日ノ本の山賊、天下を狙う

上谷 岩清

第1話 はじまり

 胡蝶の夢と言うものがある。荘子の説話の一つだ。


 夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた所、ふと目が覚めた。


 はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話だったと記憶している。


 今、俺に起きているこの状況は夢なのだろうか、それとも。


◇ ◇ ◇


 何故か俺は険しい山の中に佇んでいた。そして俺の気分は最悪だった。何故ならば酷く激しい雨が降っているからだ。雨粒が大きい。そのお陰でびしょ濡れ。山の天気は移ろいやすいとはよく言ったものだ。


 その豪雨に晒されている二人の人間――いや、俺も含めれば三人か――が山中で雨に打たれていた。ただ、俺以外の二人は既に息をしていないが……。


 雨と混ざり、薄くなった血が俺の足元で溜まりをつくっていた。そこでハタと気づく。俺が一切、何も身に纏っていない、生まれたままの姿であると言うこと。


 と、言うよりもだ。何故俺はここに居るのだ。段々と意識がはっきりとしてくる。そして直前までの記憶を辿り始めた。


 確か爺さんの家の縁側で将棋を指していた事だけは覚えている。そこからの記憶が全く思い出せない。

 本来であれば色々と思案に耽りたいところではあるが、悲しいことに全裸でそれはないだろう。何とかするべきだ。


 動かなくなった二人から必要そうなものを根こそぎ頂戴する。言うなれば追い剝ぎだ。着物に足半、それに小刀だ。この小刀には二つ引両の家紋が描かれている。とすれば良いものに違いない。


 なぜこの人物が小刀を持っているのか定かではないが、深い山の中に居るのだ。ナイフの一つでも持っていてもおかしくはないか。


 ずぶ濡れの着物を身に着けるのはお世辞にも心地良くは無かったが背に腹は代えられない。そしてこの大雨を凌げるところに行かなければ風邪を引いてしまう。


 そして俺は気がつく。追い剥ぎをしている自身の手が小さいことに。普通に着物を奪おうとしたのだが、いくらなんでもサイズが大き過ぎる。


 がしかし、二人組の片方は今の俺と同じくらいの年齢のようで、衣服のサイズがしっくりきそうだ。こちらの着物を手早く着込んでしまう。死体の着物なぞ薄気味悪いが全裸よりはマシだ。


 なんで此処に居るのか、なぜ身体が小さくなっているのか考えなければならないことは山ほどある。しかし、其の前にするのは安全な場所へ移動することだろう。それから考えても遅くはないはず。


 さて、道は二つ。山を登るかそれとも下るか。そこで何故か俺は登る方を選択した。それは何故か。何故ならば高いところが好きだからだ。何とかは高いところが好きだと言うだろう。そう言うことだ。


 歩き始めて五分少々だろうか。向こうから二人の男がこちらに向かって来ていた。大河ドラマの撮影でも行っているかのような仰々しく歴史を感じる服装をしている。


 その二人がこちらに気が付くなり、勢い良く走り寄ってきた。何かイヤな予感がした俺は逃げようと足に力を込めた。


 それがいけなかった。足半なんざ履いたことも無いのに激しく動こうとしたものだから盛大に転んでしまったのだ。そこで俺は自身の意識を手放したのであった。


◇ ◇ ◇


「――! ――!!」


 何だか騒々しい。誰かが走り回ったり叫んでいるようだ。何事かと眠い目を擦りながら身体を起こした。するとこちらをいくつかの視線が捉える。


「おお! お気づきになられましたか、吉見様!」


 俺の方を向いてそう告げる老齢の御仁。年は俺の祖父と同い年くらいだろうか。訳もわからず呆けていると老齢の御仁がこちらの予定などお構いなしに話しを進めていく。ちなみに俺は吉見ではない。人違いだ。


 大層な着物を着て腰には脇差を差している。幼児に戻ってしまったからか、この老齢の御仁がいやに大きく見える。その御仁の直ぐ後ろには腕まくりをした女性が手拭いを濡らしていた。おそらく俺の看病に当たってくれていたのだろう。


 周りを見渡すと何やら歴史溢れる部屋に運ばれてきていた。太刀が立てられている。転んだ際に頭を打ったのだろうか。未だに痛みが走る。


「あのー、ここは?」


 痛む頭を押さえながら目の前の老人に尋ねた。すると老人は少しだけ気の毒そうな顔をしてから俺に告げた。


「ここは但馬国の二方郡にございます芦屋城でございます」


 但馬国だとか二方郡だとかこの老人は何を言ってるのだろうか。もしや既に呆けているのでは。それであれば直ぐに病院へ行くことをお勧めしたい。


 ただ、結論から言うとこの老人は呆けていなかった。呆けていたのは俺の方だったのだ。

 こうして、俺は訳が分からないうちに世に言う戦国時代へタイムスリップを敢行してしまっていたのであった。

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