第23話 勝利の代償


 - 2週間後 道場 -



「今日で40回目くらいか…いい加減、まぐれでも1勝は欲しいところだな」


 父親が俺とレンの間で腕を組む。こちらを見る目に重くのしかかるような力を感じた。そろそろ追い出される日が近いのかもしれない。今日こそは成功させないと。毎回ただボコボコにされて終わっていただけじゃない。


「そんじゃぁ…」


 息を吐きながらレンが構えた。両拳を腰の後ろに流して勢いを溜めているような姿勢。始まってないのに一瞬も目を離せない。俺も腰を落として交差させた両手を目の前に構える。父親がいうには『攻守の切り替えに長けた構え』だという…ほぼ守ってしかいないけど…


「始め」


 動きはよく見れば、教わったことが入っていて少し避けられるようになってきてる。でも避ければ次が来て、次が来たら打つ手がどんどん減っていく。そうなる前に早く勝負を決めなければいけない。


 怖い顔が俺を狙って蹴りを飛ばしてくる。反応も動きもレンの方が速い。だから少しでも準備の時間を作るため、避けながら体をぶつけて着地を崩す。


 といっても次がくるのは速い。今度は勢いよく走ってきて横蹴りの動き…と思ったら素早い殴りがやってくる。ギリギリで避けられたけど、殴りの勢いのまま来る回し蹴りが避けられない。両手で受け止めながら吹っ飛ばされて受け身を使う。もうキツイ。


 この辺りだともう少し左の所か…吹っ飛ばされた場所の周りを確認する。


 レンがすぐ詰めてきて、避ける俺の顔を蹴りが擦った後、もう一度、強い突きを出そうと大きく踏み込んだ。


「…ッ!?」


 動きが止まった。レンの口の端が下がる。


 ここはかなり古いせいで木の床が擦れて棘になっていたり、少し段差になっていたりする場所が何個もある。俺は夜や空いた時間にそうなっている場所を全部覚えて、その日に大きく棘も立たせておいていた。


 そして、やっと棘を踏んで痛みが隙を作ってくれた。俺がすぐに動けて崩せるこの時を待っていた。でも、これだけじゃまだ足りない。


「ゔッ!!」


 レンは痛みに強い。念のために棘を踏んだ足を上から踏んづける。それでも多分、隙は一瞬だけ…前に運よく殴りが当たってもっと動きが凄くなったのを考えるとチャンスも一回だけだ。


 自分より大きい相手に丁度いい『投げ』を使う。首近くを掴んで足を掛けて回る。


 …だけど、もう少しというところで動かない。こんな体勢からでもレンは凄い力で持ち直そうとしている。何となく、そんな気はしていた。


「…大きい」


 力が少し緩んだ。もう少しか。


「デカい、巨人、重い…嫌いだ!」


 力が抜けて人形みたいに[どすんッ!]と崩れ落ちた。ボーっと天井を見ていて、そこに止めを入れるポーズを取る。


「あー…勝負あり。ナナシ君の勝ち」


 口を開けた顔の父親が思い出したみたいにそう言った。


 やった…勝った…!

 

 こんなに気分が上がるのは初めてだ。またお腹が減ったり臭くなったりしなくて済むから嬉しいというのもあるけど、相手を倒すために自分で立てた予想の通りになって勝てたのが何より気持ち良い。


「おい…錬?」


 嬉しさを味わっているところに父親が心配そうな声でレンに呼びかけた。何か様子が変なことに気づいてレンを見ると、ボーっとしたまま起き上がってこない。レンに勝ったから父親にすぐ次のことを言われると思っていたのに…


 音がしない時間の中で、段々とレンの口がピクピクして、目から涙がサーッと流れる。


「ぐっうっ、うわははゎぁーーん!!」


 そして変な声で泣きながら出て行ってしまった。急なことでこっちもボーっとなっていると、父親が困ったみたいに目を抑えてブツブツ言いながら歩いてくる。


「どんなことでもと言ったがなぁ…はぁ…」


 真面目な顔を向けられると静かに「正座してくれ」と言われて俺だけ正座させられる。これから大事な話をされる感じが何となく伝わってくる。


「今回の勝負で…まぁ合格としといておくが、これだけは言っておく。あんなことを続けていたら君は人でなしになる。嫌われる人間という意味だ。闘技者は相手を倒すことも勿論だが相手を思いやり、敬い、尊重することも大切なんだ。油断していたが今後は形式以外のこともキッチリ教えよう。それとこれは男としてだが、女の子を傷つける発言は良くない。前にも言った通り、レンとはこれから二人一組でやっていくんだ。どうか仲良くやってほしい。頼む」


 相手を思いやろうとするなら最初から殴ったり蹴ったりはしない。俺なりに戦えと言われて頑張ったのだけど、父親は場所を使ったり言葉を使った方法があまり好きじゃなかったらしい。


 教えると言われたし、分からないことは一旦覚えておいて、今は言うことを聞いた方がいいか。


「分かりました」

「分かったなら錬と仲直りしてきてくれ。場所は粗方、見当がつく」


 仲良くしておいた方がいいというのは俺にも分かる。まさかあんなことになるなんて思いもしなかった。色々あっても部屋にいる時は楽しそうにしていたし、大丈夫だと思ったのだけどな…


 急いで父親にレンがいるかもしれない場所を教えてもらって探し回った。



 - 1時間後 坂道 三番地解放場 -



 急な坂を上がった所にある解放場。ここが父親に教えてもらった最後の場所。最悪なことに人影が一つもない。


 どうしよう…時間が経てば帰ってくるかな、行き違いになっているかも。でも帰って居なかったら父親になんて言われるだろう。


 悩みながら坂を下る途中、何となく壁の方に目がいった。


 黒い足跡…


 普通はあっても壁じゃない、壁にあったとしても裸足はおかしい。もしレンが裸足で壁を上ったら…まさかとは思ったけど、他に当てもない。


 自分の背よりも高い壁をよじ登る。そして立ち上がった時、足が固まって息も止まった。


 壁があって見えなかったけど、向こう側はとんでもない高さの崖だった。柵がない道が解放場を囲むみたいに続いてて、凄く狭いわけじゃないのに『落ちたら絶対に死ぬ』という考えが止まらなくなる。ゆっくり、一歩ずつ、先の見えない角を曲がる。


 …


「「あ」」


 見つけた。やっぱりそうだった。道着の上を脱いだ下着姿で寒そうに足を抱えたレンがポツンと座っている。


 目が合って顔を膝の間に隠された。


「レン、話…していいか?」


 ゆっくり近づいて話しかけると、遅れて首だけが縦に動く。


「すみませんでした。自分が勝つためにレンの嫌なことを言った。でも本当にバカにしてたり思ってたりはしてない」


 こうなってしまったのは俺の言ったことを本気にしてしまったか、今まで我慢してきたものが溢れてしまったかのどちらか。だから、ちゃんと正直に言うだけで簡単に仲直りできると思った。


「…分かってる。最初はショックだった…けど、もう気にしてねぇよ」


 半分顔を出して前を眺めているレンはこもった声を出す。


 分かってたのか。じゃあ、何でこんな悲しそうにしてるんだ。普通は謝って気にしてないと言われたら『ありがとう』で終わりなのだけど…違う気がする。


 よく考えないと…仲直りは失敗できない。


「ここ…母さんと見つけた場所なんだ。父さんに叱られた時とか嫌なことがあった時は…キレイだから見に来てる」


 どうしようか考えているとレンは話を続けた。足元ばかり見ていたけど、横を向いてみれば町と海に沈んでいく太陽が全部見える。婆の家にいる時以来の久しぶりの広い景色、確かにきれいだった。でも、だから何なんだ。嫌なことってなんだ?


「えっと…俺はレンと仲良くしたい。嫌なことももう言わない。前に言ってた友達っていうのにもなれたらいいと思う。だから、どうしたらいいか教えてほしい」


「父さんにそう言われたのか?」


 待たずにそう言い返された。


 それもある…と言おうと思ったけど、怒っているように張られた声にすぐ言葉が出てこない。


「ナナシは己の家に居たいから、他にやることのために友達やろうとしてんだろ?…嫌だよな、己なんかと…だから別に無理しなくていい」


 投げやりな言い方だった。


 レンと父親の頼み事を聞く代わりに俺の頼み事も聞いてもらう。最初からそういう約束で話が進んでいた…何も嫌なことも悪いこともないはずだ。


「無理はしてない、そういう約束だから」

「約束が終わったら…すぐナナシもどっかに…行くんだろ…?」


 あれ、泣いてる?


「どうせ居なくなんなら…悲しくなっからいい」


 なるほど、俺も忘れられて作った時間がなくなる不安を感じたことはある。あれと似たことだったか。でも矢島って人を探さなきゃいけないし、どう答えるのがいいんだろう…


『判断が遅いと自我は摩耗していくんだ。今できそうなことはさっさとやることだね』


 ポケットの中、いつも離さず持ち歩いている指輪を触る。


「…不安なら」


 今できる一番はレンに安心してもらって仲良くなること。そう思って指輪を一つ取ってレンに差し出す。


 丸い目が少しずつ近づいてきて、段々と指輪に引き込まれるみたいにして取っていった。


「それ、大切なものなんだ。渡すから俺が勝手にどっか行かない理由にしていい。いつかなくても信じてもらえる方法を考えるからレンが安心できるまで持ってて」


 説明するのだけど、指輪だけを見つめて俺の話を聞いていないみたいだった。何でかハァハァ息を吐きながら顔を赤くしている。


「許してもらえるか?」

「……うぅん……おう……」


 ぼやけた返事だった。様子が少し変だったので落ち着くまで隣に座って景色を見る。そろそろ帰るかと聞いてもまだボーっとしていた。危ないし、棘の刺さった足も痛いだろうから俺はレンを背負って帰ることにした。

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