切ると、俺は伊助と平太を探し出す。そして勘兵衛が育てた百の弓兵を連れて山道に身を潜める準備をする。


「甚四郎殿は百の兵で芦屋城を守ってくれ。ここは一丸とならねば倒せぬ相手だ。よろしく頼む」

「承知しました」


 流石に甚四郎に城を預けることに不安はあった。しかし、よく考えて見るとここで甚四郎が裏切ったとしてもすぐに城が落ちるだけだ。であれば、ここで裏切ることはしないだろう。


 我が家も人材が揃っている訳ではない。今ある人材でなんとかやりくりしなければならないのだ。人材が揃っている家なぞどこにもないだろう。


 背後は断崖絶壁になっている。しかも下は海だ。ここから上がって来るのは難しいだろう。流石にこの規模で兵を割くことは考えにくい。が、念には念をだ。甚四郎に警戒するよう一言伝えておこう。


「準備整いましてございます」


 弥太郎が今か今かと言わんばかりに鼻息を荒くしている。伊助と平太も準備ができたようだ。俺の元に集まって来る。


「まあ待て。弥太郎、治郎左衛門。撤退する道のりを確認するぞ。良いか、寄り道せず最短距離で城に入るのだ。あと、劣勢を演じるのだぞ」

「承知致した!」


 元気よく返事をする弥太郎。よし、これで出陣だ。麓まで降りるよう指示を出す。そして俺は伊助と平太と共に山中の中に潜む。そして撤退のルートを確認し、その右側に平太の隊を。左側に伊助の隊を潜伏させる。


 弥太郎たちが釣って来た部隊をこの狭い山路で迎え撃つと言う算段だ。今回、俺は兜甲冑を身に付けていない。公方様から頂いた脇差を腰に差してるだけである。


 いや、俺だけじゃない。伊助と平太の隊の全員が身につけていないのだ。というのも、こちらも一当てしたら一目散に逃げ帰る予定である。身体を重くするわけにはいかない。


「おらおら! 日和見している腰抜けめ! 命が惜しいならケツをまくってさっさと帰れぇ!!」


 弥太郎の言葉合戦が始まった。と言っても亀のように縮こまっている山名右衛門督を一方的にバカにしているだけだが。


 さて、この挑発に乗って来るかな? 先鋒を誰が務めるかで揉めそうな予感がする。来るとするならば右衛門督の伊秩大和守あたりだろうか。


「かかれぇ!」


 戦端が開かれた! 誰かが弥太郎に襲い掛かったらしい。兵士たちの怒号が聞こえる。俺は伊助と平太に合図を出し、伏兵の用意を着々と進めて行く。


 俺たちは逃げ道に両側、少し道より高くなっている場所に伏せて隠れている。高所に陣取らないと射線に味方が入ってしまうし、敵方がこちらに向かって来たときに逃げられなくなってしまう。


「くっ、仕方ない。引け! 引けぇ!!」


 程なくすると治郎左衛門の撤退を促す声が響き渡って来る。敵方が追撃してくる予定だが果たして。隘路で多勢が登れない、罠の仕掛けてある山路を登って来るかは賭けだな。


 いや、来る。きっと来るはずだ。山名右衛門督は驕っているのだ。負けるはずがないと。こういう軍こそ誇りだけは一人前。名門の自負があるというもの。


 それに弥太郎の退き道には罠がない。それを探るためにも絶対に追って来るはずだ。まあ、それ自体が罠なんだ。道が途中までバレてしまうのは諦めよう。


 目の前を治郎左衛門、そして弥太郎が通って行く。来るならこの次だ。すると声高く意気軒昂な集団が向こうからやって来るのがわかる。先頭を走っている男の身なりが良い。おそらくは足軽大将格の男だろう。


「伊助、お前は先頭の男を狙え。三射したら撤収するぞ」

「はっ」


 山名の先鋒が近づいて来る。伊助たちは矢をつがえ弓を引き絞る。まだ。もう少し引きつけて彼らの側面を捉えた瞬間、俺は大声で叫んだ。


「放てぇ!」


 命令を下した途端、伊助と平太が立ち上がる。それに伴い彼らが率いて来た兵も立ち上がり、矢を放ち始めた。


 伊助が俺の命令通り、先頭の男を仕留めた。矢が三本、左肩と右太もも、それから首下に刺さっている。戦線に復帰するのは難しいだろう。


 山名の先鋒はその数が三百ほど。左右から挟み込まれる形で混乱している。三射は済んだ。ここで撤収しようとした矢先、芦屋城側から大きな声が聞こえて来た。


「はっはぁ! 米山弥太郎信行、推して参る!」


 なんと弥太郎が反転して戻って来たのだ。連れている兵の数は五十。完全な独断だが、良いタイミングで戻って来た。本能で察知してるんだろう。


 援護するか? いや、これは難しいな。味方に矢が当たってしまう。それであれば我らは山名軍の後方に斉射して撤収しよう。


「良し! 伊助隊、平太隊は離脱して城に戻れ! 弥太郎! 敵武将の首を忘れるなよ!! それだけで良いから戻れ!」


 伊助と共に俺も撤収する。まだ戦いは始まったばかりだ。ここで兵を消耗したくはない。弥太郎、この意図を汲んでくれ。頼むぞ。


 山の中を全力で駆ける。城の前では治郎左衛門が兵を率いて待っていた。横を駆け抜けて城の中に入り込む。弥太郎のお陰で伊助と平太の部隊にこれといった損害は出ていない。あとは弥太郎の帰還を待つばかりである。


「戻り申した。いやぁ、我が方の完勝ですな!」


 俺が一息ついて水を飲んでいるときに弥太郎が戻って来た。皆の顔には笑みが零れている。これは無傷か軽微で済んだのだろう。弥太郎に勝鬨を上げさせた。俺は息が整っておらず叫べるような状態ではない。


 勝鬨を聞きながら治郎左衛門と二言三言会話を交わす。内容はもちろん被害状況についてだ。どうやら最初の一当ては数人が軽傷を負っただけで済んだようだ。


「敵方の先鋒は誰であったか?」

「山名右衛門督の家臣、佐々木近江守義高でござった」

「大物か? 其奴の首を獲ったぞ」

「そこまでは。所詮は足軽大将にござる。とはいえ、家格では儂より大物ですがな」


 がっはっはと大声で笑う。どうやら治郎左衛門も浮かれているようだ。さて、衣服を整えて首実検を行うとするか。


 急いで場を拵えさせ真ん中の床几に座り公方様から賜った脇差に手をかける。両脇に治郎左衛門と甚四郎を座らせた。それから弥太郎に首を持って来させる。


「治郎左衛門、あの首は佐々木近江守で相違ないか?」

「はっ、ございませぬ。先ほど戦場で見かけた顔にござる」


 であれば、これは伊助の手柄であろう。いくら俺が指示を出したとはいえ、実際に矢を当てたのは伊助だ。これは褒美を与えねばならんな。


「相分かった。では、佐々木近江守を討ち取った伊助には褒美をとらせる」

「そ、そんな! おいらの手柄じゃねえです! 弥太郎様が首を持って帰りました。弥太郎様の手柄でございましょう」

「何を申す。某の手柄な訳があるか。佐々木近江守はお主の矢で息も絶え絶えであったぞ。某は落ちていた首を拾って持ち帰ったに過ぎん」

「そう言うわけだ。伊助、そなたの手柄だ。追って褒美をつかわそう」

「は、ははぁっ! ありがとうございまする」


 俺と弥太郎の説得により伊助が頭を深く下げた。とはいえ、褒美に何を与えるか。金も何もないぞ。とりあえず身分は与えよう。未だ買われた身のまんまだ。


 それからそうだな、佐々木近江守の兜と太刀を与えようか。本来なら分捕りは取った人のものだが、山衆は生憎と奴隷だ。持ち帰った弥太郎と相談しよう。


 何はともあれ初戦はこちらの勝ちとなった。我が方の被害は槍兵七名が軽傷を負っただけで済んだ。対して敵方は足軽大将が一人と兵が七十名ほど討ち取られ五十名ほどが負傷したと思われた。


 戦場で一番気を付けなければならないのが弓だ。弓での死傷率が高い。ただ、槍隊が居てくれて弓隊が輝くということを忘れてはならない。


 これで彼我の兵力差は味方が三百に満たないのに対し敵方が八百と言うところだろう。ここから右衛門督がさらに兵を派遣して来るか。ただ、そうなると南と東の備えが薄くなってしまう。


 東はまだ良い。岳父である一色家の領地であるから攻め込まれる心配はないだろう。問題は南だ。少しでも隙を見せると浦上、別所、赤松が攻め込んで来るであろう。


 特に赤松は何度もやりあっている仲だ。隙は見せられないはず。しまったな。赤松とも結んでおけばこんなに苦労しなかったのかもしれない。


「治郎左衛門は居るか?」

「はっ、此処に」


 呼び出すと治郎左衛門がすぐに俺の元へとやって来る。俺が初陣だからか、付かず離れず俺の傍にいる。もう少し信頼してくれれば良いものを。


「源兵衛の城山城に対して何か知らせはあるか?」

「今のところございませぬ。便りが来ぬのは良い知らせと申しますれば、未だ健在かと」


 そうだな。源兵衛もまだ踏ん張ってくれている。こちらは当分は落ちそうもない。さて、山名右衛門督がどれだけ俺だけに執着できるか見物だな。

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