第29話 憤り
天文十八年(一五四九年) 五月 但馬国気多郡鶴ヶ峰城 垣屋越前守続成
「殿、塩冶の家臣と申す者が殿に謁見を願っておりますが」
「通せ」
ふん、本当に田結庄が申した通り塩冶が出張って来おったか。筋違いの怒りを向けて来おって。戦で死ぬるは弱い故よ。儂も一族郎党悉く討ち取られたが、それも弱かったからだ。
「垣屋越前守様に置かれましてお初にお目にかかりまする。某、塩冶彦五郎の家臣である村井治郎左衛門安貞と申しまする」
「儂が垣屋越前守続成じゃ。して、本日の用向きはなんでござろう」
「我が殿は越前守様に憤っておられる。先代であらせらります塩冶若狭守には何もないのか、と」
正直に申せば何もない。が、馬鹿正直にそう話せば田結庄と塩冶から挟み込まれる。まあ、それでも負けはせんが、自分から分を悪くする必要もあるまい。
「貴殿の仰る通りじゃな。立派に忠義を尽くした御方に何もせんとは。焼香をあげに行きたいところじゃが、この身体ではな。ここは一つ、これで良しなに」
小姓に銭を用意させる。ざっと百貫はあるだろう。塩冶のような小さな領地には過ぎたる額じゃ。これで懐柔できるのであれば安いものよ。
「そのお言葉をいただけて安堵いたしました。我が殿も越前守様とことを荒立てたくはないとお考えです。こちらを」
奴が差し出して来たのは干し椎茸だ。これを用意していたということは塩冶も落としどころを探していたと見える。それであれば悪くはない。
これは塩冶の小倅が考えた案だろうか。いや、それはない。確かまだ四つか五つだったはずだ。であればこの村井が考えた案だろう。ここから切り崩してみるか。
「我が殿もこれで越前守様に思うところはない。今後は良き関係を望んでおりまする」
「左様でござったか。それは願っても無い事。こちらこそ、今後とも良き関係をば」
互いに低頭する。さて、塩冶は我が家を恐れていると見える。もし当家と戦にでもなったら立地上、孤立無援であろうな。そこで関係を取り持ちたかったという心算か。問題は田結庄よ。目障りじゃのう。
「しからば某はこれにて御免」
「おお、お待ちくだされ。二、三お伺いしたきことが。村井殿が塩冶家のご子息の後見をなされているので?」
村井何某がキョトンとした顔で動きを止めた。そらからニンマリと笑みを浮かべながらくるりとこちらに向き直り、大きな声で笑い声をあげた。そして一言。
「いえいえ、某は後見などしておりませぬ。我が殿に後見は必要ござらぬゆえ」
「必要ないと申されるのか。それで家臣はまとまるので?」
「ええ、もちろんにございます」
ゆったりとした動作で頷く村井。これは事実か。いや、謀っている可能性もある。稚児では家臣も着いて来ないはずだ。であれば、別の誰かが後見をしているのだろうか。
塩冶家であれば他は雪村源兵衛が居ったわ。彼奴が後見をしているのであろう。が、しかし何故それを隠すような真似をするのか。自身が後見出来なかったことを恥じているのか。それであれば付け入る隙があるぞ。
「いや、みなまで言うでない。ご子息の後見は雪村殿がなさっているのだろう。それもおかしな話よ。本来であれば其方に任せるのが筋というもの。そうは思わんか?」
「いや、そうは思いませぬ。いつの世も末々は若者が作って行くものにござります。老兵はーー」
そこで言葉を止めた。なるほど、儂に配慮したのであろう。もう七十手前じゃ。まだまだ村井は四十手前。儂からすれば其の方も若者同然よ。
「お気遣いは無用。なるほど、塩冶家は若き力が主体となっておるのか。であればどうだ? 其方、我が方に加わらんか?」
「折角のお誘いではございますが某は塩冶に骨を埋める覚悟。謹んで辞退させていただく。御免」
村井何某が退出した。儂の読みが外れたか。本当に雪村源兵衛に対して何も思っていないのか、それとも塩冶にそれほどまで忠誠を誓っているというのか。
もう少しで塩冶を骨抜きにできたものを。まあ良い。どの道、我らの敵ではない。問題は田結庄をどうするかだ。山名と組まれたらちと厄介だぞ。そしたら塩冶も加わってくるはずだ。
まずは田結庄を潰す。それから塩冶、山名と順に潰していけば良い。しかし、口惜しいのは儂に残された時間が少ないということじゃ。あと二十年、いや十年でもあればのう。
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