第37話 意外な近道


 ‐ 2日後 華道 レディア総合病院 ‐



 頭がぼんやりとする。また知らない天井だ。


 真っ白な壁とベッド、沢山の数字がある画面と機械…ここは…!?


 焦って飛び起きると、後ろに引っ張られる感覚があった。左腕に針とチューブに線…頭と首にも色々繋がれていて、上が裸だった。


 なんだこれ…婆にやらされてた検査みたいになってる。


『担当医が参ります。横になったままお待ち下さい』


 俺が起きて、勝手に機械が誰かを呼んでしまったみたいだ。扉と窓が一つずつ、逃げ場はなさそうで一気に緊張が上がってくる。身構えて待っていると、真っ白な服の女の人が「失礼しまぁす」と柔らかい声で入ってきた。


「ビックリしたかなぁ。ここ病院だから安心して」


 慣れたような受け答えで隣の椅子に座って、機械を触りながら時々笑顔を向けてくる。作っている顔でなく、子供を大事にする人の顔。今すぐ俺をNPAに引き渡す感じではないか…?


「もう治りかけてる。すごい回復力よねぇ、これならご飯も食べれるかなぁ」


 覗き見られている。俺をというより丸出しの右腕の方。お医者さんは沢山の人を診ている分、生体質も多く知っているはずなのに。


「あの、俺は今どういう状況ですか。俺が気絶した後、何があったか教えてください」


 場合によっては、どうにか誤魔化してここから逃げる。心の準備をしながら話す。


「私より保護者に直接聞いた方がいいかしら。今お話し出来るみたいだけど、してみる?」

「え?…はい」


 画面にあった通話のマークが、俺の目の前で広げられる。


 保護者って、父親のことかな。

 レンは無事かな…


『おはよう、初めましてだね』


 白い机を挟んで高そうな椅子に座る男の人が映る。


 自分の目を疑った。落ち着いていられなくて、また体に繋がったチューブと線を引っ張ってしまう。


 全部後ろに流され固められた髪と整った髭、優しそうに下がった緑の目、高そうなスーツ、余裕のある微笑み。


「矢島晃一…さん?」

『あぁ、知ってくれていたか』


 婆が頼れと言っていた人。今までの頑張りの全ては、この人を探すためだ。目標がどうしてか目の前に現れた! わけ…なんて後回しで、聞きたいこと、聞いてもらいたいことが沢山ある。


「みや八千枝から、あなたを頼れと言われました。それで…え」


 早まる気持ちを止められなくて、画面に近づいた時だった。右端に映っている自分の姿を見て、胸が縮み上がる。


 黒の部分が腕から胸、顔の端の方まで広がっていた。試合の前は右腕だけだったのに…なんで…どうして…


『…二人で話がしたい、席を外してくれるか?』


 女の人が一言「はい」と返事をして部屋を出ていく。


『思うことはあるだろう。少し複雑な話になるが順を追って説明する』

「…あっ、はい」


 一回、落ち着こう。まだ何ともない。色々と聞かなきゃいけないことの方が先だ。


『沢渡から事情は聞いている。彼女がどうなったかも…非常に残念に思う。……あー、沢渡、沢渡チエは、君の以前の保護者の名前で…キミが教えられていたのは偽名だ。だが、それは居場所を隠すためであって、決して君が…えー…そうだな』


 話が途切れて遅い。これは大人が子供に言い辛いことを話す時の顔か。いや、少し違うような気もするけど、ここは言った方がいい。


「気を遣わなくていいです。俺は、色んなことに耐える練習をしてきました。急に泣いたり叫んだりはしません。それよりも先に聞きたいことがあります」


 矢島晃一は、少し驚いたみたいに口を閉じると『やはり似るものだな』と呟いて笑う。


『すまない、子供は繊細だと注意を受けていてね。下手な遠慮はやめよう。何が聞きたいんだい?』

「俺と一緒にいた女の子、極レンは無事ですか?」

『キワミ…あぁ、道場のお嬢さんか。先日、会うことがあったが、元気そうだったよ。キミが目覚めたら知らせてほしいと、連絡先も預かっている。後で掛けてみるといい』


 よかった、無事だったか。試合も父親がまだチャンスはあるって言っていたし、今度は、何もなくさずに済んだか。…あれ?


 矢島晃一に会えたってことは、闘技大会に出る理由はもうない?


『しかし、救急車からキミの情報にアクセスがあった時は驚いたよ。まさか道場で選手をして大会にまで出ているとは、さすがに予想外だった。沢渡が育てたというのも頷ける』

「あの、矢島さんとサワタリ…チエはどうして知り合いなんですか?」

『そうだなぁ、まずはそこからか』


 組んだ指を机に載せて、矢島晃一は話を始めた。落ち着いた低い声とわかり易い言葉。今まで会ってきた大人とは、何か違う感じが伝わってくる。


 昔、婆はNPAで働いていて、一緒に仕事をすることもあったらしい。それで婆は大事なものを持ち去って、あの家に身を隠した。だから襲われた。


 普通ではない驚くような話…ではあったけど、意外と聞いてみたら、なんとなく予想していた通り、やっぱり悪いのは婆だった。


『退院後は形式上、私の息子として生活してもらう。不満かもしれないが、まだNPAが動いている可能性があるうちは、我慢してほしい』

「えと、それは矢島さんの家に住んでいいってことですか?」

『できればそうしてもらいたいのだが、嫌かい?』

「我慢って…どんなことですか?」


 矢島さんは、俺の顔をじっと見た後、薄っすら笑って答えた。


『突然、親を名乗り出てきたダンディな中年と、朝食やディナーを楽しむ羽目になってしまった…そんなとこかな?』


 それのどこに我慢が必要なのだろうか。ふざけているなら笑顔を作るべきか。いや、でもふざけて済ませてしまったらダメだ。婆に言われたからって、少しも考えてなかったけど、昔に知り合いだったっていうだけで、何でここまでしてくれるのかが、まだ分かっていない。


 聞いてみると答えに困っているのか、髭を触りながら目を逸らして唸る。


『なに、昔の弱みを握られて、キミを助けろと頼まれたに過ぎないよ。それとも危険な目に遭っている子供を見過ごせない、と言った方が信用してもらえるかな?』


 どっちも理由として分かる。婆ならやりそうだし、今までの大人の動きを見てもそうだ。ただ言い方がどこか簡単すぎる。疑われるのが面倒くさいのだろうか。


『そうそう、それはさておき、確認したいことがある』

「はい」

『大会出場は、キミの意志かい? 無理に強いられたわけではない?』


 この時の矢島さんの目は真剣だった。笑ってはいたけど、答えを間違えてはいけない。そんな気がした。


「違います。俺からお願いしたことです」


 静かに俺の様子を見て『ふぅん、そうか』と、机で何かを操作する。


『もう一つ、これは約束だ。NPAへの対処は、すべて私に任せてもらう。ないとは思うが、間違っても自分で復讐なんて真似は考えないでくれ』

「ふくしゅう…はい」

『それと、最後に聞きたいんだが、沢渡は……』

「?」

『いや、またの機会にしておこう。院長から退院のお許しが出たら連絡する。それまで安静にしていてくれたまえ』


 それを最後に画面が消えて『極錬 連絡先』という小さな枠が出てくる。


 あっという間に時間が過ぎたような、それにしては沢山のことが一遍にあり過ぎたような…どう言っていいのか、落ち着いている自分がとても不思議で、とても変な気分だ。


 まさか向こうが俺を探してくれていて、偶然にも気絶した先で見つけてもらえたなんて。偶然じゃなくて矢島晃一さんのお陰か。急すぎる話で何も湧いてこない。でも、久々に心が静かだ。


 背中をベッドに戻して、右手を眺める。


「…」


 気絶する前、あの時の感覚。今でも強くハッキリと残っている。


 あれは…凄かったな。


 痛みや辛さがどれだけ来ても、逆に気分が上がるし、何もかも自分が絶対に正しいと思えて普通じゃない力が出せた。


 いつだって本能は俺の先を見てくれていた。奪われたくないと思う、悔しい感情だけじゃなくて、きっとレンたちとの生活は、俺が思っている以上に大事なものなんだ。いつかは頼らずに自分で分かるようになりたい。


 安全は手に入った。『いつかは』と『これから』のためには、極道場との約束は捨てられない。矢島さんに大会に出てもいいか頼んでみて、その答えによってまた考えることにしよう。


 あとは確かぁ…復讐か。うーん、悪いのは婆だけど……チャンスがありそうだったら考えてみよう。


 よし。大体、頭の整理がついた。時間も丁度よさそうだし、通話かけてみよう。画面の枠に触れて、呼び出し中のマークが出てくる。


 中々繋がらない。掛け直そうかと思ったら、いつもの居間が映って、すぐに真っ暗になった。[キンキンガラガラガッシャン]すごい音が聞こえている。


『あーぁ、やっちゃったよ』

『わっあっぁ、ごめん父さん』


 騒がしい。少し経って、割れてひっくり返ったテーブルと、それを片付ける父親、慌てたレンが画面に映った。


「…大丈夫か?」


 そう声を掛けると、レンは固まって、ゆっくりこっちを向く。口をアワアワ開けて、まん丸にさせた目に涙が溢れてきていた。


『スン……泣かねぇよ、己…やくッぞぐ…』

「…」

『うっ…ふっ…ぐッぅわぁぁぁあんぐッ、ナナシのバガァァ、何で笑ってんだよぉぉっあぁぁあ』

「いや、だって、自分でわざわざ泣かないって言ってから泣くから」


 そういえば泣くのを我慢してくれって言ったっけ。試合する時はって意味だったのだけど。


『いやぁ、無事で良かった。もう何がなんだか分からず終いで心配してたんだ』


 父親がレンの肩に手を置いて顔を出した。波のない困り声がいつもみたいに話を始める。


『お前たちが怪我したってんで飛んでったら、ナナシ君の居場所が分からんくなってるし。メローリップから訴えられたと思いきや、リング社の御偉いさんが勝手に話つけて、ナナシ君を引き取るっつぅしで、一体どうなってるんだ?』


 説明を頼まれて、さっきした話をした。矢島さんが、婆との約束で俺を見つけたこと、道場を離れて矢島さんと暮らすこと。


『えっじゃあ、ナナシ…もう道場には来ないんか?…もう会えないかもなんか?』


 やっと落ち着いてきたレンの目がまたショボつく。確かに、これからも大会に出るなら練習が必要だ。今まではずっと一緒だったけど、これからは何とかして会う方法も考えないといけなくなる。


「会えないことはないと思うけど、矢島さんに言ってみる。もしダメでも考えるよ」

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