第3話 「…ふーん…」

 〇前園優里


「…ふーん…」


 目の前で、美しい生き物が目を細めた。


 …桐生院華月さん。

 聖君の…同じ歳の姪。


 ニッキー会長の番号からかかって来た電話に出た二日後。

 着信履歴に12という数字を残していた番号から、またかかって来た。


 …これは、華月さんだ。

 そう思って電話に出た。



『今日、何か予定ある?』


「い…いいえ…特には…」


『じゃ、二時にカナールってお店に来て』


「カナール…」


 電話を切った後、華月さんからお店までの地図が送られて来て。

 何とか…迷子になる事なく、『カナール』に辿り着けた。


 そしてそこであたしは…

 聖君とお別れした理由を話した。


 聖君が今でも好きなのは、前の彼女の『泉さん』だから…

 あたしは身を引いて、二人をくっつけようと思っている。


 と。


 その結果…こんな冷ややかな空気に晒される事になった…



「そりゃー、彼女を抱きしめて元カノの名前を言った聖はサイテーって思うけど…」


「え…あ…ううん…サイテーなんかじゃ…」


「サイテーでしょ。だって、それがキッカケで、優里さんは聖と別れようって思ったんでしょ?」


「えっ?」


「違うの?」


「ちが…」


 ああああああ…


 どう…どうしたらいいの…!?


「…華月さん…」


「何。」


「…あたしの…って…?」


 怖い。

 怖いけど…上目遣いで問いかけた。


 だって、もし華月さんが何か知ってるなら…


「え。信じたの?」


「…え?」


「そんなの、ここに来させるための口実よ。」


「…(ポカーン)…」


 こ…口実…


「でも、それに釣られて来たって事は、優里さん色々あるのねぇ…」


 はっ…


「まあ…でも安心して。あたし、別に人の過去になんて興味ないから。」


「……」


 この人は…あの時もそう言った。



『その過去捨てて。聖には何も関係ないから。あなたの過去に聖はいないでしょ?』



「……」


 膝の上でギュッと握ってる両手を見つめながら。


「あたし…」


 ポツリと話し始める。


「あんなに…幸せだなって思えたの、初めてで…」


「……」


「聖君は、知れば知るほど…温かくて素敵な人で…あたしみたいに優柔不断で秘密だらけの女にも…我慢強く接してくれて…」


 考えまいとしてた聖君の事。

 扉を開けて招き入れるみたいに、この数ヶ月を思い返すと…


「…そんなに泣くほど好きなのに、どうして?」


「ふっ…ううっ…」


 ポロポロなんて可愛いもんじゃない。

 あたしの、目幅で流れてるんじゃないかと思うほどの涙を見て、華月さんはハンカチを差し出した。


「…き…聖君…泉さんと……」


「うん。」


「…身分が違うから…別れろって…」


「…誰が?」


「…か…会長…?」


「え?おじいちゃま?」


「…う…っ…ふ…うん…」


 華月さんは眉間にしわを寄せてしばらく考え込んで。


「そんな話、誰に聞いたの?」


「…そ…それは…あの…」


 ああっ!!言えない…!!


「…もし本当に聖が『身分が違うから別れろ』って言われたとしたら、それは…高原のおじいちゃまじゃなくて、桐生院のおじいちゃまだと思う。」


 華月さんは少し寂しそうな表情になって、視線をカップに落とした。

 こんな時なのに…

 愁いを帯びた表情の美しさに、涙を拭くのも忘れて見惚れてしまう…


「…そっか…なんか色々思い当たる。」


 華月さんはそう言って小さく溜息を吐いた後。


「でも、だからって優里さんが二人を元サヤにって、それは違うでしょ。」


 顔を上げて、ハッキリ言った。


「…違うのかな…」


「違うでしょ。今、聖が好きなのは、泉じゃなくて優里さんだもん。」


「……」


「あたし、あんなに浮かれた聖、初めて見たもの。」


「…浮かれた聖君…?」


「ついでに、あんなにズタボロな聖も初めて。」


「う……」


「ねえ、今も聖を好きなら…ちゃんと会って話をしてくれない?」


 ずい、と。

 華月さんが、テーブルに前のめりになった。

 少し近くなった距離にゆっくりと身を引きながら。


「…好き…だけど……あたし…」


 聖君には…相応しくないし…


 そう言おうとして、言葉を飲み込む。


「何。」


「……」


 か…華月さん…怖い…


「…はー………ごめんなさい。」


 あたしが俯くと、意外な言葉が聞こえた。


 え?と思って少しだけ顔を上げると。


「…あたし、今少しまいってて…だから、せめて聖は幸せでいて欲しいと思って…思い切り出しゃばってる。ほんと、ごめんなさい。」


 そう言った華月さんは、あたしにペコリと頭を下げた。


「……まいってる…?」


 あまり人の事は気にならないあたしだけど…

 聖君の姪…

 あたしの事、何気に応援してくれてる人…


「…あたしの彼、どこか行っちゃって。」


「え…っ?」


 華月さんはスマホを取り出すと、写真を見せてくれた。

 そこには、キラキラな華月さんがもっとキラキラな笑顔で。

 その隣で、そんな華月さんを優しい眼差しで見つめてる…これまたきれいな男の人…


「ま…眩しい…」


 目を細めてそう言うと、華月さんは『優里さん、天然?』って笑った。


「…自分を見つめ直して来るって、どこか行っちゃった。」


「…自分を見つめ直して来る…」


「おじいちゃま…高原夏希に厳しい現実を突き付けられてね。」


「……」


 厳しい現実。


 彼のは何か知らないけど。

 あたしに置き換えると…大家さんに突き付けられたにも思えた。


 あたしは聖君には相応しくない。



「…華月さんの…その彼は…」


「ん?」


「自分を見つめ直せるのかな…」


「どういう事。」


 あたしの言い方が悪かったのか、華月さんの声が低くなった。


「あっ…そっそうじゃなくて……」


 慌ててお水をゴクゴクと飲んで。


「…あたし…見つめ直したくても…厳しい現実と向き合うのは怖いから…」


 ボソボソと小声で言葉を落とした。

 すると…


「…優里さん。」


「…はい…」


「何がそんなに怖いの?」


「え…っ…?」


 華月さんは腕組みをして、あたしを見据えた。


「詩生は…あたしの彼は、ぶっちゃけ弱い。だけど、何度も自分と向き合って、あたしと一緒に歩こうとしてくれる。」


「……」


「あたしだって…こんなに偉そうな事言ってるけど、本当は弱いし怖い事もたくさんある。でも、好きな人のために強くなりたいって気持ちの方が大きいの。」


 キラン


 何か…頭の中?心の中?

 どこかで音がした。


 好きな人のために強くなりたい。


 シンプルで分かりやすくて、だけどあたしにはとても難しい事…


 でも…


「あっあたしっ…」


 両手をテーブルの上に置いて、前のめりになる。


「あたし…あたしでも、強くなれるかな…」


 そんなあたしの顔を見た華月さんは、一瞬丸い目をしたけど。


「なれるわよ。」


 とても美しく、強い表情で言ってくれた。


「そっか…そう…あたしでも……でも…何をどうしたら…」


 今まで…ちゃんとした恋愛なんてしてないから…

 強くなろうにも…


 あたしが顎に手を当てて考え込んでると、華月さんは小さく笑って。


「ま…優里さんが、聖の事をまだ好きって分かっただけでも安心。」


 カップを持ち上げた。


「…逃げておいて…言うのも…だけど……」


「これ見て。」


 差し出されたスマホ。

 そこには、抱っこされたシロとクロ…


「シロ…クロ…元気そう…」


「うん。みんなを癒しまくってくれてるよ。」


「これは…」


「これは、あたしのお兄ちゃん。その後ろ見て。」


 そう言われて、華月さんとお兄さんの後ろに目をやると…

 そこには、うつ伏せになった…


「はっ…」


 二人の後ろの溶けた物体が聖君だと知って、スマホを近付け過ぎた。

『もう、やめてよ』って華月さんは笑うけど…だって…!!



 それから華月さんは…

 数日後には自分も旅立つと言った。

 いつ帰るか分からない人を黙って待っていられない、と。

 行先は分からないけど、自分が動いて変わる事もあるかもしれないから、と。


 好きな人の事を語る華月さんを見てると、羨ましくなった。

 そして…あたしにしては珍しく、あたしもそうなりたい…とも思えた。


 あたしは、聖君と出会ってからの数ヶ月。

 自分なりに変わろうともした。

 お手本がないから手探り過ぎて、挫折も多かった。


 だけど…楽しかったのよ。

 聖君のために、生活を正していくのも…料理を勉強するのも…

 上手くいかなかった事の方が多いけど、それでも…



 カナールを出た頃には、あたしの心にも何か…

 何か、小さいけど強い火が芽生えてて。

 これは…消しちゃいけないものだ。と思った。



「今日の事、聖に話していい?」


 お店の前でそう言われて。

 あたしは…


「…もし、聖君が…」


「うん。」


「聖君が、待てるなら…」


「……」


「待ってて欲しい。って、伝えて下さい。」


 深く、深くお辞儀をする。


 本当は、自分から伝えるべきなのかもしれないけど…

 今は、灯った火を消さないために。




 あたしも、動く。

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