三点リーダーの話

「奇水先生は、リーダーは偶数に統一しないんですか?」


 そう聞かれたのは、デビュー作刊行の二ヶ月くらい前だったと記憶しています。

 聞かれたといってもSkypeチャットでしたので、読んだというのが正確なところですが、最初それを読んだ時は意味が解りませんでした。

 まずリーダーというのがよく解らず、それを偶数というのがさらに解らない。

「三点リーダーのことですよ。『…』です」

「ああ、それ。それ三点リーダーって言うんですか。なんか聞いたことがあるかも」

「リーダでもいいんですけど。呼び方は色々とあります」

「はい。で、偶数とか奇数とか決まりあるんですか?」

「普通、偶数にする人が多いですね」

「それは初耳です」

 厳密にいえばそうではなく、その時点から遡って五年くらい前に、某巨大掲示板の二次創作関係のスレで、リーダーの数の議論をしていたことはぼんりと覚えていました。

 確かその時は

『俺もどうでもいいと思っていたが、先輩がそのような形に洗練されてそうなったのは、それが読みやすいからそうなったのだと言われて、納得した』

 みたいな意見を読んで、「世の中にはどうでもいいことを議論している人たちがいるのだなあ」と思った記憶がありました。


 はい。奇水です。

 というわけで、今回は三点リーダーの話です。

 さすがに病気ネタとかばかり続けていても気が滅入るんじゃないかと思って、とりあえず作家らしく創作論の類の話でも……と思いましたが、すぐにネタのストックもないので、時折にちょくちょく話題になる三点リーダーの数について。

 恥ずかしい話ですが、当時私は三点リーダーの呼称はうろ覚えでした。

 キーで『…』を出す時にそのように操作していただけで、気にしていなかったというだけのことですが。

 言い訳をさせていただくと、ここらのキーや記号の呼び名は気にしない人は気にしないもので、先日に『―』について現在五十代のとある先輩作家に伺った時は「ダッシュ?」と聞き返されてしまいました。私も確かこの三点リーダーの話と関連して覚えた気がします。

 もしかしたら、ここらを気にするのは世代的なものも関係するかもなんですが、そこらの検証はまた別の機会にするとして。

 その時は担当編集様と随分とやりとりすることになるのですが。


「なんかそういうルールがあるんですか? 私は全然聞いたことがないんですが」

「本当に?」

「昔集まってた創作グループでも、全然。リーダーの数なんて気にもしてなかったですね」

「そのグループだけ……たまたま気にしない人が集まった、ってことはないですか」

「そんなこと、あるんですかね? そういえば、私が書いてた二次創作で超有名だった作品があって、それなんかは中黒適当に4つ5つ並べているだけだったけど、そこらに文句つけている人は見たことなかったですし」

「なんてタイトル? ――――ああ、これは有名な作品ですね。というかまだ続いてたんですか」

「何処まで続くんですかねー。私もここ二年くらい読んでないかも。あとでまとめ読みしようかな」

「いやそれは修正作業終わってからにしてください」

「商業小説では、新井素子先生の『・・・・・絶句』がありますし」

「そういえば、それがありましたね」

「はい」

「よく考えれば、なんでそうするのか、僕も知らないですね」

「ルールってな、往々にしてそういうもんですな」

「ちょっと待ってください。興味がでてきたので調べてきます」

「はあ」


 ……まあだいたい、こんな感じのやりとりでした。

 それからほどなくして、とある下読み経験がある人が、下読みはリーダーが奇数の投稿作を見て笑っている、みたいな話をツイートされて、ちょっと話題になったのですが。


「そこまで重要に考えている人間がいるとは思わなかった……」


 と正直に思いました。

 何せその時の私はというと、シーンごとの雰囲気や文章のリズムに合わせて適当に使用していたし、読書歴的にも倍角も擬音も平気で使う、自由奔放な小説をよく読んでいたので、偶数がマナーだのルールだのという言説があるということ自体が驚きでした。

 色々と証言を集めると、「感想でそう指摘してもらって知った」から「国語の授業で聞いた」まで色々とルートがあり、作家の先生でも「80年代頃にライターのための文章教室でそう習った」「新聞だと三点リーダー偶数」「漫画だと別にそうではない」「ゲームだと」など色々とあります。

 検索すると、『小説作法』を謳う記事などではこの三点リーダーは偶数で使用するべきである、というようなことが書かれているではないですか。

 挙げ句に「三点リーダーを偶数で書いてない作者の作品は読む価値がない」くらいのことまでいう人もいました。そこまででなくとも「三点リーダーを偶数にしてない文章は読んでて気持ち悪い」まであります。

 凄い。

 そこまで三点リーダーを偶数にするのしないのは、小説を書く上で重要だったとは…!

 その時点で二十五年ほどワナビしてて、それまでに何百何千冊と小説を読んでて、全然知らなかった。

 私が一心に小説書いてた頃、周辺でそういう話がされてただなんて。

 まあそれはそれとして。

 

「結局、どうしてそういう風な話がでてきたのかは解らなかったですね」


 担当様はそのように言われました。

「話の出どころは解らないんですが、というのが現状です。要するに慣習です」

「いつの間にか、そうなっていたと」

「そうですね。調べた限りでは、何か強力な根拠があってそうなっているというのは見つかりませんでしたから。そうとしか言いようがないです」

「今の段階でも、『これが正しい日本語』『小説を書く上でのマナー』って意見は見かけますけどね」

「リーダーはそもそも日本語じゃないでしょ」

「…………」

「まあ日本語として扱う場合としても――えーと、wikiにある、文部省教科書局調査課国語調査室が作成した『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』が影響したという説ですか? これもあくまで案であって、決まったことじゃないですしね」

「ああ、それは見逃してた。けど『テンテンと同種の記号として会話で無言を表す点9つのテンセンを示しており、項目のつなぎもテンセンとしている』とあるな。これは今のリーダーの使い方とかなり似てない?」

「そうですね。多分、当時でもそのような使い方がされていたので、と考えた方がいいと思います」

「そう言われたら、戦前の小説でも普通にリーダーは使われていたか」

「でしょう? 使……言ってしまえば、これは慣習を明文化しようとした試みでしょう」

「ふーむ…………」

「あと、これだって点6つと3つの使用例が書かれているわけで、という話ですよね?」

「素直に読めば、そういう話になるかな」

「ということは、この当時はということです」

「ふーむ…………」

「これらが結局『案』に留まり、確定しなかったというのも色々と興味深いですが――そうすると、『三点リーダーを偶数で使うというマナー』と『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』の関連は低いでしょうね」

「まあ、これはあくまでも、国語としてこう決めてはどうかという案でしかないし、その頃の慣習の追認であるとしたら、そして偶数でも奇数でもどっちでもよいのだとしたら、今現在の『三点リーダーを偶数で使うというマナー』とは、明らかにそぐわない……かな」

「結論を出すのは早計かもしれないですが」

「ふーむ…………」


 その後でも色々と話しましたけども、どこからこんな話が出たのかについてはやはり解らず、考えられるとしたら、新聞などではルール化しているという話はあるので、あるいはそちらからではないか――という感じになりましたが。

「そういうので書いてた元記者だとかライターが、70年代、80年代以降のカルチャースクール的なもので教えて広げた――とか、ありえるかな?」

 私はこういうものの起源だのの話を考えるのが好きなので、色々言ってましたけども、担当様はというとこのあたりではかなり飽きてきたようです。あるいは、最初からそのあたりのことは問題にしていなかったのかもしれません。

「かもしれませんね。ただ、」

「ただ?」

――」

「………………ふーむ」

 

 まあ、起源がどうであれ、現代の小説創作の現場にいる者としては、どう使用するかって話の方が重要であるのには違いないわけで。

 担当様的にはそこらが問題であり、起源を探ったのはその妥当性のための参考になるかも知れないと考えたからなわけですね。

 三点リーダー偶数の起源の話は、それはそれで別にネタがあるので、ここまでにして。


 少し話が変わります。


「まあそもそもからして、『小説を書く上でのマナー』というのがよく解んないですね」

 と私は主張しました。

「マナーというのは、自分がそのコミュニティの文化を共有しているということを示すためのプロトコル……のようなものでしょう」

「そのあたりの横文字、意味が解って使ってます? 言わんとすることは解りますけど」

「そりゃあどうも。――マナー違反であるという言説は、自分らと文化を共有していない者に対して言うのは、マナー違反なんじゃないですかね?」

「そういう文化圏にいるのだから、それに従うべきだって考えはあると思いますよ。『郷に入っては郷に従え』といいますね」

「一方的に『これがマナーだ』と言ってあざ笑うのは、ただのマウントなのではないですか?」

「段々ひがみが入ってきた感じがしますが、まあそうですね」

「ひがみじゃないですよ」

「はあ」

「まあそういうマナーがある、というのは認めますよ。そういう風に主張している人たちがいる、という意味で。ただしそれが普遍的なものであるかというと、そうでもない」

「はあ」

「十五年近くネットで小説書いてたけど、私の周りの創作仲間、本当にそういうこと気にしている人はたちはいなかったわけですし。少なくともそれらは私らの間では共有された文化ではなかった。彼らはもしかしたら、そのような言説を知っていたけども強要しなかったのかもですが」

「マウントとり合わない創作サークルってのは、いいですね」

「複数のサークルに参加してましたけど、そういうのしてくる人、ほぼいなかったですよ」

「ほぼですか」

「ほぼ」

「…………」

「…………話戻しますけど、検索すると『感想で指摘されて初めて知った。以降気をつけている』というの、それなりに見かけるんですよね」

「まあ、ありますね」

「『そうするのが小説の基本』とか『批判されるの覚悟で奇数で書くのならそうすればいい』なんてのもありますが、後者はこれ、脅迫みたいなもんでしょ」

「はあ」

「『三点リーダー偶数にしないと評価しない人間がいるのは確実だから、そうしない理由がない』っていうのもありますが、こうやって自分たちのローカルルールを、さも普遍的な小説創作の基本であるかの如く広めるのは、これは、そのなんというか納得がいかないというか……」

「まあ、予言の自己成就みたいなものではありますね」

「それな。で、三点リーダーの数は別にきまっているわけではないというと、『最近までマナーを知らなかったので、恥ずかしいので自己正当化しているだけだろう』みたいなこと言ってきたりとか……こちらはそういうマナーなどというものはないという話をしているのであって、さもそういうマナーがあるかのように言うのが話が通じてなくて、こー」


 なんだか自分でもよく解らないテンションになってきてますね。


「けど実際、奇水先生は小説技法ってあんまり勉強したことないでしょ?」

「全然」

「断言しましたね」

「二十五年間、ただ小説を読んで書いての繰り返しでしたよ。ええ」

「小説指南とか文章作法本なんかは……」

「ほとんど読んだことないですね」

「…………」

 あくまでも、2013年頃の話です。

「各媒体ごとにフォーマットがあり、固有のルールがあるのは承知していますけど、それと『小説の書き方』とは別の話でしょう」

「そうですね」

「小説とは斯くの如くあるべし、なんて言い出したら、その人はイマジネーターに何かされているんですよ」

「リーダーの数で〝突破〟を目指す水乃星透子って嫌すぎぃ。そんなものと戦うのが人間の生涯の価値でいいんですか」

「う、うううう……!」

「――まあそれはそれとして、小説の書き方は自由ですが、ことは可能だと思いますよ」

 この話は、また別に発展するのですが、それはまた後に。

「どんな面白い題材も、文章が支離滅裂であっては上手く伝わらない。上手く伝えるための方法があるのなら、商業刊行するのならばそれを追求した方がいいでしょうね。僕はそう思います」

 担当様は続けます。

「僕的には奇水先生の文章は抜きや抜きが多いし、破格が過ぎて上手下手かで言えばそんな上手ではないですけど、あと誤字脱字が地獄のように多くて、赤入れするのくっそ大変でしたけど」

「スイマセン…」

でも、面白いと思えばウチで刊行します」

「…………」

「勿論、文章は時間がある限りは読みやすいように修正していただきますが、それはし、今回のことでいえば、リーダーが偶数の奇数だので内容は左右されませんし、他の編集がなんというかは知りませんけど、僕は作家と編集の間の同意ができてれば、リーダーが2つだろうと3つであろうと、中黒5つだろうと別にいいと思いますよ」

「…………なるほど」

「作中でなんらかの形に、ルールの統一はして欲しいですけどね」

「ふーむ」

「まあみなさま、だいたいリーダー偶数にしているので今回は確認しただけですけど、みんながそうしているから、それに従わなければならないというのもおかしな話ですしね」

「まあ、あくまで慣習ですしね……」

「言語ってのは慣習の積み重ねですから、慣習としてそうなっているのが、すでに正しさの証明になっているといえなくもないですよ。特に日本語のような正書法のない言語では、極論を言うと、『小説では三点リーダーを偶数にするのが正しい』という意見が多くなれば、今の段階はともかくとして、未来ではそういうルールが作られる可能性はあります」

「いちいちひっくり返すなあ……」

「はっきりと確認はしていませんが、出版社によってはそういうルール化しているって話はあるみたいですし。うちはそうではないですけど」

「今後どうなるか解らないと」

「まあ、仮にルール化しようと、あとで修正すればいいだけの話ですし、内容ではなくて、そんなリーダーの数で作品の良し悪しを判断するような下読みは、普通はいません」

「ははあ」


 とりあえずそんなわけで、私のデビュー前のどうでもいいような議論は終わったのでしたが。


「それで、今回の原稿、偶数に統一します?」

「えーと、」

「見た感じでは、偶数にしているのが多めですが」

「まあ、普通に、見た目に、そこらが収まりがいいので」

「………………じゃあ、そうしますか」


 結論。

 リーダーの数に決まりはない。

 決まりはないけど、決まりだと言ってくる人はいる。

 もしかしたら、今後は決まりになるかもしれないけど。


 あと私はそのシーンのテンポで決めるけど、だいたい偶数。

 理由は見栄え。

 他人のそれは、どうでもいい。


 それと作中の担当様とのやりとりは六年以上前のものなので、うろ覚えを適当に脚色しています。


(それは小説とどう違うんだ?)

(まあいいじゃん)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る