第60話 あー…いよいよだ…

 〇園部真人


 あー…いよいよだ…


 会社を辞めて楽器店を始めた。

 それによって妻とは離婚。

 子供達も妻の元へ行った。


 細々と、だけど必死で働いた。

 ギターは単なる指遊び。

 脳トレ。


 そう思い込もうとしてたはずなのに…


 気が付いたら、子供達が戻って来て。

 俺の指遊びに付き合うようになって。


「親父、意外と弾けてんじゃん。」


「ほんと。ちょっとビックリなんだけど。」


 真子まこ弓弦ゆづるはそう言って、俺を調子に乗らせた。



 親子で音を楽しめるなんて。

 それだけで十分幸せだった。

 それ以上の欲なんてなかった。

 なのに…

 俺の欲は、あの日突然噴火したかのように沸き上がった。


 Leeと出逢った、あの日だ。



「わー…緊張する…」


 弓弦の言葉に、真子とドラマーの高校生が目を丸くした。


「何、あんた緊張なんてすんの。」


「するさ。まさか、初ステージがこんな…」


 弓弦の言葉の途中。

 高校生がスティックを弓弦の脇腹に…


「いでっ!!」


「ぜ…全部言わないで下さい。感染するから…」


「……」


 なるほど。

 みんな緊張してる、と。


「ま、仕方ない。ここはツワモノ揃い。俺達みたいなペーペー、Leeのネームバリューに乗っかるしかないんだ。」


 俺がニッと笑って言うと、真子は腕組みをしてうんうんと頷いて。


「…そうですね。乗っかって…やり遂げます。」


 高校生はクソ真面目に準備体操を始めた。


「…Leeちゃんのステージが始まるぜ。」


 弓弦の声に、みんなでステージを見る。

 ステージ前には薄いスクリーンが降りたまま。

 なんたって、顔出しNGなシークレットシンガーだ。


 だけど今日は…


「四曲目で後ろから入って下さい。」


 スタッフに言われて、みんなで頷く。



 優しい曲が流れ始め、Leeのウィスパーボイスが会場を

 を包む。

 それは…聴いてるだけで不思議な世界へと誘われる感覚。


 俺も生で聴いた時は、安眠効果と言うより強力な睡眠薬と感じた。

 とにかく…すっと眠りに入れる。


 それは真子と弓弦、高校生もそうなのか。

 目を閉じて聴いていた三人は、一斉に首をカクンとさせて驚いて目を覚ました。

 …俺はLeeの曲を聴く時は、絶対目を閉じないと決めているっ。




「四曲目だ。行こう。」


「おう。」


「はい。」


「やるわよ。」



 四人で手を重ねて気合を入れる。



 …さあ。

 Leeが殻を脱ぎ捨てる瞬間が来る。


 俺達は、全力でそれをサポートをするだけだ。





 〇桐生院 聖


「……」


 初めて…優里ゆうりさんの歌声を生で聴いた。

 ステージ前にはスクリーンが降りたまま。

 そこにうっすらと見える…優里さんのシルエット。


 向こう側に優里さんがいて、ピアノを弾きながら歌ってる。

 それを感じられるだけで…不思議と涙が出そうになった。


 耳元をくすぐる風のような優しい声。

 会場は緩やかに身体を揺らしたり、目を閉じて聴き入る人の姿ばかり。


「わー…何だろう。優しい…」


「うん…自然の中にいる感じ…」


 それは本当に不思議な感覚。

 ちゃんとした歌詞じゃなくて、適当と言っていいほど次々と繰り出される言葉が、客席を異世界へと誘う。

 そこに見えないはずの景色が広がった気がするのは、紛れもなく優里さんの楽曲の力。



 俺はー…その優しい声を聴きながら、あの川の中で終わりを予感したとも期待したとも取れる自分を思い返した。


 桐生院の父が亡くなって以来、前しか見てなかった。

 用意されてるレールの上を走ってるだけ。

 そうだとしても、そこを走るしかなかった。


 振り向かない。

 振り向けない。

 わき目も振らない。

 もしそうしたら…俺は気付いてしまうから。


 こんなレール、乗りたくなかったのに。って。



『touch....fly....sing....love....love....love...』



『Lee』の曲は短い。

 あっと言う間に四曲目が終わって、五曲目が始まった途端…


「ん?」


「あれ…?」


 突然、ピアノの音が激しくなった。


 スッ、と…スクリーンが落ちて。

 そこに、白い衣装でピアノを弾く優里さんが登場した。


「うわ!!あれがLee!?」


「えー!!顔出さないんじゃなかったの!?」


 観客は騒然。

 今までの曲だったらかき消されてしまうほど。

 だけど、そうならないのは…


「ど…どうした?今までの曲とは全然…」


 優里さんはピアノを叩くように音を吐き出し、やがて…


「あれ…立ち上がった…」


 優里さんが立ち上がった瞬間。


「っ…!!」


 激しいバンドサウンドが鳴り響いて。

 会場中が驚きに身体を震わせた。

 その背景には『The Darkness』の文字。


 な…なんだ?

 この…重低音…


 それまで少し高い場所でピアノを弾いてた優里さんは、ゆっくりと階段を下りる。

 その下には、ギターとベース、キーボードとドラムが、すでに何とも言い知れない強烈な曲を…


「!!!!」


 口元にマイクを近付けた優里さんが、突然激しくシャウトした。

 いや、これはまるで…悲鳴だ。


 戸惑って周りを見渡す客も、次第にその世界に引き込まれていき。

 歌が始まると、自然とみんな前に進み始めた。


 さっきまでのウィスパーボイスは?ってぐらい…優里さんの声は力強くて…

 歌詞は…絶望感のみ。


 白い衣装に裸足の優里さん。

 長い髪の毛は…本物なのか、あの時と同じウィッグなのか。


 俺はひたすら、その姿を見逃さないよう…

 瞬きも惜しんで見つめ続けた。



 …優里さん。

 優里さんに去られて…俺、抜け殻だったよ。

 最悪にカッコ悪い男になってたよ。

 だけど俺も生まれ変わる。

 色んなしがらみも、プライドも全部…捨てるんじゃなく、ここに置いて。

 これからは、自分の人生を自分の好きなように楽しみたい。


 そのためには…

 優里さんが必要なんだよ。

 隣にいて欲しいんだよ。

 優里さんがどんな人でも。

 俺の知ってる、ズボラで怠け者で甘えん坊の優里さんなら…

 いいんだ。


 本当に、そのままでいいんだ。





 〇片桐拓人


 優里がLeeとして歌ってる曲が終わった途端、スクリーンが落ちて背景に『The Darkness』の文字が映し出された。


 重い曲が、身体の芯に響く。

 優里の悲鳴も歌詞も…これは、優里自身だと感じた。


 …社長、どこかで見てんのかな。

 気付いてやって欲しい。

 優里がずっと…もがいてた事。



 バンドの二曲目ともなると、それまで唖然としてた輩も前方に行って腕を振り始めた。

 優里はそんな客になんて見向きもしないで、ただ…自分の世界で歌ってる。


 サビに差し掛かると、見慣れたウィッグはステージ袖に投げ捨てられ。

 客席からは驚きの声が上がって、バンドメンバーはニヤリと笑った。


 あいつ…俺が控室出たあと、また髪の毛切ったのか。

 前髪なんて、ほとんどねーじゃん。

 けど、優里の美しさは…髪型なんて、どーでもいいんだよなー。



「……」


 ふいに、自分の目から涙がこぼれてる事に気付いた。

 優里が歌ってる三曲目は、まるで俺だ。

 生きるために何でもした。

 顔も変えたし、得になる事だけを選んで来た。

 それが当たり前になって来て、自分が分からなくなった。


 俺は…三枝さえぐさ あおいは…

 もう、誰にも知られる事なく消えていくだけなんだ…と。


 それが、二階堂の戦いに参戦して。

 消えかけてた三枝 碧に戻った途端…色んな気持ちが疼いた。

 そして気付いた。


 俺はまだ…



 三枝 碧に戻りたいんだ。





 〇園部真子


 …く―――っ!!


 たまんない。

 たまんないわ…Leeちゃんのダークな世界…!!


 片桐拓人が弟って事もビックリしたけど…

 彼が控室を出て行った後、いきなり髪の毛を切り始めた事にも驚いた。

 あまりの散切りカットを見かねた『ザ・器用貧乏弓弦』が、後ろは丁寧にカットして。

 美人が、さらに美人になった。



 きっと、あたし達には想像もつかない過去があったんだと思う。

 それぐらい、Leeちゃんの歌詞は掴みどころがない。

 …ううん。

 掴めない。



 ギターソロになって、父さんが立ち位置から控えめに前に出ると、大げさにピンスポットが当たった。

 弓弦!!

 もっと前に出るように、父さんの背中押してやってよ!!

 って思うものの…

 弓弦は自分の世界に入りまくってて、頭を振って酔っ払ったように体を揺らしてる。


 それにしても…

 Leeちゃんのすごさは置いといても…

 ドラマー高校生。

 彼もすごいわ。

 完璧を目指すゆえ、頭が固いなあ~とは思うけど。

 その日出来なかった事、翌日は完璧にやっちゃうんだよね。

 どれだけ練習してんの(笑)



 二曲目にはあたしの見せ場もある。

 弓弦以上に頭を振って、自分の世界に酔いしれた。

 あ、Leeちゃんの世界だけどさ。


 …だけど、この曲は…分かる気がするんだよね。

 絶望しか感じられない世界。

 あたしにも、あった。

 Leeちゃんほどじゃないとしても。



 客席はLeeのふんわりした世界からThe Darknessの暗く重い世界に、少しずつだけどハマり始めてる。

 眉間にしわを寄せながらも頷いたり、中には目を輝かせて腕を上げてる輩もいる。

 ふふっ。

 歌詞は分からなくても、サウンドはカッコイイものね。


 さあ…

 全力で浮上していくわよ。


 あたし達は…

 欠片ほどの希望と、愛と夢に。



 翼を与えるのよ。




 〇前園優里


 Leeの歌から、The Darknessへ。


 あたしはそれまで歌ってた、夢見心地な世界から…母さんと共に追われた、あの恐怖の世界へと飛んだ。


 マイクを持って悲鳴をあげると、空気が変わった。

 だけど客席の反応なんて、あたしには関係ない。



 一曲目はただただ、恐怖を。

 二曲目は絶望を。

 三曲目は後悔を。

 四曲目は欠片ほどの希望を。

 そしてラストの五曲目は…


 あたしの中に生まれた、愛と夢を。



 あたしは…あたし自身のために歌う。

 生まれ変わるために。


 ずっと足元に纏わりついてたあの日々から。







 解き放たれるのよ。

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