第20話 不思議な子


 急な後ろからの声にビクッとなった。振り向くと、いつの間にかさっきの女の子が近くにいた。まさか、この子もお金を狙って隠れていたのか。緊張で体が熱くなる。


「これ…使うか?…水道あっちに…」


 女の子は少し汚れたタオルを前に出して、神社の裏にある蛇口を指さす。


 タオル、水、汚い自分…


 これで洗えってことなのか?


 いや、でも意味がない。俺が臭いなら帰ればいい。やっぱり横取りを狙っているのか。俺が箱から離れるところを狙ってお金を持って行こうとしているのかも…


 女の子を見る。


 右の頬にホクロがのった変に笑おうとした顔、黒いジャージから飛び出る糸をイジる手、目を見たり見なかったり、何回も様子を気にするような動き。


 怪しい。だけど、相手は大きく俺はフラフラ。下手に急ぐとまた倒されて気絶してしまうかもしれない。まずは話を合わせて、お金を取ろうと気を抜いた時を待とう。


 タオルを受け取って、水道の場所に行って、たまに女の子を気にしながら顔を洗う。でも予想と違って、ずっと俺の傍にいて何もしないし、してこなかった。


「タオル、ありがとう。今はキレイにして返せないけど、いつか同じものを返す」

「はっ…いいっつーの…別に返さなくて…」

「お金とかは何も持ってない」

「い、いいっつってんだろ…そんなんじゃ…ねぇし…」


 話が途切れて遅い。声が大きくなったと思ったら小さくなる。


 キリがなさそうだったから直接なにが目的なのか聞いてみると、女の子は言うのを迷っているみたいに口をモゴモゴさせた。


「……臭いっつわれて…ショックみてぇだったから…」

「え」


 理由になっていないし、子供が子供に親切をする理由もない。やっぱり怪しい。いつもならそう思うのだけども、それがどうでもよくなるくらいの驚きがあった。


 初めて他人が俺の気持ちをちゃんと当てた。


 今まで殆どの人は、俺の思っていることと全然違うことを言ってきていた。頑張って顔を作っても間違われることすらある。俺が下手だから仕方ないんだと、ずっと前から諦めていた。なのに、この子はどうして…


「…っ…なんだよ」

「ごめん、癖なんだ。俺の名前はナナシ。えっと、こんにちは」

「あ?…なっななし?」


 不思議とさっきまでの緊張が緩んで、俺は何となく自分から話をしていた。


 ここにいる理由、困っていること。女の子は当たり前みたいに真剣な顔で聞いてくれて、自分のことも教えてくれた。


 きわみ れん


 実は変わった名前で、やっぱり同い年。


 いつも体を強くするために近くを走っていて、その途中、男の子たちに見つかって追いかけられていたのだという。やり返さなかったのは、そういう約束だかららしい。


「…そのお金、絶対に盗っちゃダメなんだぞ?…罰当たるぞ?」

「罰?…そうだったのか、危なかった」

「他は己じゃよく分かんねぇけど…父さんならどうすればいいか分かるかも!」

「さっきも言ったけど、目立つのはまずい」

「そっそうだよな…でも、父さん変わってっから大丈夫だと思う」



 - 坂道の最端 極道場 -



 さっき会ったばかりの人を家に入れて、しかもご飯をくれるという。前にもこんなことがあったな。理由の分からない親切は怪しいのだけど、お腹の減りには勝てない。


 真っ黒な足裏を、外の蛇口でキレイにしてから家に上げてもらう。


 家は古い木で出来ていて、とても大きい。レンが大きいからにしても、何もない広い場所がある。他は普通なのに変な家だ。


「父さーん! 帰ったぞ!…おかしいな、いつも居間でゴロゴロしてんだけどな」


 廊下を歩いて草床の部屋を覗く。点けっぱなしのテレビに食べかけのお菓子、人のいた跡があるだけで誰もいなかった。


[ブッブッブッべッフゥゥ~]


 レンがキョロキョロ部屋を見ていると、奥にある扉から汚い音楽が流れて、七三頭のおじさんが出てきた。着ている服が神社のお爺さんと似ている。


「ふぃ~すっきりすっきり」

『も~かなめくんったらお下品よ!』

「わるいわるい、お腹が緩かったんだいカイちゃん」


 おじさんは手に持った女の子の人形に話し掛けている。女の子たちのおままごとを思い出してしまった。でも、大人はおままごとをしない。じゃあ、目の前のこれは何なんだろう?


「父さん! どこだ!」

「錬、帰ってんのー…誰だぁ?」


 前に立たれて、メガネの下の黒くぼんやりした目が、ジッとこっちを見てくる。多分、この人が探している父親だろう。一言「お邪魔してます」と頭を下げた。すると、レンが慌てて割り込んでくる。


「あっ父さん、えーっと…これ友達になったナナシっていうヤツ」

「友達かぁ…お前が?」


 父親かぁ…これが?


「そっそう! 困ってるみてぇでさ! 助けてやれねぇかなって!」

「うーん…ふむふむふむ」


 ジロジロ見られ、ベタベタ触られ、背中をペチンと叩かれる。


「うん、まず風呂に入ってきなさい。話はそれからだ。錬、服を貸してやれ」


 なんだ、この人…今何をされたんだ?


 前にも彩夢お姉ちゃんがベタベタしてきたことがあったけど、アレと一緒かな? レンに聞いても、わからないといっていた。聞いた通り変わっているのだろうか。


「これ…己の使ってないジャージだから」


 レンはお風呂場を教えて服を置くと、どこかに行こうとしている。


「一緒に入らないか?」

「は?」


 お風呂は仲良くなるのにいい場所なのだと知っている。前もそうだった。折角ならレンともそうしておきたい。


「いやいや己ッ…父さんとは一緒に入ったことあっけど、他の奴とはねぇし!…いくら友達でも…」

「そういえば、俺と君はいつ友達になったんだ?」

「ひぇッ…え…あっあ~そうだよな…友達ではないよな…」


 そんなに怖がられるようなことは聞いてないはずなのに、また困ったみたいに笑って震えている。もうちょっと優しく言った方がいいか。


「俺のための嘘だったのか。ありがとう」

「いやっ…えぅ…んぅぅ…」


 どうしたんだ? 固まって動かなくなった。


 組んだ指に力が入って、下がった眉毛が近づき、擦れる歯から我慢しているみたいな変な声を出していた。俺の方が怖くなってくる。言い方が気に入らなかったのか、俺とお風呂に入るのがそんなに嫌なのか。


 返事がなくて分からないから、一人でいいと伝えて中に入った。


 そして頭を洗っている最中…


「えっ何してる…何で泣いてる?」


 扉の開く音がして目を開けると、服を着たままのレンが、涙を溜めてお風呂場に入ってきていた。訳が分からな過ぎる。


「…まだぶろはいれねげど…どもだぢっに!…ヒッなっでぐれよ!」


 ちゃんと話せるようになるまで待つしかなかった。


「大丈夫か?」「落ち着いて」「お腹が痛いのか?」「無理するな」


 しばらく泡のついた頭のまま声を掛け続けて、少し落ち着いたレンをお風呂の椅子に座らせた。俺は体が冷えたのでお湯に入って向かい合わせになる。


「気分を悪くさせたなら謝る」

「ちゅち、違う…己が…勝手に焦っただけ」

「なんで焦ってたんだ?」


 下を向いたり目を右左に動かしたりして、まだ焦っている。


「いや…己って…デカくて女子っぽくねぇし、つまんねぇから…友達いなくて…だけど、今度は上手くいくかと…思って…」


 ブツブツと話すレンを見て、少しわかった気がした。


 俺も初めて町に行った時、一度の失敗のせいで次が怖くなって、緊張してしまうことがあった。慣れるまで大変だったのを覚えている。それがずっと上手くいかなくて、レンはこうなってしまっているのかもしれない。


 そして、その失敗の原因は高い背と女の子っぽくないことだと思っている。神社の時の様子だけでも、すごく気にしていたのが分かった。そう思うと、父親の真似だと思った短い黒髪の七三頭も、女の子らしくなるよう頑張って整えているようにも見える。飛び跳ねてるけど。


「色々してもらってるし、なってあげたいけど、俺も友達がどういうものかよく分かってない。だからなれるか答えられない」

「己が教える! だからッ大丈夫ッ!」


 目が大きく開かれて、話し方も固い…必死だ。そんなにしてまで友達って欲しいものなのだろうか。話し相手なら簡単なのに。それに教えるって、いないのにどう教えるんだろう?


「…友達が欲しいから、こんなに親切にしてくれるのか?」

「そんな、とっ友達は欲しいけど…」


 まだそこがハッキリしていなかった。何か他の理由があったら困るので、早めに聞いておきたい。神社の時は別に何もしてあげていないし、偶々レンが助かっただけだ。なのにどうして助けてくれるのか。レンは答えに悩んでいた。


「…己が助かって、ナナシに嫌な思いをさせたままが、何となく嫌だったから…」


 下から覗くみたいにして、不安そうな目を向けられた。


 考える順番が自分より他人なのだろうか。気持ちは分からないけど、理由はそれで合う。


「レンは変わってるな」

「えっ……いや、ナナシに言われたくねぇ」

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