四国遍路の裏事情(というほどのことでもない)
もう一年以上前ですが、近所に住んでいたニセお遍路さんが亡くなりました。
◆ ◆ ◆
奇水です。
電撃文庫とかで主に仕事しています。最近は書いてないので、そろそろこれを言うのも白々しくなりましたけど。
特に隠しているわけではないですが、私は四国に住んでいます。
四国というとお遍路さんですね。
いや、ちょっと強引な飛躍だったかもしれませんが。
一定の順路に従い仏寺などの霊場を参詣して回ること。弘法大師の修行の跡とされる四国八十八ヵ所の巡礼,西国三十三所の観音を回る西国巡礼などが特に知られる。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「遍路」の解説)
もうちょっと解説は続いていくのですが、とりあえずこの部分だけでだいたい伝わるかと思いますし、これだけで解らない人のために、もうちょっと砕いて、ちょっとだけ細かく説明を続けますが。
霊場巡りを参拝して回ることを「遍路」といい、それが特に盛んな四国霊場八十八ヶ所巡りをしている人を、四国では「お遍路さん」と呼んでいます。他の地方の事情は知らないので、そちらでは「お遍路さん」と呼ばないのかもしれませんが、そこらは今は重要ではないですね。
とりあえず現状では、「お遍路さん」といえば四国のそれをさしていることが多いです。
そして私の今住んでいる家の近所に、その遍路さんのニセモノの、ニセ遍路さんが住んでました。
名前はFさんとしましょうか。
四国の事情をよく知らない人がニセ遍路さんと聞いても混乱するかもしれませんが、書いたそのまま、お遍路さんのニセモノです。
この場合の「お遍路さんのニセモノ」というのも、なかなかややこしいところがあって、実はお遍路さんの格好をしていても、信仰心から霊場巡りをしているわけではない人たちというのはかなりいるのです。
そこらを細分化するとかなり色々あるようですが、大雑把には
・信仰や観光とも関係なく、霊場を巡ってお遍路さん用の接待を受け続けて生活している
・信仰や観光とも関係なく、霊場を巡らずお遍路さん用の接待を受け続けて生活している
に分けられると思います。
しかし前者は一応、霊場巡りはしているわけで、信仰とも関係とも関係がないという、厳密な意味ではニセモノになるでしょうが、普通、このひとたちも「お遍路さん」として扱われます。
ちょっと奇妙な話に聞こえますが、お遍路さんの格好をして、お遍路さんのように振る舞っている人たちは、お遍路さんとして巡っていようといまいと、お遍路さんとして接待する……そのような、なんというか慣習?のようなものがあるのです。
私の祖父はこのようなお遍路さんの格好をした、接待だけで生活をしている人たちのことを「へんろ」あるいは「ヘンド」と呼んで区別していました。
「ヘンド」はそのまま「物乞い」という意味に転じてもいたようで、さらにそこから罵倒語としても使用されていたようで、私が中学、高校の頃では「ヘンド」と口にする人はいました。
ここらは個人差、地域差もあると思うのですが。
まあ私が見知っているお遍路さんの話も、過去、そして現在の一部地域のものに偏っているので、他県のお遍路さん事情の細かいところは私もよく解らないです。しかし例えば、黒咲一人先生の実録漫画『55歳の地図』のような、四国遍路に加わった人たちが様々な本を書いており、その人たちの体験を通して色々なお遍路さんの姿が垣間見えてきます。
前出の『55歳の地図』では、何処かの商店街で托鉢を受けようとしたところを、そこを縄張り?としているお遍路さんに叱られるシーンがありましたが、定住してもお遍路さんの姿をして、そのまま接待を受け続けている人というのはままおられるようです。
お遍路さんは霊場巡りしているからお遍路さんなわけで、定住してしまってはお遍路さんの格好をしていても、お遍路さんとはいえませんね。
とはいえ、その姿をしているからには接待をし続けるのが四国の多くの人間にとっての習慣ですから、実態として同じであるし、巡っているか定住してるかの差はたいしたものではないかもしれません。
Fさんもそういう定住したお遍路さんの一人……つまりはニセお遍路さんだったわけです。
このFさんとどういう経緯で付き合いが始まったかについては、そこらの事情は煩雑になるので語りませんが、話を聞くと、元々はお遍路さんとして四国を巡っていたそうで、真言宗などにも興味はあって、たまに図書室で合うと、その関係の本なども読んでいたことがあります。
さすがに歳をとってお遍路さんを続けていくのもしんどくなり、私がお世話になつている大家さんと知り合いだったので、住居を世話してもらい、大家さんの雑用などをこなしつつ、托鉢を受けに近所のメガディスカウントや、札所のお寺などにいっていたようです。
それでどれくらいの収入があるのかと聞くと、多くて1日三千円くらいにはなってたようですが、それが労力に見合っていたかは、なかなか謎です。自転車で片道で一時間くらいは、普通に走ってましたからね。毎日それだけ入るわけでも、なかったでしょうし。
Fさんは早朝の三時とか四時頃に私の住んでいる家にふらっと入ってきては、同居人氏が持ち帰る廃棄弁当の一部を持っていってました。
その代償にというわけではないですが、Fさんはたまに買い物を頼むと托鉢の帰り道に買ってくださったり、廃棄弁当などでは不足しがちな野菜などをもってきてくれてました。
家庭菜園のようなものを作っていたというのもありますが、何年と行き来しているうちに、札所の関係者やその近所の農家とそこそこ親しくなっていたようで、そこで食べない廃棄の野菜などをよくもらっていたようです。
そんなわけで、ある種のWin-Winな関係だったとは思います。私が足を悪くして、ほとんど出歩けなくなってからは、話し相手といえばFさん以外はほとんどいませんでしたし、朝方まで適当に起きて、Fさんと挨拶と雑談を軽くこなすのは、私の日課のようなものになってました。
まあたいした話はしませんでしたけど。
Fさんがいうには、接待を目的に巡り巡っている遍路というのはかなりいて、その人たちは札所や善根宿などで顔を合わせると情報交換をし合うようで、当時のFさんのところにも、たまにそういう人たちがやってきては、数日泊まってたりなどしていました。
それである年の夏に
「今年も暑いですね」
「暑い。本当に死ぬほど暑い」
「まだ熱中症で死んだって人の話はでてませんけど、時間の問題ですかね」
「いやあ、お遍路で何人もバタバタ死んでるって聞いたよ」
そんなことを言ってました。顔見知りから聞いたのでしょう。
真偽の程は不明です。
所詮は噂話でしかないですからね。
何処かのお寺の揉め事なんかも聞いたことがありますが、あれも本当だったのかと今からすると思いますが、そういう噂話でも、数少ない話し相手だったので、楽しく聞いてました。
そうして一年とちょっと前、少しの移動で汗ばみだした6月の終わり頃、Fさんは亡くなりました。
心筋梗塞だったか心臓発作だか、家でソファーに横たわりながら、眠るように亡くなっていたそうです。
私は足が悪く、Fさんのその後の葬式(家族は結構近所に住んでいた)にもいけず、死んだとかそういうのも人づてに聞いただけです。
ほんの、歩いて一分のところに住んでいたんですけども。
死因も詳しいことは聞いてません。
まあいい年でしたから、ちょっとしたことですぐ亡くなったとしても不思議ではないんですけど。
◆ ◆ ◆
Fさんが亡くなってから一年ほど経過しました。
まず最初に思い出すのは、先述したお遍路さんたちが熱中症でバタバタ死んでいるという話です。
けどまあ、これは夏という季節に紐づけられているからでてくるもので、あの頃はまだそんなに暑くなかった気はします。
一年がたち、Fさんの不在にも随分と慣れました。
正確には、Fさんが死んだということをようやく実感できたというところでしょうか。死に目にもあってませんでしたし、本当に突然のことで、その日も朝に会って話をしてましたから。
人の死を受け入れるためには、それ相応の段階があるのでしょうね。
だから亡くなってしばらくは、朝方まで起きているとFさんがふらっとまたやってくるのではないか……そんな気がしていたものです。
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