第2話 確認

天文十六年(一五四七年) 七月 但馬国二方郡芦屋城 塩冶彦五郎


 正直に言うと訳が分からなかった。何故こうなってしまったのかも、そして自分の立ち位置すらも。

 なので惚けることにした。頭を打ったせいで記憶が混乱している、と。


 そこから俺は記憶が混乱していることを理由にこの三か月間、様々なことを教えてもらった。まず、今居る場所は但馬国二方郡と言って、現代で言うところの兵庫県北西部だ。


 そして俺を介抱してくれた老人こそが塩冶若狭守綱高えんやわかさのかみつなたかと言って但馬国は二方郡を治める一万石に満たない地方の領主であった。


 さらに俺はその塩冶若狭守の養子となったようだ。なので俺は直ぐに名を塩冶彦五郎えんやひこごろうと改めている。


 どうやら俺の身なりと家紋入りの小刀を持っていたことが幸いして勘違いしてくれたようであった。二つ引の家紋、これは足利氏の家紋と同じである。家紋の細部は微妙に違うものの、つまりはそういうことなのだろう。


 どうして養子になったのかと言うと、どうやら俺の元となった人物は因幡の姥ヶ谷城から親である吉見兵部大輔範仲と共に塩冶若狭守の元へと逃れてきていたようなのである。


 おそらく御家騒動でもあったのだろう。だが、吉見親子は逃げること能わず途中で死亡。そしてその死体の側に裸の俺が登場といったところだろうか。うん、つながったな。


 特に行く当てもないし、現代に帰れる目途も立っていないのでその勘違いを受け入れることにした。なので俺は塩冶彦五郎だ。


 なぜ俺に敬語を使っていたのか養父に尋ねてみたところ、吉見氏は源氏の棟梁である源義朝の六男で頼朝の弟にあたるそうだ。家格が違うと言うことなのだろう。だって二つ引の家紋だもの。


 それから自分のことも少しだけ思い出した。俺は北陸の農家に生まれたアラフォーの独身男性だったはず。東京にある上場企業の子会社のグループ会社のマーケティング部門で働いていた、ごくごく一般的な会社員だ。それが何でこんなところに居るのか。不思議である。


 ただ、現実問題として塩冶氏の養子になってしまったのだから、ここで塩冶彦五郎として生き抜く他ないだろう。何故、ここに居るのかを考えても詮なきことだ。


 よし、冷静に現状を振り返ろう。今は西暦何年だ。天文十七年と言われてもピンと来ないんだよ。そこで俺は側近である雪村源兵衛清蔵ゆきむらげんべえきよぞうにあれこれ質問することにした。


 この源兵衛という男は養父の覚えめでたく、文武に優れている二十代終わりの武士らしい。そんな男であれば俺が疑問に思っていることくらい、造作なく答えてくれるだろう。


「源兵衛。今の公方様は何方だ?」

「確か足利義藤様かと」


 義藤だと。全く聞いたことがない名前だ。俺が知ってる足利氏と言えば尊氏に義満、義政に義輝、それから義栄に義昭だけだ。ということはまだ戦国時代の真ん中辺りなのだろうか。いや、これだけだと特定が難し過ぎる。他に年代が分かりそうな質問と言えば、アレしかないだろう。


「其方、種子島なるものを聞いたことがあるか?」

「種子島……そう言えば殿よりそのような武器が存在すると耳にした覚えが。子細は覚えておりませぬ」


 そう言って頭を垂れる源兵衛。それを手で制して少し考え込む。種子島を耳にしたことがあるというのであれば、今は少なくとも一五四三年以降ということになるだろう。


 後、俺が分かりそうな出来事と言えば一五五一年の陶晴賢のクーデターとか一五五五年の厳島の戦いとかしかないな。今が何年なのか特定するのは諦めて現状の把握に努めよう。


「当家の現状を教えてくれぬか?」

「はっ。当家は但馬国の守護であらせられる山名右衛門督様の庇護下にある国衆と言うところでしょう」


 源兵衛は俺にそう告げた。ただ、子細を尋ねてみると意外とそうでもないようである。山名氏が完全に掌握できていたのは出石郡のみで、朝来郡には太田垣氏、養父郡に八木氏、三含郡と気多郡には垣屋氏、城崎郡には田結庄氏、七美郡には田公氏、二方郡に我々が割拠しているようだ。


 また、この山名右衛門督祐豊であるが、同族であり因幡守護の山名左馬助誠通と仲違いしているようだ。山名左馬助は尼子氏に擦り寄っているらしい。家中が一枚岩でないということは、主君を頼れそうもないな。


 山名も山名で右衛門督の先代の御屋形様が戦に負け、垣屋氏や太田垣氏など国衆たちにそっぽを向かれたとか向かれていないとか。御屋形様の立場は強くないのだろうか。


 となれば取れる選択肢は二つだ。一つは自領を富ませ精強な国へとすること。もう一つは主家を見限り、より強大な大名の庇護下に入るという選択肢である。


 源兵衛の説明では我々のすぐ西側に尼子氏の強大な勢力が控えている。我々単体と尼子氏が戦になれば意図も容易く潰されてしまうだろう。尼子氏は中国地方一の大大名なのだ。


「尼子氏の西は毛利氏だったか?」

「は? いえ、尼子氏の西に広がるは大内周防介が率いる大内氏です」


 何を言っているんだという目で源兵衛が見つめてくる。ただ、そんな視線はどうだって良い。これは俺にとって大きな情報であった。


 種子島銃が存在していて大内氏が存続していると言うことは、今が一五四三年から一五五一年の間であることを意味しているのだ。これは大きな収穫だ。


 ただ、一つ気になるのが公方こと将軍である。義藤って誰だ。まさか、俺は違う世界線に来てしまったのではないだろうか。例えば足利茶々丸が将軍位に就いた世界線とか。いや、まさかな。


「さ、もうよろしいですね。弓の稽古を行いますよ」


 源兵衛はいたいけな四歳児――どうやら俺は四歳児らしい――を担ぎ上げ、有無を言う間もなく俺を稽古場へと連行したのだった。

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