第52話 「サリー。」

 〇杉乃井幸子


「サリー。」


 後から声を掛けられて、背筋が伸びた。

 振り返らなくても分かる。

 今のところ…あたしの名前をこう呼ぶのは、あの人しかいないから。


「お疲れ様です。会長。」


「もう会長じゃないぞ。」


「あ…すみません。どうしてもクセで…」


 振り返って苦笑いすると。

 前会長の高原さんは、柔らかい笑顔で首を傾げた。


「Beat Communication、良かった。」


「あっあありがとうございます。」


 あー!!恥ずかしい!!

 仮にも喋る事を生業としてるのに!!

 あっあありがとうございます。って。

 あっああって。


 唇を噛みしめて、反省とも後悔とも言えない感情と、高原さんに声を掛けてもらった喜びに揺れてると。


奏斗かなとが、よく勉強してるって誉めてたぞ。」


 イギリス事務所の社長の名前が飛び出した。


「えっ?」


「ステージDに出演したメンバー、みんな喜んでたそうだ。インタビューして欲しい事ばかり聞いてくれた、と。」


「あ…それは、いくら出演者のダイジェストコーナーとは言え、あたしの番組で枠をいただいたので。」



 今日、あたしは『やる満』のステージが終わった後。

 急いで着替えてメインステージからステージDに移動した。

 そして、ゲストの朝霧沙都君、MOON SOULの二人、TOYSからタモツさんとマサシさんを迎えた後。

 アメリカ事務所のLady.BとKEEL、イギリス事務所のダンスグループとヒップホップユニット…と、後半は英語もフル活用での番組となった。


 事前にある程度は調べてたけど…

 インタビューするからには、ステージの様子も知っておかなきゃいけなくて。


 …本当、今日、あたしは何度強く思ったか分からない。

『やる満』さえなければ…!!と。



 だけど…

 ステージに立って、その思いは消えた。


 後から加入した、浅香 彰君。

 彼の作る曲は、歌詞こそどうでもいいものの…

 曲は、すごい。

 アレンジで遊べる部分で言うと、クワフォレより断然楽しい。


 それに、DEEBEEでは見た目で得してるだけで、ギターでのイマイチ感が拭えなかった彼も。

 SHE'S-HE'SのRさんに弟子入りして以降、目を見張るほど上手くなった。


 ベースのガク君は、難しい事も涼しい顔でサラリとやってのけちゃう…ちょっと憎たらしい天才君。

 本人的には頑張ってるのかもしれないけど、最初に躓いたフレーズも、数分後には弾けちゃってるというね…何だろうな。


『やる満』のベースは本当に派手。

 サウンド全体が派手で賑やかだけど、ベースがしっかりしてないと崩れちゃう展開の曲ばかり。

 その辺、ガク君のベースは全然不安がない。


 不安がない点で言うと…ドラムの希世君もそう。

 DEEBEEから来た二人は、当時より断然今の方が上手い。

 だからって言うのもあるのかな…

 今日の思いがけない『オイシーモンさんの代打ステージ』でのDEEBEEは、ビックリするほど上手かったし…個々が自信に満ち溢れてたと思う。


 …それからー…

 ボーカルの華音さん。


 ガク君とは違うタイプの天才。

 いったい何種類の声色持ってるの?って聞きたくなる。

 そのことについては、本人も『やる満』で歌って気付いたみたいだけど。


 今まで、全力で音楽に向き合えなかった…って聞いた。

 それは、あたしも同じだった。

 だけど音楽から離れるのが嫌で…

 プレイヤーとしてではなく、音楽を届ける立ち位置になろう。と…パーソナリティーになった。


 …それでも、音楽に対する姿勢が変わった。

 やっぱり…あたしもプレイヤーでいたい。

 そう思ってからは…葛藤の日々だった。

 …最も、あたしの葛藤なんて…長続きしない。

 決めなければ、決められてしまう…。



「二足のわらじはどうだ?」


「えっ?」


 まさに、今考えていた手探り中の現状を聞かれて、さらに背筋が伸びた。


「まだまだ勉強中と言うか、模索しています。」


「そうか。しかし、それを苦痛に思うなら、いつでも投げ出していいんだからな?」


「え…?」


「言っただろう?ここでは、我慢なんてしなくていい。」


「……」


 そう言われて…

 あたしは、クワフォレ結成時の騒動を思い返す。


 …あたしみたいな厄介者…ここに居ちゃいけないって思い知らされたのに…

 それを、高原さんをはじめ、ビートランドの皆さんは…

 そして、クワフォレのメンバーも…


『ビートランドで我慢なんてしなくていい。サリーはサリーのままで、好きにやればいいんだ』


 あたしを、受け入れてくれた。



「…投げ出しません…絶対。」


 高原さんの目を見て。


「あたし、ここでなら…自分で居られるような気がするから…」


 本気でそう思っている事を告げる。

 すると…高原さんは、優しい微笑んで。


「分かった。ただし、悩んだらすぐ誰かに相談する事。一人で抱え込むなよ?」


 そう言って、あたしの頭を撫でてくれた。


 …本当に、優しい人。

 社員全員を家族のように思ってる。って…

 最初はきれいごとだって思ったけど、きっと本当だ。

 そして、今はあたしも…

 その家族になりたいって強く思ってる。


「はい。ありがとうございます。」


 笑顔を返す。

 それも、営業用じゃないやつ。


「明日も楽しみにしてる。」


「あたしも…Deep Redを生で観るのは初めてなので、楽しみです。」


「…そうか。頑張らないとな。」


 そう言った高原さんの横顔が。

 少し寂しそうに思えた。


 たった一曲だけの出演。

 だけど…今の高原さんの身体を思えば…と、華音さんも言ってた。


 長生きして欲しいって、きっと事務所の全員が思ってる。

 だけど、ミュージシャンとして生きて欲しい…とも。



「今日は里中が選んだメンツだけだったが、後日、全出演者との収録もあるそうだな。」


 高原さんが首をすくめる。

 あたしはそれに対して、口を一文字にして目を細めた。


「ええ…考えただけで震えます…」


 全出演者…

 て事は…


 F'sもSHE'S-HE'Sも…!!




 ああ!!

 どうしよう…!!



 緊張する――!!


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 杉乃井さんの謎は、またいつか別の回で!!

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