相心流棒術の思い出。(四)
相心流――『三尺坊相心流兵法』と、その伝書には書かれていました(注一)。
オークションに出されていたもので、出品者は徳島なのだそうです。どうもそれで、私が以前にツイートした『相心流』のものに間違いないだろうと。
私もそれを見て、改めてこの流派のことが気になりました。
伝書の発給者は「井上恰」という人で、井上清五郎という人にあてたものでした。同じ姓名ですから、もしかしたら親子なのかもしれません。
他にもその伝書には書かれてたのですが、たいした情報量ではないのでここでは省きます。
せいぜい、明治に発給されたということくらいしか解りません。
しかし新しい情報をおよそ13年ぶりに摂取した私は、ネットの情報もあれから増えたかもしれない――と思って、何気なく検索してみました。
そうすると、とある古書店のサイトがでてきて、
「相心流棒術伝書二巻」
とありました。
その時の私はスクショをとるの忘れていたので、伝書の内容についてはそれくらいしか覚えていません。
ただ、解説文はその時にツイートしていて
「柳生但馬守門弟木村郷衛門道統」
と書いていたようです。
そうなんです。
柳生
なんです。
いきなりここでメジャーな人名がでてくるだなんて予想しておらず、私は驚いてしまいました。
『武芸流派大事典』にもろくに記載がない流派から、まさか柳生但馬守宗矩なんてビッグネームがでてくるとは思わず、私はこの「木村郷衛門」で検索してみました。
そこで出てきたのが、
「柳生神影流」
なのでした。
私は本当に、心底からびっくりしてしまいました。
この流派は、徳島に唯一現存している古武道流派として、私は当時から知っていたのですから。
その割に、開祖の木村郷衛門の名前を失念していたのはどうかと思うのですが、それはそれ!として、ここで初めて私はこの流派について推論してみました。ようやく、推論に足るだけの情報が集まったのですから。
まず柳生神影流について確認してみますと、(注二)、木村郷右衛門という人物は柳生但馬守宗矩の弟子で、安土桃山時代から江戸初期に阿波に派遣されたという剣士とのことです。
『相心流』の伝書には「木村郷衛門」とあるようですが、『柳生神影流』の「木村郷右衛門」との表記ブレの範疇と考えてよさそうです。
つまり、木村郷右衛門から出た門下の中から、『相心流』を称する流派が出たと。
私はそう考えました。
というか、他に考えようはなかったです。
当時は。
そうして私の、20年近くの疑問がこうしてごくごくあっさりと、相互フォロワーさんによる伝書の発見によって、一気に明らかになってしまったのでした。
そう。
当時は、本当に、そう思っていたのですが―――。
数年後、さらなる混乱に陥るとは、私も思っていなかったのでした。
(つづく)
注一 該当ツイートの方に連絡がつかなかったので、URLは未記載です。
注二 「柳生神影流」は、関ヶ原の合戦前に土佐の長宗我部氏監視の為、阿波(現在の徳島県)に派遣された柳生宗矩公、十兵衛公直門である木村郷右ヱ門尉義邦によって伝えられた徳川将軍家御流儀の流れをくむ柳生新陰流(江戸柳生)の一つであり、正式名称を阿州柳生神影流兵法剣術という。
と、公式サイトhttps://kyubukan.net/yagyu/に記載されている。
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