第4話 「……」

 〇桐生院 聖


「……」


 俺は、久しぶりに…こんなに目を開いた。

 何なら生まれて一番の大きさに、だ。


「勝手にごめん。」


 そう言いながらも、全然反省してそうにない華月は。

 ソファーのアームレストに寄り掛かるような体勢で、スッと足を組んだ。

 …雅乃ばーちゃんが生きてたら、くっそ叱られるやつだ。

 お行儀の悪い子は出て行きなさい。って。


 ってー…いやいやいやいや…


 そんな事を考えながらも。

 俺の頭の中は、何が何だかな世界に入り込んでた。



 見せられたスマホには、華月と優里さんのツーショット。

 華月は笑顔だが、優里さんは複雑そうな顔。

 まあ…華月が無理矢理撮ったんだろうから…


 それにしても…


「…なんで…」


 聞きたい事は色々…山々。

 だけど言葉が出て来ない。

 何から聞いていいのかも分からない。

 それでも今の優里さんを見れて…


「元気…なんだ…」


 そんなつもりはないのに、泣いてしまった。


「……」


 華月が無言でティッシュを差し出す。


「…ザンギュ…」


「聖って、すごく気長よね。」


「…は?」


「うん。気長だよ。そうだよ。」


「……?」


 眉間にしわを寄せて華月を見る。

 いったい、こいつは何を…


「優里さん、何だか知らないけど…自分の何かと闘ってる最中みたいだった。」


「……」


「待ってて欲しいって。」


「えっ。」


 背筋が伸びた。

 そんな俺を見た華月は、小さく笑って。


「彼女、まだ聖の事好きよ。だから、よく分かんないけど…待ってあげたら?」


「俺の事…好きって?」


「うん。」


「……」


 それなのに…どうして突然…

 あのクリスマスイヴの出来事を思い出すと、自然と暗くなる自分がいる。

 今でも俺を好きと華月から聞かされて、嬉しく思う自分と…


「…信じていいのかな…」


 そう思う自分もいる。


「…だよねぇ。あんな去られ方したんじゃ、疑っても仕方ないわ。」


 華月は組んでる足を下ろすと。


「でもさー、優里さんって…」


「……」


「何て言うか…」


「……」


「これは、あたしの勝手な憶測よ?」


「何だよ。早く言えよ。」


「急かさないでよっ。」


 そう言いながら立ち上がって、コーヒーを入れ始めた。


 俺はその間も…

 優里さんの写真を眺めてしまう。



「優里さんって、何かテンパるような事があると、猪突猛進的にならない?」


「……なる。」


 華月の洞察力に感心した。

 俺の知る限りでは…優里さんに会ったのは、これが二度目のはず。


「あたし達の誕生日…聖が優里さんちに行くまでの間に、何かあったんじゃないかな。」


「…何か…」


「聖とは別れないとダメだ。って思い込んでしまうような何か、よ。」


 …そう言われて、すぐに思い浮かんだのは片桐拓人。

 だが、あの人は…最初こそ俺を良くは思っていなかったが…

 年末に本人が来なくてもいいような仕事の打ち合わせで呼び付けた時、意外にも好意的だった気がする。

 まあ…別れたから。なのかもしれないけど。



「ま、聖にしてみれば、何があってもそりゃないだろ。なんだろうけど…優里さんだから。」


「……」


「別れなきゃ、何かがダメになるって感じて、なったんじゃないかな。」


 華月の言うそれはー…疑う余地もないぐらい、俺の中の優里さんに当てはまった。


 そうだ。

 本当に、そうだ。

 きっと、あの日…何かがあったんだ。



「だからさ…信じられない気持ちもあるかもしれないけど、待ってあげたら?」


 再度華月にそう言われた時には、もう俺の気持ちは随分明るくなっていて。

 本当なら…すぐにでも会いに行きたい衝動に駆られる所だけど。

 今は。

 華月の言う通り、優里さんの希望通りにしたいと思った。


「待つよ。」


 顔を上げて言うと、華月はくしゃくしゃな笑顔になって。


「あーっ、嬉しい。片割れの笑顔、久しぶりっ。」


 俺の前に置いたコーヒーに、自分のカップをカチンと合わせた。





 〇前園優里


「……」


 変わりたい。

 変わる。

 そう決めたものの…その方法については何も思い浮かばないまま。

 だけど、あたしは毎日を考えてる。


 今までなら、とっくにやめてたはず。

 答えの出ない事に頭を使うなんて。



「……」


 しゃがみ込んだまま、かれこれ一時間。

 あたしは、その人のギターを聴いていた。

 さすがにその人も居心地悪そうにあたしを見る。


「…お嬢さん、まだ聴く?」


「え…っ?」


「いや…もうやめようかなって…」


「あっ…すっすみませんっ…心地良くて聴き入ってました…」


「えっ、心地いい?」


「はい。」


「でも…こんな歪んだ音…」


 …確かに。

 心地いいって言うのとは違うのかなあ?


「だけど…心に響きました。何て言うか…自分の生き方を考えさせられたって言うか…」


 人見知りのあたしが、初対面の…しかも男の人相手に、スラスラと感想が言えてる。

 すごい!!

 早速変われてるよ!?あたし!!


「えぇ…そんな風に聴いてくれてたんだ?バンドか何かしてるの?」


 その人はギターを片付けようとして、もう一度膝の上に抱えた。


「バンドはしてませんが…………あ。」


 突然、閃いた。


「お兄さん、バンドしてるんですか?」


「え?お兄さん?俺?(笑)いやー…昔は少しやってたけど、今は趣味程度で弾いてるだけ…」


「じゃあ…」


「?」


「あたしと、バンド組みませんか?いえ、組んで下さい。お願いします。」


 深々と頭を下げると。

 目の前のお兄さんは『えええええ』って呆れたような声を上げた。


「いや、そもそも…お兄さんって…俺、もうおっさんよ?て言うか、君から見たらおじいちゃんでしょ。」


「あたし32です。」


「えっ!!うわ…全然見えない…」


「お兄さんは?」


「うっ…俺はー…57…です…」


「ええっ…お兄さんこそ、まだまだお若く見えます。」


「いやー…今はしがない楽器屋の店主だよ……」


 そう言って、お兄さんがぐるりと見渡した店内には…お客さんは一人もいない。


 ここは、中川衣料品店から200mの場所にある『園部楽器』さん。

 時々ギターの音が聞こえてたものの。

 あたしは特に興味を持たなかった。


 だけど、今日は違った。

 ギターの音が、あたしを誘ってた。

 絶対そうだった。



「バンド、組んでもらえませんか。」


 お祈りポーズで、もう一度お願いしてみる。


「えぇ~…いや、でも…他のメンバーは?」


「まだ誰も。」


「…俺、ハードロックしかやった事ないけど…」


「じゃあ、あたしもそれにします。」


「えぇ…」


 すごく、情けなさそうな顔をされてしまった。

 それもそうか…

 あたしみたいに、ハードロックとは縁が無さそうな女。

 どうしたら…バンド組めるかなあ。

 何だか、とてもいい閃きだったんだけど。



「あ…」


 あたしの目に飛び込んで来たのは、そばにあった電子ピアノ。

 売り物と言うには…ちょっと…くたびれちゃってる。


「弾いていいですか?」


「ああ…いいよ。」


 さっきお兄さんが弾いてたフレーズを思い返す。

 そして…


「…!!」


 あたしが歌い始めた瞬間、お兄さんの表情が変わったのが気配で分かった。


「それ…さっき俺が弾いてた…」


 あたしの指は、今までになく激しい旋律を奏でてる。

 猫になりたいとか、風になりたいとか、そんな歌詞でもない。

 さっきのお兄さんの曲に、あたしの人生を重ねた。


「っ…」


 突然、お兄さんがギターで合わせて来た。

 …すごい!!



 音楽は…生きて行くために歌っただけ。

 好きでも嫌いでもなかった。


 だけど…あたし、好きになりかけてる。

 好きになりたいと思う。


 散々な生き方をして来た。

 人を騙す事も平気でして来た。

 こんなあたしが恋をして…聖君には相応しくないって気付いた。


 それでも…

 好きでいていいのなら。

 好きでいて欲しいから。

 あたしは、変わらなきゃって思う。


 ずっと纏わりついて来た過去の中に、聖君はいない。

 もしかしたら、いつかどこかで罰せられるような事が起きるかもしれない。

 それでも…


 あたしは、あの過去をもう…振り返りたくない…!!



「…君、名前聞いていい?」


 弾き終えた後。

 興奮した様子のお兄さんが、立ち上がって言った。


 あたしも立ち上がって、お兄さんの目を見て答える。


「Leeです。」


「リー?」


「はい。えっと…ビートランドのロンドン事務所に所属してます。」


 ペコリ。とお辞儀をすると。


「…え。」


 お兄さんの、間抜けな声が降って来た。


「え?」


「え?ええ?ビートランド所属って…えー!?本物のシンガー!?」




 前園優里。

 32歳。



 あたし、本物のシンガーになろうと思う。

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