第28話 寸前
天文十八年(一五四九年) 五月 但馬国二方郡湯村 塩冶 彦五郎
その後の俺は部屋に籠り、ずっと算盤を弾いていた。食料の買い足しに領民の移動、それから具足と矢の用意に公方様と本願寺への賂。
と言っても実際に算盤を弾いていたわけではない。俺は算盤を使えないからな。砂を平べったい四角い箱に入れて、あくまでも筆算だ。紙なんて貴重で使ってられない。
しかし、赤字にはならないが黒字にもならないぞ。このままだとジリ貧だな。今年は土地を確保できた分、食料が増やせそうだし、その辺りの支出は減りそうだな。
俺は早く家畜か家禽を買いたいのだ。だが、山羊はまだ夢のまた夢だな。よし、家鴨と鶏を第一の目標にしよう。俺は鶏を何の躊躇いもなく食うぞ。食わねば死ぬのだ。
そんな計算も一段落ついたので、羽根を伸ばしにいつもの湯村温泉に浸かっていた。護衛は田七と九作だ。大方、サボれると思って来たのだろう。事実そうなのだが。
やっぱり温泉は良いな。欲を言えば石鹸が欲しい。そろそろ石鹸を作って見るか。紀元前に作れたものだ。作れないわけがない。
だが、上手くいかんのだ。動物の油と灰でできるはずなんだが、上手く固まらない。動物油の融点が低すぎるせいだろうか。
やはりアレか。牛とか豚とかの家畜を丸々太らせてたくさんの脂身を手に入れないと石鹸はお預けってことだな。はやく飼えるようになりたい。
「いやぁ、いいお湯ですねぇ」
「!? っそ、そうですね」
いつの間にか温泉に人が居た。誰かと思ってそちらを向くと何てことはない。弥右衛門であった。普通に話しかけてくれればと思うものの、何か聞かれたくない会話をするのだろう。他人のふり、他人のふり。
「そうそう、聞きましたか?」
「何をです?」
「熊波村と柤岡村が啀み合っているとか」
「これはまた……」
熊波村は七美郡の境にある村だったはず。そして柤岡村は二方郡にある村だ。どうやら既に上手いことやっているらしいな。
「なんでも水源を取り合っているとかいないとか。些細な行き違いが原因でしょうが収まることはないでしょうねぇ」
そう言いながら温泉で腕を伸ばす弥右衛門。少しこいつが恐ろしくなって来た。日本で水不足と聞くとおかしな話かもしれないが、水田には大量の水が必要なのだ。水はいくらあっても困らない。
「今のところ、表面上は両者ともに穏やかに過ごしていますが、ありゃもうすぐ爆発しますね」
「怖や怖や。君子危うきに近寄らずとも言いますし、当分は近づかない方が良いでしょうな」
「然り。……さて、私はこの辺でお先に」
それだけを告げると弥右衛門はさっさと上がってしまった。つまり、そろそろ爆発するぞということを言いに来たのだろう。ふむ、攻め込まれたくないな。田畑を荒らされたくない。
「砦を設けるか」
相手を防ぐための砦だ。それをどこに設けるか。うん、柤大池の辺りだな。ちょうど谷間になっているし、二方郡の神鍋高原へと続く道だ。
この平原を潰されたら堪ったものじゃない。今年の収穫が大きく減ることになるぞ。そうと決まれば直ぐに五郎左衛門に作らせよう。
そのための配下十人だ。彼らは工兵として手早く砦を立てるイロハを覚えてもらうぞ。もちろん、五郎左衛門にもだ。
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