「活字新世代のための新しい小説雑誌」――小説花丸が見た夢

(※ 昔書いてたブログ記事の再掲載です)




 昔、花丸ノベルズというのがあった。

 


 ◆ ◆ ◆



「ライトノベルってのはホモ小説ばかりですよね」


 といわれた時は、なんと応えていいのか解らなかったものであるが。

 確か一昨年の話であったと思うのだが、何年かぶりに再会した知人と話していてそういう風な話題になったのである。

 どういうような流れでそうなったというのはさすがに覚えてないのだけれど、彼は「ライトノベルといえばホモ小説」という思い込みをしていた。

 聞いてみると「安売りしてたのでまとめて買ったのがみんなそうだったから」とのことであり、彼はそうして遭遇したのがライトノベルの全てだと認識し、それは確固たるものとして定着しているらしかった。

 安売りしていたというのは恐らく新古書店ではなくて普通の古本屋だったのだろう。新古書店ならばともかくとして、そういう小さな店には比較的女性が入ることは少ないという。当然のように女性向けの本であるホモ小説――つまり、BLだのジュネ系だのの本は売れ残ることになる。それゆえにまとめての安売りということをしたと思われる。

 どうして彼が安売りしていたとはいえ、それらを「ライトノベル」と思って購入したのかはよく解らない。恐らく、イラストがアニメ絵とか漫画の小説ならばライトノベルであるという基準で選んだのではないかと考えられるが、そのあたりを聞くことを忘れていた。

 その時はただただ「ライトノベル=ホモ小説」という彼の認識を改めようとすることに専念してしまったのである。そしてにも関わらず、彼のその思い込みは変わらなかった。今もどうかは解らない。一昨年に会ってからそれっきりだからだ。

 しかし全てのライトノベルがBLであるという彼の認識は乱暴であるのだけど、果たしてライトノベルの中にBLが含まれることがないのかというとそうでもない。

 ライトノベル完全読本ではBLが特集されていたということもあるし、マリア様が見てるやキルゾーンなどが出ているコバルトにもBL系作品は存在する。少女小説をライトノベルに含んでおいて、同レーベルでのBLは除外するというのはダブルスタンダードもいいところだ。勿論、少女小説の中の特定の男子が見ても楽しめる作品がライトノベルであり、他はそうでもないのだとしたら、それはライトノベルというものが男性の視座においてのみ存在し得るということの傍証となる。

 ――のだが、そこらを突き詰めるとまた別の話になるので、ここではそれは触れるだけにする。

 ただ、少女小説とライトノベルの関係の難しさとを考える時に、決まって思い出すことが私にはあった。

 白泉社の花丸ノベルズである。

 この花丸ノベルズは、小説花丸という雑誌から始まっているのだけれど、1991年か1992年頃だったかに(調べたら1991年の11月発売だった )その創刊号を初めて書店で見かけてぱらぱらとめくった時は、思わずのげぞったものだ。

 そこには。


「イラストに負けない小説」


 と書いてあったのである。

 イラストの重要性については今では言うまでもない。当時でも誰だって知っていた。すでに富士見ファンタジアやコバルト、スニーカーが多くの作品を出版していた時期である。漫画絵のイラストがノベルスや文庫に導入され出したのは、久美沙織先生の「創世記」によると「丘の上のミッキー」が最初で1983年のことであるというが、アニメ・漫画系イラストが大きな特徴であるというのならば角川ノベルズの「宇宙皇子」とかソノラマの「吸血鬼ハンターD」とかの方がより顕著かも知れない。

 いずれこの時期にアニメ・漫画系イラストのジュニア小説(?)というのが出だしたのは、アニメブームの時代であったことからも必然的な事象であったと思われる。

 花丸が、そうした最初にアニメ絵・漫画絵が導入されだした頃からだいたい十年後に創刊されたということも(この頃は増刊だったと思うのだけれど)、それが一過性のブームではなくて、小説にはなくてはならないものとして定着しきったことを表わしていたのかもしれない(実際に二号目の読者投稿コーナーでは、表紙の星野架名のイラストにつられて買ったというような投書が幾つもあったと思う)。

 にしても、挑発的な言葉である。

 創刊号は手元にはないのだが、記憶では氷室冴子と夢枕獏の二人の対談のテーマであったように思う。この二人が出ているという時点で、花丸は今とは全然違うものを目指しているのは確かだった。

 ラインナップはさすがに思い出せないものも多いが、当時は宇宙一の無責任男シリーズで快調だった(失速していた時期かも)吉岡平が「婦警さんはスーパーギャル」なんてのものを書いてたし(白泉社ノベルズで出ているので厳密には花丸とは違う扱いになってるらしい)、他にも冒険だったりファンタジーだったり男女のちょっと変わった恋愛ものだったり。さまざまな作品が寄り集まっていた。

 イラストに負けない小説――というのは、どうにもこの雑誌の編集をしていたH田氏という人が提唱していた風である。


 印象だけしか残ってないが、このH田氏は随分とシニカルな口調でファンページなんかでコメントしていたように思う。何処か斜に構えたかのようなものの言い方をしていた。

 果たしてH田氏が花丸を創刊するに当たってどの程度の意思決定能力があったのかは外部からでは窺い知れなかったが、氏が編集している花丸に対し、当時高校生だった私は何かを期待した。その何かが具体的にどういうものであったのかということは自分でもよく解らなかったけれど。

 思い返すと、花丸の増刊時代は様々な作品が掲載されていた。

 古代日本を舞台にしたと思しき和製ファンタジーやら(表紙から判断すると安芸一穂の作品らしい)、小説家の女性が自作品で散々痛めつけた男と作中の林檎の精の役目になって出会い、恋愛するというようなちょっと不思議な恋愛小説もあった(イラストは坂田靖子だった気がするから、多分、岡田貴久子の作品だと思うのだけど違うかもしれない)。そういえば北原尚彦もスペースオペラを書いていたし、後にパナ・インサの冒険を書き「金の海 銀の大地」のイラストを書いた飯田晴子がデビューしたのも花丸誌上でのSF短編漫画であったように記憶している(創刊号ではなくて三号目くらいだったかと記憶していたのだけど、表紙を見ると創刊号だった。いい加減だ)。

 花丸ノベルズをAmazonで検索して初期のラインナップを眺めてみると、なかなかに意外な名前がでてきて驚く。勿論、意外というのは現状から見て、という意味でだが。

 流星香、伊吹巡、妹尾ゆふ子、野梨原花南、高瀬理恵……。

 ざっと見ただけで、他レーベルでも名前を知っている人物が結構いた。どうにも花丸創刊からなる花丸ノベルズの前に白泉社ノベルズというのがあって、そこでデビューした人とかもいるようだ。この辺りの扱いは花丸を白泉社ノベルズと呼んでたりで混乱がある……というよりも、あんまり区別がされてなかったのかも知れない。一応は初期花丸ノベルズの作品目録を見ると、霜島ケイなんかも書いてたらしい。他にも大陸書房で書いてた人を引っ張ってきてたりで、かなり広範なところから人を集めていたようだ。

 恐らく、であるが、小説花丸は白泉社ノベルズを定期刊行するための雑誌媒体として生み出されたのだろう。実際に婦警さんはスーパーギャルなどが連載されていた訳だし。雑誌もその路線で――つまり、当時流行っていた富士見や角川、コバルトに準ずるライトノベル路線でいく予定だったのだろうとは、容易に推測できることだ。対談に出ていた氷室冴子や夢枕獏にしてからもそうである。この二人の名前は現在の花丸の読者にとってはキャッチーではない。上記の表紙キャッチコピーの「活字新世代のための新しい小説雑誌」という言葉や、H田氏のいう「イラストに負けない小説」ということも考え合わせると、この推測はそう間違ってもいないと思う。

 当時の私がそういうことを気付いていたのかは疑問であるが、前述したように私はこの雑誌が何を作り出すのかを期待していた。恐らくは「活字新世代のための新しい小説雑誌」という表紙のキャッチコピーを真に受けて、すでにライトノベル業界の中で磐石の地位を築きつつある角川スニーカーや富士見ファンタジアらに対する(当時の私はライトノベルという言葉を知らなかったけど)新しい波が生じるのを期待していたのではないか。いや、波が来るのだと恐らく確信していたのである。それは「イラストに負けない小説」なるH田氏の言から得た、あんまり根拠のない確信だった。そしてその波の創成期を目撃した歴史の証人の一人になりたいと望んでいた……のだろう。多分。高校時代の私は、その程度にはオタク気質に無意味な虚栄心を持ち合わせていた。

 そして、それは花丸の新人賞の投稿規程などを読んでなおさら助長されていたはずである。

 花丸の新人賞の規定は――記憶に頼るなら――原稿用紙二十五枚以上無制限であったのだから。

 しかもフロッピーディスクにまとめての投稿もありという大盤振る舞いである。

 ここまでゆるゆるな制限の小説の新人賞というのは今時そうそうない。

 当の花丸でさえもそのままではないはずである(と思ったけど、サイトを見たら今の規定でも上限はなかった(※)……恐ろしい)。何せ理屈の上では書き溜めた大長編を送ってもいいわけで、編集の人はさぞ苦労するだろうとは思ったが、これは高校生であるわたしにとってもチャンスだった。何せ原稿用紙二十五枚以上でいいというのは短編でもオッケーということであるからだ。当時ワープロなんぞ持っていなかった私にとっては、いちいち修正などをしないといけないことを考えると手書きでは長編は完成させる前に気力が尽きるばかりで、しかし数少ない新人賞では長編しかなく(※電撃……当時はまだでてなかったかな。あとはコバルトとかだけど不覚にも視野の外だった)、それらに比べれば遥かに容易にプロへの道が開かれたと思えたのだから。その上に創刊号のラインナップの節操のなさというか多様さからも、より自由度の高い作品の受け入れがされるように思えるのだ。

 結局――

 私は、新人賞に出すことはなかった。

 今ほどにもない技倆では、満足にいく作品を書き上げられなかったのである。

 そして、私は花丸の続刊を買い、新人たちのデビューを見ることになるのであるが。

 今はどうか知らないのだが、当時の花丸は編集だの下読みさん?だのによるクロスレビューなどで評価されていたように記憶している。一次選考とかはさすがに下読みさんがしていたと思うのだけど、十かそこいらになった作品をめいめいに適当に評していた。と思う。印象に残っているのは三つだけで、もしかしたらその三つだけしか出てなかったのかも知れないのだが。

 その三つというのがどういうものかというと、一つは何か少女の一人称のSFアクションであった。超能力に目覚めた女の子が敵と戦うという話で、その第一章にあたる話だと思うが、最初の空港か何処かの部分が花丸で掲載されていた。内容も朧だしタイトルすら覚えてないのだが、やたらと“――”が多い文章であったという印象がある。それに硬質な感触もあった。当然の話だが、今の花丸(※)では到底載らないような話である。

 もう一つはやはりSFというかファンタジーで、幾つもの世界の中のファンタジー世界の話で、竜と女の子が関わる話だったと記憶している。この話についてはもうちょっと記憶が残ってもいいはずなのだが、どうしてか覚えていない。これもプロローグに当たる部分だけが掲載されていたと思う。

 そして最後の一つは掲載さえされてなかった(と思うのだ)が、二千枚だか五千枚だかのやたらと莫大な量の架空中国戦記ものであったらしい。上限なしということなのまだからそういうこともあるとは思っていたのだが、本当に本気でそういうものを送りつける人がいたとは……と呆れたように記憶している。というか、そういう千枚以上の投稿という程度にしか覚えていないのだけれど。

 そんなこんなで、新人も集まりだし、連載作品も進み、花丸はまずまずのスタートを切った。

 切ったように、思った。


 その後の変化は突然ではなかった。


 往々にして、変化というものはいつの間にか始まっていて、気付いた時には終ってしまっているものである。

 それでも兆しというものはあって、最初にそれを感じたのは飛天のSFモノからであったと思う。もしかしたら、もっと別にもっと速くに気付いてたのかもしれないが、今思い出せるのはそれからだった。

 確かおぼろげに覚えている内容では、なんかすげー美形に蹂躙された過去を持つやっぱり美形な少年が宇宙の騎士団みたいなのに入る話であったと思う。この時には、しかし何の危機感も覚えてなかった。同時期の花とゆめですら男同士の恋愛を描いている作品は限りなく少数派になりつつある時期であったし、同性愛が出てくるというだけならば魔夜峰央が創刊号で「ホモじない」なんてギャグの短編を出している。恐らく「まあ本橋先生だっているしさー。あとツーリングエクスプレス。一成はどうすんのかなー」なんてことを思いながら読み流した、のではないかと思われる。  

 まさかこの頃に少女小説の世界に変革期がきつつあったなどということも思いもよらなかった。

 創刊から一年ほどたってみると、気がついたら花丸誌上で吉岡平やら安芸一穂やら北原尚彦やらの連載していた作品の名前はなくなっていた。そうでなくとも積極的に読もうと思った作品がほとんどなくなっていたのだが、それはまだ普通に恋愛小説とかコメディとかが増えたというだけで、しかし創刊号の頃のような雑多ともいえるほどのパラエティ溢れるものではなくなっていたということである。

 その時期には(当時の花丸は少なくとも月刊ではなかったので、一年でどれだけ出たのかはよく解らない)私も当初のような期待は抱かなくなっていた。というより、期待の抱ける時期はもう過ぎ去ったのだと理解していた。夏はもう終ったのだといったほうが文学的だろうか。もっとも夏の前には春があるのが順番であるから、私の注目していた時期は、芽生えの季節である春であったのかもしれない。以降の花丸の変遷を考えると、夏はこの頃から始まっていたのだ。

 そしてその日差しの強さに夏を想う時は、もうそれの真っ盛りであるのが常だ。

 いつの間にか、誌上の大半が同性愛の――いわゆるジュネだのBLだのと呼ばれる作品ばかりになっていた(この当時にBLという言葉があったのかどうかはわからないのだけど)。少なくとも、そのようなニュアンスの強い作品が多くなっていた。

 探偵モノなどはまだしも女性が登場していたし、コメディ調の作品はノンケな主人公が美形に迫られるというような展開であったと記憶していたるのだが、確たるものではない。それらでも男性同士のカップルが目立って活躍していたような印象もある。

 正直な話をいうと、この頃の花丸は惰性で買っていたのでほとんど覚えていないのである。

 ただ一つだけ記憶に残っている作品があって、それは死んだ少年の魂が少女の中に入るという、いわゆるTS(トランスセクシャルの意)モノであった。後に調べたらそれは「ふたりめの蘭子」という作品で、読み返してみると確かに最初の方の溺れるシーンなどは覚えがあった。この作品の作者は微かに存在を覚えていた探偵モノの人でもあったのだけど……それはつまり、そのような作品が男女を交えた探偵もの以上に優先されるようになった、ということなのだろう。

 今回の調査で、もう一つTSの作品が刊行されているのが確認できた(「六月の知恵の輪たち」という作品で、「ふたりめの蘭子」とは逆に主人公は少女から少年になっている)。時期はふたりめの蘭子の刊行の少し前である。だとすれば本格的にBLに移行する前の過度期の橋渡し的な存在としてTSがあった……と考えると文脈としてすっきりするが、それはちょっとできすぎである。

 なお、「ふたりめの蘭子」のあとがきの中で(※)「男同士の恋愛でやれ」というような注文が編集部であった旨が書かれていた。「ふたりめの蘭子」では、もう一人のTSキャラがいて、そちらは少女から少年に代わっていたのである。以降はそちらをメインにした少年同士(精神だけ片方は女だけど)の恋愛にするようにと。実際に書き下ろしの短編はその内容であったし、花丸の方でもその続きは幾つか書かれたらしい。このあとがきが1993年の六月頃のものであった。だから恐らく、花丸の決定的な方針の転換はこの何ヶ月か前の、1993年の前半か、その前の年の後半であったと思われる。

 ともあれそんな感じで花丸は変容していったわけだが。私自身の嗜好としてはBLは好みではないし、今となっては「いや、それもアリだろう」とか思ってはいるのだが、当時は高校生であった。視野は狭く、度量はより狭い。いつの間にか新人賞に送ろうなどということは考えなくなっていた。それでもなんとなく買い続けたのは、もう本当に惰性としかいいようがない。あとH田氏の毒のある口調を読者の投稿コーナーだか雑記で読むのが楽しみであった。それも、その読者コーナーで、確か苗字に松がついていたと思うのだが、激しい文調で「流行に追従してBL専門になったのは許せない」というようなことを書いてある投書を読んだ時に「ああ、もう終っていたのか」と何かひどく心の中にある、かろうじて張り詰めていたものが萎えていったのを覚えている。

 以降、私は花丸を買うことはなくなった。



 結局、それからさらに何年かたった1995年の12月に、花丸は増刊号ではなくて、小説花丸として創刊し直した。

 それはかつて目指した「活字新世代のための新しい小説雑誌」ではなくて、BL専門レーベルとしてであった。その翌年に漫画花丸が創刊され、そして花丸文庫が生まれた。



 なんでこんなことになったのだろう……花丸の小説を本屋で眼にするたびに考えるのだが、「そういう時期だったのだ」としかいいようがない。

 あまりそっちのジャンルには詳しくないし、ネットで調べてもちょっと煩雑なので未確認なのだが、どうにもこの前後の年にBL系レーベルが幾つも立ち上がっていたらしい。

 件の投書でも「流行に」とあったから、多分、この頃はそういう小説が人気が出た時期なのであろう。どういう事情で流行ったのかというのはそれこそ門外漢なので不明である。とにかくそんな時勢であったから、花丸の新人賞はどんどんとその系統のものが増えていったようだ。いや、本当にそこらの記憶は曖昧なのだが。ただ、新人賞の二回目からほとんど印象にないのは、やはりそういうものばかりで読む気がしなかったのではないか。

 そしてそのことは花丸の編集方針に大きく影響を与えていったはずである。雑誌のコンセプトに多大な力を持っていたと思しきH田氏は、その方針転換にどう関わっていたのかはよく解らない。不本意だったのか、あるいは予定されていたものであったのか。そもそも当初のコンセプトが崩壊して以降も関わり続けたのか、それとも別の部署に移動してしまったのか。花丸から離れた私は知らなかった。

 H田氏の行方が知れたのは、そのさらにずっと後になって、白泉社My文庫というものが創刊された時である。

 2001年の九月になって創刊されたそのレーベルは、ややBLの要素は残しているものの、全体的にいわゆるライトノベルとして出発していた。

 多様な顔ぶれであり、それはかつての花丸を何処か思い出させて。その中のどれだったかは覚えていないが、あとがきを見るとH田氏の名前が見えた。久々の氏が誘いによってこのレーベルで書いたのだということが記されてあった。


 この白泉社My文庫がH田氏の復讐戦であるのか否かは、あくまで外部の人間である私にはうかがい知ることはできない。

 ただ、私はこれらの顔ぶれにかつての花丸を思い出し、そしてまた波を――かつてとは比べ物にならないほどに小さくだが――期待した。

 電撃も富士見もスニーカーも世代交代をして、かつてとはまるで様相の違う現在において、多少の波風などはまるで意味を成さないということは知っていたのだけれど。


 白泉社My文庫は九冊だけ刊行して、消えた。

 一年と続かなかった。

 

 その後のH田氏の行方は知らない。



 ◆ ◆ ◆



 昔、花丸ノベルズというのがあった。

 今も続いていて、数多くの人気シリーズ、作家を輩出している。


 しかしその当初の姿を覚えている者は、もう少ない。







 追記。

 花丸新人賞の初期に受賞した作品はBL以外のものも少なからずあって、そのうちの幾つかは花丸ノベルズとして刊行された。

 そして上述した第一回の新人の中では、竜と女の子の話――ドラゴン・ザ・フェスティバルのみが本になった。

 それは「活字新世代のための新しい小説雑誌」だった頃の花丸を偲ばせる唯一の証拠として、今も私の本棚の何処かに埋もれている。

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