第2話 蝮の娘
私の養父は、美濃の蝮と恐れられている。
親子二代にわたる壮大な国盗り物語は、恐らく後の世に語り継がれるものだろうと思う。なぜなら、平民が貴族の姓を奪い、その領土を乗っ取ると言う事だからだ。私、生きていた頃――語弊があるが、人生やり直しているので許してほしい――では考えられない事だ。今は、どうかは分からない遥か海の向こうの更にその先の土地の事など、城下町では話題にも上らないからだ。
そう、私、ジャンヌは神様の救済を受けて生まれ変わったのだけれど、そこは私が生きた地から遥か遠く、日ノ本と呼ばれる場所だった。記憶が虫食いではあるけれど蘇ってしまったのは良いのか悪いのかは死ぬときに分かるだろうから気にしない事にした。幸い、神様の声は聞いてないので普通の人生を送れるだろうと思っている。
それでも、普通の家に生まれなかったのは前世の死に様が影響していると確信が持てる。お養父様に聞いたところ、縁者の油屋の火事で‟幸運“にも生き残ったのが私らしい。お養父様は、これは凄い運があると言う事で養女にしてくれたようだ。本当に感謝しかない。前世であれば火の魔女だと石を抱かせられて井戸か池に放り込まれていただろうことは想像に難くない。そして、拾われた時にお養父様が見たと言う炎の蝶にあやかり、火蝶と名付けられた。
お養父様は、商人でありながら私兵を抱える大きな家の主だったようで、私が一人増えた所で生活に影響がある訳でもなく、寧ろ私に教育を施してくれたのだ。聞けば、賢ければ儲けもの程度であったらしいのだけれど、幸いにも記憶の戻っていない幼女の私は思いの外、賢かったようでみるみる知識を吸収し育っったらしい。記憶が戻ってからは、前世のように悪目立ちしないように世渡りしたせいか、慎みがあるとかなんとか言われたのを覚えている。
この頃に正式に娘として迎え入れられた。
そんな私は自身が思っているよりも高評価だったらしく、お養父様は嫁入り先を厳選し始めたのだ。無論、商売人であるお養父様が安売りするはすも無く、寧ろ、渋りに渋っている内に値がどんどんつり上がっていった。勿論、それは私の評価ではなく、お養父様の勢力が大きくなっていったことの方が大半を占めていた。それでもお養父様が渋ったのは、相手が私の出自を知り、側室も側室、下っ端、寧ろ下女の方が無文高いよね的な事を臭わす方々が多かったからだとお養父様の周囲から聞いた。
結構、お養父様は私を可愛がってくれているので、そういった不愉快な話はしてくれないのだ。それでも知りたいのが人情だし、こちとら前世では農民から聖女まで成り上がった先駆者なのだ。御貴族様の思考はそれなりに知っているのだ。
「火蝶! 火蝶はおるか?」
珍しくお養父様が私に会いに来てくれた時の事だった。
時代を駆け抜けたお養父様が稲葉山城に居を構えてからは、かなり忙しく私に構う時間が殆ど取れなくなっていたのだ。
「はい、ここに」
「おお、火蝶。ん? もう少し着飾ったらどうだ? 仮にも年頃の娘なのだから」
「まあ、お養父様、分かっていて言っていますよね?」
「まあな。お前の魅力は容姿でもあるが、本質は、賢である。だから、儂も五月蠅くは言わん。言わんが、親としてはやはり着飾って欲しい者なのだよ」
「では、急に来るのではなく、来ると前もって知らせて下されば、着飾ってお出迎え致します。御公家様のようにね、ふふふ」
「まったく、誰に似たのやら……」
勿論、お養父様にですよとは言わない。言わなくても分かっているし、こんな軽口を叩け会えるくらいには絆はあると思っている。お養父様も生粋の武家ではないから五月蠅くはないし、家臣の居ない場では、それこそお養父様も肩ひじ張りたくないと考えているのだから。
「それで、どのようなご用件ですか? お養父様」
「おお、そうであった。嫁入り先が決まりそうだ」
は?
「何を呆けた顔をしておるのだ? 近いうちに決めると申しておっただろう?」
「それはそうですが……天下取りの為には近隣の木っ端大名では意味がないとも言っていませんでしたか?」
「言った。それは今も変わっておらん。この斎藤家を天下に轟かす為に必要なのは、名ではないのだ。斎藤の名でもう終わっておる。必要なのは力、いや、器と言った方がいいかもしれんな」
そんな事を数年前に話した気がします。私が思わずポロッと前世の経験を話してしまった時でしたか?
「火蝶が言っていただろう? 名では何も成せない、数だけでも成し得ない。数を束ね、それを受け止める大義と大義を抑える何かが必要だと」
「え、ええ、確かに言った気がします」
お養父様、御歳の割に記憶力が良すぎて困ります。
「火蝶、お前が聡いのは知っているし、生まれというかそういうので人とは違う何かがあるのは、父も理解している。だからこそ思うのだ。火蝶、お前の婿には斎藤家としての利よりも天下の利を求めるのが正しいのではないかと、な?」
「そ、それは、あまりにも私を買被りすぎではと思います。生き残った幸運は、ひいてはお養父様の幸運に因るものです。私自身など――」
「火蝶!!」
私の言い訳をお養父様の声が断ち切った。
あ、なんだか久しぶりにお養父様が怒っている気がする。私がやんちゃして登った木から落ちた時以来だろうか。
「火蝶よ、父を悲しませないでくれないか?」
お養父様、その表情は反則ではありませんか?
「儂には子が沢山居る。正直、儂の子かどうかも不明な奴もおるが、それは意図して儂がそう振る舞って来たからだ。生粋の武家ではない儂が家臣団を束ねるには根が居る。その為の斎藤家であり、子達だ。だが、その中で、お前だけは儂の意志で、儂の意志だけで娘とした。血は繋がってはいないのはお前も承知の通りだ」
「……はい」
「確かに、血が全てだと言い張る輩が存在し、それを否定する訳にもいかん。しかしだ、血よりも大事なものがないとは誰が言いきれるのだ? 儂は商人の出だから、こう言い直そう。金よりも大事なものが存在すると! それが儂にはお前なのだ、火蝶。本当だの義理だのは関係ない。蝮の、美濃の、国盗り道三の宝は娘である火蝶なのだ」
この先、どんな運命が、どんな最後が待っていようとも人生をやり直せて良かったと思う。私にとって家族をくれたのが、この人で良かった。本当に。だから、だからこそ、この先の言葉を聞き、私は私の全てを捧げてやり遂げなければならないと心に誓う。
「お父様、私は誰に嫁げばよいのですか? そして、何を為せばよいのですか?」
父の為ならば、前世で憎んだあの者達のような行いすらやり遂げよう。神様の救済を台無しにしようとも天上の意志に逆らおう。さあ、お父様、教えてください。
「気負わなくてもよい。儂の宝を掛けた一世一代の大商いだ。見込みがなければ降りるだけよ。儂の目利きは天下一だ」
そうお父様はニヤリと笑う。
そうでした。お父様は天険、稲葉山城主、美濃の蝮こと斎藤道三なのでした。
「尾張の小倅よ。名を信長と申したか?」
「狂犬の子犬ではないですか? しかも、美濃に攻め寄せています」
「まあ、今は敵なのは間違いないのぉ。火蝶から見ても子犬か?」
「民を愛するどころか、足元もおぼつかず、東海道の怪物に気が付くでもなく美濃に噛みつくなど狂犬の子犬と言わずして何と言うのですか? あのような愚物がお父様のいう器なのでしたら、老いたと私に言わせたいのですか?」
それでもというのであれば、私の出来ることをするだけですが、あまりにもお父様の為になりません。このままではお父様の邪魔にしかならないではないですか!
「半分当たりだ。確かに今のままでは邪魔にしかならん。此度の仕儀も狂犬の名残であるし、家臣の1人が必死になって儂に縋ってきただけだしの」
「統制も取れていないのですか?」
「まあ、そう言ってやるな。現状では、我が美濃斎藤家よりも内情が酷いからな。骨肉の跡目争いなど百害あって一利なしだ。それでも斎藤家を壁として使おうと考えているのであれば海道の怪物に一矢報いるやもしれん。とすればだ、火蝶、お前を送り込み織田を取り込むか、育てば斎藤・織田連合で海道の怪物を討ち取るも良しだと思うての」
お父様のいう様に斎藤家を山とすれば西に川を抱える織田家は戦力の多くを東に向けることが可能となります。それでもお父様の言う様に、あの海道の怪物を相手に対峙できるのであれば面白いですが、所詮は弱卒の織田です。本当の狙いは内部分裂を起こしている織田家を吸収するための輿入れと考えるのが妥当です。それに、織田家であれば私を奪い返すのも簡単だとお父様は思っているのでしょう。私的見解であれば、山猿退治をして武田家と誼を通じるのが上策だと思うのですが、前世の田舎者の粘り強さを知っている私ならではの考えなので理解はしてもらえないでしょうね。
「お父様がそこまで言われるのであれば、私が尾張者の躾をして、お父様の下に連れて参るとします」
「まあ、そう慌てるな。小倅も小倅なりに考えておるらしく、狂犬とは別の遣いを寄越し、儂と会いたいと申しておる。儂を見定めるつもりらしいが、噂にたがわぬ愚物であれば、火蝶をくれてやる訳にもいかんのでな、その場で刈り取ることにするつもりだ」
ははははと豪快に笑うお父様ですが、どちらの城でもない場所での会談など罠を仕掛け放題ではありませんか。お父様には申し訳ないですけれど、半兵衛さんに相談しましょう。流石に城外では私ではどうしようもありませんからね。
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