あとがき 愛と常識と言語翻訳

 今回は異なる言語の壁が無くなったことで人間の知能が退化するという妄想を物語にしてみました。

 はじめは「介護現場において出された食事をすべて『ご飯』と言われるのと、『何々を使った○○という料理』と細かく認識させるのとでは、後者の方がボケ防止になるのでは」という思い付きがいつの間にか人類の滅亡にまで展開しておりました。

 別にこれ以上あとがきとして語ることはないのですが、最後に私が書き終わってから思ったあることについて述べさせて頂きたいです。


 少し話は変わりますが、常識とは一体何でしょうか。

 誰もが当たり前のように持っている知識や認識のことでしょうか。しかし、同じ日本に生きる私たちだって個人個人で同じ知識を同等に有しているわけではないでしょうし、常識が通じないと感じる人だって世の中にはいます。

 では、一体常識とは何なのか。

 私はこれを『言語』として考えました。

 皆さんも中学や高校で英語の勉強をされたと思います。人間は「Human(ヒューマン)」、都市は「City(シティ)」、雨は「Rain(レイン)」と日本語と英語の意味合わせにうんざりされた方もいるかと思います。そうそう、英語だと日本語のように「恋」と「愛」の分類はなく、どちらも「Love」と表記するようです。英語圏では恋した瞬間から愛は始まっているのですね。

 話がそれましたが、ここで注目したいのはこれだけ言語としては違うのに、その意味は共通の理解を示すことができることです。

 あなたが愛する人に「愛している」と言い、それに相手が「I love you」と言ったとして、相手に自分の思いが通じていないとは思わないですよね。だって、相手もちゃんとあなたへの愛を口にしているのですから。

 たとえ言語が違っても相手は自分と同じ意味で、思いで言葉を口にしているということを意識したうえで、改めて常識というものを見てみましょう。あなたの語る「常識」もあの人やこの人の語る「常識」もみな同じ意味ですが、それは一人ひとり違います。相手の語る常識が自分にとっての非常識だったから「この人とは話が通じない」といって一方的に拒絶することは、せっかくのプロポーズをないがしろにするようなものではありませんか?

 常識とは人間の持つ一つの概念(イメージ)で、愛というのも概念だと私は思います。愛が存在しないというのではありません。愛に決まった形、いわば常識なんてないんだということです。

 あなたにはあなたの愛し方があり、相手には相手の愛し方があります。そして、その愛し方というのは一周回って自身が望む愛され方につながってくるのです。そうなるとどうでしょう、相手は自身の主張ばかりで自分の愛し方を全く理解してくれない、なんてことになるかもしれませんね。

 それもそうでしょう。お互い全く違う言語で話しているようなものですから。

 この時必要なのは、相手を自身の常識に従わせるのではなく、相手の常識を知ることではないでしょうか?つまり「Love」が「愛している」という意味だと知ることです。

 常識しかり、恋愛における愛し方しかり、あなたが相手をしている人の中にはあなたと全く異なる常識が存在します。それは同じ常識という名前でも中を覗くまではどんな中身かわかりません。まずはそこを覗いてみてはいかがでしょう。そうして知るだけでもきっといざこざは回避できるのではないでしょうか。


 今回私が取り入れた「翻訳」というツールはこうした言語の違いによる意思疎通の齟齬そごを取り除くことに役立つでしょう。しかし、それは言ってしまえば相手の常識や価値観をこちらの都合のいいように変換することだったのかもしれません。

 相手を無理やり飲み込んで自身の栄養として消化してしまうのと、互いの凹凸を少しずつなじませて繋ぎ合わせていくの。あなたはどちらがお好みですか?

 

 お付き合いいただきありがとうございました。

 はぁ~、私もキラキラした恋愛してみたいなぁ~

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