第3話 けっして消えないもの

 はもはや音声記録のことなどとうに忘れて遺物探索に夢中になっていた。そんなそれの意識を再び機械へと向けさせたのは、甲高い叫び声だった。

 『お父さん!!何考えてるの!?』

 新たな声に引き寄せられるようにそれが機械に近づくと、さらに大きな声が発せられた。

 『Viluce《ヴィルス》を停止させるなんてことしたら、この世界がどうなるかわかるでしょ!?』

 『それでも止めなくてはいけないんだ!このままでは人類の知能の進化が止まってしまう!』

 『この世の平和と人類の存続のどっちが大切なのよ?』

 『分かってくれキャンティ。このままでは人類に未来はないんだ』

 『・・・お父さんは、私の未来はどうでもいいってこと・・・?』

 『ち、違う。お前の将来の方が・・・

 『違くなんかないでしょ!いつも研究ばっかりで、私やママのことをどれだけ考えてくれたっての!?』

 その直後にバンッ!と大きな衝撃音が機械から流れ、しばらく静かな時間が流れていた。静かなのは記録だけではなかった。はいつの間にか機械も発掘した遺物も置いてどこかへと走り去っていった。あの音に驚いたのではない。それよりも先には走り出していた。

 残された機械は使用者がもういないことも気にせず、律儀にもその記録を再生し続けた。

 『はぁ、あの子には本当に大変な思いをさせてばかりだった。はやくこの問題を片付けてしまわなければ。さもないと、人類の知能は退化の一途をたどることになる』


 「2072年、6月13日」

 『更なる知能・認知機能の能力低下が見られるとの結果が発表された。今はまだ高齢層にのみ顕著な症状だが、これがもしもViluce《ヴィルス》の影響だとしたら。このままでは若年層の知能自体にまで影響が見られるかもしれなくなる』

 

 「2072年、11月9日」

 『ついに原因が判明した・・・。原因は、Viluce《ヴィルス》だった。』

 『私たちはViluce《ヴィルス》の翻訳機能の新技術として、人工知能による複数言語の意味を、認知しやすくまとめる修正機能を追加していた。これによりViluce《ヴィルス》による翻訳は、他文化独特の概念であってもそれを自身の文化圏における比較的近い概念に落とし込んで表現することで、コミュニケーションの阻害を回避していた。しかし、それがあだとなった』

 『はぁ。Viluce《ヴィルス》によって変化させられた概念はあくまでコミュニケーションを円滑に進めるための道具に過ぎないはずだったが、Viluce《ヴィルス》の人工知能はオリジナルの概念自体を他文化圏に理解されやすい形へと変化させ始めた。微妙な認識の違いを取り除くために、翻訳をする裏でその脳内の認識自体を変え始めたのだ。その結果、小さな文化圏に見られた独特の文化は大きな文化へと吸収、統合され始め、世界は少しずつ色を失い始めた』

 

 「2072年、11月19日」

 『概念の統一化がもたらすものは一体何だろうか?私たちには私たちの常識というものが存在する。それは他の文化圏にもそれぞれに存在する。それらの違いは本来他文化や他者への理解を促す足掛かりになるはずだったのだ。その文化が統一されたとしたら、全人類はいずれ同じ庭の土を踏み、同じ食事を取り、同じ神に祈りをささげる隣人と同等になってしまう。その行為の姿かたちがどれだけ違っても頭の中では全て同じ概念として処理される。そうした時我々は一つの群れを成す蟻のような連帯感を見せるかもしれないが、それは巣穴に引きこもるようになることを意味するだろう』

 

 「2072年、11月20日」

 『それだけではない。人間の複雑な思考は、この頭脳の進化は、細分化された言語情報による負荷があったからこそここまでの進歩を得られたのだ。ものに、人に、世界に名称を与え分類し、ついには実在しないものにまで名称を与え広めるようになった。こうした行為は人間の頭脳に大きな負荷を与える行為だっただろう。だからこそ、人間の脳は負荷を与えることでその真価を発揮してきたのだ。もしも、あらゆる事象を概念によって抽象的なたった一言で表現できるようになってしまったとしたら?はぁ、我々の頭脳は高度な認知能力も知識も必要としなくなるだろう。ライオンにとってシマウマがただの餌という認知で事足りるように、私たちは簡略化された概念で世界を認知するようになるだろう』

 『とにかく、このままでは人類の退化は避けられない』


 「2085年、1月6日」

 『結局私には何も変えることができなかった。問題を認知させようとあらゆる方面へと呼びかけを行ったが、誰も相手にしてはくれなかった。いや、寧ろ相手にしてはいけないのだろう。いま世界は一つになりかけているそれを止めようとする異分子は必ず排除されてしまう。だからこそ、誰も行動できないのだろう。はぁ、そうこうしているうちに私は愛する妻を失い、娘は、私のことを忘れて幸せに暮らしているのだろう。いや、それでいいんだキャンティ。幸せになってくれ・・・』



 その頃、あの猿のような生き物は急ぎ足で森の中を翔けていく。ようやっと止まったかと思うと、目の前の大きな木を登り始め枝の上からあの声を上げた。

 「mがおいdんがlgきkんがヵいgjr」

 「まそdgね;rgじゃえんflこじゅrhg」

 それに応えるように似たような発音の声が少し上の方から聞こえてきた。その生き物は声のした方へと枝を登っていく。生い茂る葉を抜けたとき目と鼻の先にと同じような姿をした生き物が現れた。は驚くこともなくそのまま近づくと、毛でおおわれた腕でその生き物の体を優しくなで始めた。それに呼応するようにその生き物もに体を預けるのだった。



 「2088年、10月29日」

 『お父・・さん』

 『キャンティ?どうしてここに・・・』

 『お父さんがもう長くないって聞いて、ずっと意地張ってたけどやっぱり最後は一緒にいたいと思ったから』

 『そうか、そうだったのか』

 『ちょっと、お父さん!死なないでよね!?』

 『あぁ、すまない。なんだか昔を思い出してな。少し気が抜けてしまったんだ』

 『研究に浸ってた時とは大違いね』

 『そうだな。今はお前の声を聴いている時間が、何よりも愛しいよ』

 『今更・・・気づくのが遅いよ』

 『本当だ、本当だよ。父さんは何一つ大事なものを守れなかった』

 『それって、人類の未来ってこと?』

 『人類じゃないよ。お前たちの未来さ』

 『お父さん・・・』

 『・・・もうすぐ産まれるのか?』

 『えぇ、私もいずれはママになるのよ。実感が湧かなくて怖いくらいだわ』

 『大丈夫だよ、お前ならきっと最高の母親になれるさ』

 『それは言語学者としての助言かしら?』

 『いや、お前のダメな父親として、たった一つ確信できることだよ』

 『パパ・・・』

 『こんな父親だが、もう少し一緒にいることを願ってもいいだろうか?』

 『当たり前じゃない。私だってずっと一緒にいたかったくらいだもの』




 『ねぇ、お父さん』

 『なんだい?』

 『お父さんは人類の退化を回避しようとしてあんなに躍起になったんだよね』

 『あぁ、今となっては私一人が人間の存続に手出ししようなんておこがましいと思うよ』

 『それなのにどうしてそんなに必死になって守ろうとしたの?』

 『・・・人間の素晴らしさ・・・というのかな。が失われてしまう気がしてね』

 『確かにここ数十年で小さな文化は大きな文化に統合されて消えていったわ。それに私の友達にも、コミュニケーションの末にどっかの宗教の信者になった子もいたわ。あんなに無信仰を貫くなんて言ってたのに、噓みたい』

 『・・・・・・』

 『正直、世界や私がどうなるのか分からなくて不安だけど、一つだけ確信していることがあるの。なんだと思う?』

 『なんだろうね。想像もつかないよ』

 『そんなに難しいことじゃないわ。人の愛情だけはどんなことがあっても崩れないってこと』

 『愛?』

 『えぇ、世界中のいろんな人と話してきたけど、みんな誰かのことを愛していると言ってたし、その姿は私がパパやママに見てきたのと何ら変わらないものだったわ。だからね、これだけは言えるの。これから先どれだけ人間の退化が進んでも、愛だけは無くならないって』

 『さすが、ママの子だ。強くなったね』

 『この頭はパパ譲りだけどね』


 『愛してるよ、キャンティ』

 『愛してるわ、パパ。ずっとずっとね』


 「音声ログの再生を終了しまし・・・・・・・・・・・


 2378年のある夕暮れ時。

 ここにとある人間の歴史が終わり。

 そして新たな愛が芽生えるのだった。

 

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