第3話 頓挫

天文十六年(一五四七年) 八月 但馬国二方郡芦屋城


「さて、ここからどう動こうか」


 俺は茹だるような蒸し暑さの中、袴を捲り上げて布と皮膚の接地面を少しでも減らす努力をしながら自身の未来について考えていた。


 少なくとも塩冶氏と言う名を歴史の教科書で見たことはない。漫画や小説にすら出てきていないだろう。いや、出てきているのかもしれないが覚えていない。俺の中ではそんな存在である。


 つまり、このまま進めば台頭してくる織田氏や毛利氏に飲み込まれるだけだろう。流石にまだ死にたくはない。となればどうするか。強くなるしかないだろう。


 とは言っても織田や毛利を超えられる気はしない。であればどうするか。彼らが調略したがる武将になるということだ。そのためにも国を富ませて強くしなければ。


 まずは石高を増やすことが肝要だ。この一万石にも満たない、八千石の二方郡をどう差配していくべきであろうか。まず思いつくのが海だ。この二方郡は北側が海に面しており、西側が因幡国に面している立地である。


 そして居城の芦屋城は山の上に立っている堅固な山城である。つまり、二方郡には海と山の両方が揃っているのだ。こんなに嬉しいことはない。ただ、平地が少ないことを除けばの話だが。


 本来であれば農地の改革を行い、生産力を上げたいところだが如何せん俺の立場はあくまでも次期当主であって現当主ではない。自由に振る舞える立場ではまだないのだ。


 そこでまず、考えつくお金儲けが塩の生産だ。なんとか式の塩田だとか難しいことは俺にはわからない。ただ、海水を煮詰めて行けば塩を得られることはわかっている。であれば、それを効率的に進めていけば良いはずだ。


 煮詰めると言うことは火が必要になる。火の供給を安定的にするには炭を大量に生産しなければならない。そこで出てくるのが竹炭だ。


 竹の利点は何と言ってもその生育の速さと繁殖力の強さにある。枯渇せずに安定的に竹炭を供給できる仕組みを作れば良いのだ。昔、祖父さんと竹炭を一斗缶でつくった思い出がある。


「となれば、善は急げだな」


 まずは竹炭の生産から始めることにしよう。これは俺と源兵衛がいれば能うはずである。すぐさま源兵衛を呼び出して山へと登っていく。


「どこへ向かうおつもりですか?」

「竹林に行きたいのだ」


 子供の戯言だと思ったのだろう。源兵衛はそれ以上何を言うでもなく手近な竹林に案内してくれた。俺は拝借したままの二つ引が描かれている短刀で斬れそうな竹を採取していく。


 が、やはり稚児である俺に竹の採取はまだ早かった。なので代わりに源兵衛に竹を伐採してもらう。もちろん運ぶのも源兵衛だ。


 そして竹の採取が完了したら次は窯造りである。問題は一斗缶の代わりをどうするかなのだが、木では代用にならない。そして鉄で作るのも割りに合わん。となれば土で作るしかないだろう。まあ平たく言えば炭窯だ。


 炭窯の原理は理解しているし、そもそもこの時代に炭窯くらい何処にでもある。そこで俺は持てるだけの竹を持って居城に炭窯を拵える。というか拵えさせた。自分で作るよりも職人にやってもらった方が早いし正確だ。


「このようなところに炭窯など拵えて如何する心算でしょうか」


 俺の奇行が目に余ったのだろう。源兵衛が俺に問いかけてきた。


「決まっておろう。塩を取るのだ。海の水を沸かせば塩が採れる。それを売って銭を稼ぐ」


 自信満々に答える俺の顔を訝しそうに見る源兵衛。そして徐に口を開いて一言。


「なるほど。それであれば別に炭を作る必要はないのでは?」

「あ」


 確かに源兵衛の言う通りだ。落ち葉や枯れ葉、要らなくなった廃材など燃やせるものを何でも燃やして海水を煮詰めていけば良いのだ。最初から何も竹炭など必要なかった。


「確かに源兵衛の言う通りだ」


 ただ、既に炭窯の設置を依頼している。養父殿には叱られるだろうが、これも必要な経費だ。そう言うことにしておこう。俺は源兵衛を引き連れて芦屋城の麓にある漁村に降り立った。


「こちらへ」


 源兵衛に導かれるまま、歩いた先にあったのは塩田であった。どうやら塩冶でも塩は生産していたようだ。海が近くにあるのだから作らない方がおかしいか。名前に塩も入っていることだし。


 浜坂の港からちょうど船に荷を積んでいるところであった。近くに居る者に詳しく聞いてみようか。そうだな、あそこに座っている暇そうに煙管を吹かした男にしよう。


「御免、某は彦五郎と申す。いくつかお尋ねしたいことがあるのだが宜しいか?」

「へぇ、なんでございましょう?」

「此処では何を扱っているのだ?」

「主に塩ですな。ああ、後は槍や胴当てなどの装備も買い取ってますよ」


 戦場で奪い取って来られた物を、と目を細めて朗らかに男が述べる。つまり、乱取りした物を買い取っていると言うことだろう。戦国の世だもんな。みな、生きるのに必死だ。


「塩は高値で売れるのか?」

「まさか! 塩が高ければ誰も彼も干上がってしまうでしょう」


 確かにこの男の言う通りだ。古今を問わず塩は人間にとって必須だ。それを高値で売るようになったらその国に未来はないだろう。


「では、何が高値で取引されるのだ?」

「そうですねぇ。金銀は言わずもがな、砂糖や生糸。あとは干し椎茸などの乾物や俵物でしょうな」


 意外だったのは干し椎茸が珍重されていることだ。京の公家や坊主たちに高値で取引されているらしい。それであれば干し椎茸を量産していくことにしよう。


 まずはお金を稼ぐ。そして人を雇う。農民兵ではなく銭で兵を雇うのだ。これは常套手段である。それから種子島を揃える。塩冶家は身代が大きな家ではない。稼がなければ。


「助かった。ちなみにこの船は何処へ向かうのだ?」

「若狭の小浜です。と言っても若狭も段々とキナ臭くなってきましたがねぇ」


 はぁと溜息を吐く男。しかし、今の俺にはどうすることも出来ん。確か若狭は若狭武田氏が治めていたはず。と言うことは若狭武田氏が崩れると言うことなのだろうか。ま、今の俺には関係のない話だが。


「そうか。参考にさせてもらうとしよう」

「ええ。もし、何か必要なものがあれば何なりとお申し付けください。今後ともご贔屓に、塩冶の若殿様」


 この男、俺が塩冶家の跡取りだと分かって話していたのか。ジッと睨みを聞かせる。が、五歳児の視線なぞ高が知れてるというもの。男はどこ吹く風である。


「その方、名前は?」

「中尾四郎兵衛と申しまする。美作を本拠に商いをしておりますれば」


 美作の商人が此処まで来ているのか。まあ、美作に海はないからな。それでも普通なら備前に行きそうなものだが。何か用事があったのだろう。


「そうか、覚えておこう」

「今後とも良しなに」


 塩を売る考えは止めだ。利益が見込めそうにない。労多くして実り少な過ぎる。それであれば椎茸の栽培に精を出すべきだろう。


 屋敷に戻る最中、俺はずっと椎茸栽培に関して延々と思案を巡らせていたのであった。

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