第2話 人類の壁

 「2036年、5月24日」

 はじめと同じ機械の音声で録音の日時が無感情に伝えられる。

 『今日は本当にめでたい日となった』

 その機械の中からはっきりとした音質で男の低く太い声が聞こえてきた。その生き物は理解もできないはずの音声にどういう訳か懐かしさを覚えたかのように再び意味をなさない声を上げる。

 『これまで私についてきてくれたみんなには本当に感謝している。これは君たちなしでは決して成し遂げられなかっただろう』

 男の声に続いて甲高い風切り音のような音が響き、それもまた嬉しそうに手で地面を叩いている。まるでリズムとメロディーが合わさったようにそこに一つの音楽が形成されていくようだった。そんな会場に祝福されて男はさらに続ける。

 『それでは、我々の偉業に祝杯をあげよう!我々の、Viluce《ヴィルス》に!』


 『この時私たちはその行いの間違いに気付くことができなかった』

 少し間をおいて発せられた声は、先ほどまでのものよりも大分かすれて弱くなった男の声だった。昔の記録を読み返しながら、物思いにふけっているようだ。


 「2036年、10月1日」

 『さぁ、お嬢ちゃん。こっちにおいで、もうすぐパパたちのすごい発明がテレビに映るぞ!』

 『パパのすっごいの!できたの!?ホントに!?』

 『あぁ、そうさ。もうすぐお披露目さ、見逃さないでくれよ?』

 『あなたってば、はしゃいじゃってまるで子どもみたいよ』

 『ヘンリー。君にも絶対に見てもらいたいんだ、君の願いのためにも絶対に完成させると約束したからね』

 『パパ?ママと約束したの?』

 『そうだよ、パパはね、ママとの約束を果たしたのさ』

 『じゃあ今度は、わたしと約束して!』

 『いいよ、可愛いお嬢ちゃん。なにがしたいんだい?』

 『この世界のいろんな子と、おしゃべりがしたい!』

 『ははは、すまないキャンティ。そのお願いは約束できそうにないな』

 『え?なんで』

 『だって、もうそれは夢物語じゃなくなった。まさに今日から、世界の言葉の壁は開かれたのさ。もう言語の違いで行き違いが起きることもコミュニケーションを避けることもなくなる。世界は一つになれるんだよ!』

 『あなた、そろそろじゃないの?』

 『おお、そうだな。よしみんなで見よう、人類の歴史が変わる瞬間だ』


 『私はこの時、本当に幸せだったんだ。それはもう、これ以上ないほどに』

 『でも、これは私にとっての罰だったのかもしれないな。人類の壁を壊したつもりだったが、それは壊してはいけないものだったのだろう』


 「2036年、12月31日」

 『それでは、ご登場願いましょう。私たちの世界を一つにしてくれたイードン博士に』

 割れんばかりの拍手の音にその生き物は今度は驚いたようで、機械を耳元から遠ざけて顔をゆがめている。拍手の音が収まると少し耳から遠ざけて再びその記録に聞き入り始めた。

 『ありがとう、ありがとう。あぁ、皆さん。ここでどう感謝の言葉を述べればいいのか、言語を専門としているはずなのに分からなくなってしまいそうです。ハハハ』

 『まずは私の妻に感謝を伝えたい。彼女がいなければ、私はこの構想自体思いつきもしなかっただろう。彼女は私の原点であり、原動力だ。あぁ、勿論娘のキャンティにも感謝したい。彼女の笑顔と私を呼ぶ声だけでいくつの夜を乗り越えられたのか、もう忘れてしまったよ』

 柔らかな笑い声が男の声を覆い隠す。この時、この場はその生き物を除いてまさに一つにまとまっているようだった。

 笑い声が収まって少しして、男の深く息を吸う音に続いて声が流れ出す。

 『それから、研究メンバーの皆様。そして、後援してくださった多くの方に、感謝を述べます。この研究・開発は本当に多くの尽力なくして成し遂げられなかった。あいにく私はもう若くはないからね。彼らの若さに触発されてやっとのことで乗り越えられた壁も少なくない。本当にありがとう!』

 再び割れんばかりの拍手の音にその生き物はいい加減うんざりし始めていた。結局、その拍手が収まるまでの数十秒の間それは土を掘り返してほかの遺物を見つけようとしていたが、注意がそれたことで拍手が収まってからもしばらくの間はそちらに集中してしまっていた。そうしてそれは彼が残した世紀の大宣言を聞き逃すこととなった。

 『みなさん、準備はよろしいですか?新翻訳機構Viluce(ヴィルス)の登場によって、これから人類はものすごい勢いで交流を深めていくのです。みなさんはその貴重な瞬間の目撃者となり、未来の子供たちに語るのです、「あの日から、世界は一つになった」とね』

 草むらから何かの金属片を見つけ、ぶつけてカチカチと音を立てるそれの背後で、あの言葉が大きくこだました。

 『人類の壁は破られた!』


 『そう、人類の壁は破られたのだ。それも進化ではなく退化のな』

 

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