第19話 転落
- 翌日 建設用水路 -
ボキボキと家の潰れる音が一瞬で迫ってきて、俺は箱の中に滑り落ちた。何も見えない暗い中、箱は勝手に動いてガタゴトと揺れている。
しばらくして揺れが止んで外に出た。何も見えないし、臭くて吐きそうだし、訳が分からなくて涙が止まらなかった。
すぐ横で水の流れる音だけが聞こえる。柵もなくて落ちたら溺れて死んでしまうかもしれない。四つん這いで道のある方を触りながら進んだ。
這って、疲れたら休んで、また這って…手と膝が痛い。
今が夜か昼なのかも分からないけど、たぶん丸一日くらいの時間を使って、やっと太陽の光を見つけた。天井にポッカリ穴が空いている。肌に暖かさを感じて一気に力が抜ける。仰向けになって倒れ、夕暮れの赤い空にまた涙が出そうになった。
『次に悩み迷った時は、まずそこで思い止まった自分自身を信じてみな…必ずそこには何かある、お前さんなら探し出せる。なんせ育てたのは私だからね。…何をしてでも生き延びるんだよ』
真っ赤に燃えた家で、婆の手は光になって消えていった。捨てたと言ったはずの『なんでも券』を俺に渡して。
その時に気づいた。世界には悪い人がいて、婆は俺の味方だったということを。
空へ伸ばしていた手を引っ込めて、強く立ち上がる。
まずはここがどこなのか確かめなきゃいけない。上からロープが垂れていて、伝いながら這い出る。
大量の鉄ゴミとタイヤが山になっていて、大きな車がゴミを運んでいる。知らないというか、別の世界みたいな場所だった。
周りをよく見渡すと、近くでガサゴソと動く人影を見つける。車を止めて運転手さんに話を聞こうかとも思ったけど、人がいるならそっちの方が安全だ。近くまで行ってみる。
多分、白い髪のお爺さんなんだろうけど、ゴミを漁っているせいなのか全部が黒く汚れていて、動きがカクカクしている。変だけど、お爺さんなら子供の俺には優しくしてくれるだろうし、もしそうじゃなくても道くらいは教えてくれるかもしれない。
「すいません」
お爺さんは全ての動きを止めた。体を捻れないのか足首だけ少しずつ動かしてこっちを振り返る。
黄色くてぼんやりした目、いっぱいの瘡蓋、口に引っ込んだボソボソの唇、ボロボロの服。理由は分からないけど、向き合って首元がゾッとした。
「あの、ここより人が多い場所を教えてくれませんか?」
……
頑張って笑顔を作ったのだけど、お爺さんは何も言わないで俺の方をボーっと見ている。
どうしたらいいのか困っていると何も言わずに歩き始めて、近くにあった鉄の家っぽい場所に持っていたゴミを入れると反対側に向かう。
ついて行った先は柵も何もない崖だった。真下のトンネルからは車が次々に出てくる。
「あー、あぁー、あーあー」
喋れないのか、ふざけてるのか、持っていた鉄の棒を車が走る道の先に向ける。あっちに何かあるということなのか。確かに考えてみれば、車が沢山向かうなら人も沢山いるかもしれない。とりあえず、お礼だけしておいた。
じゃあ、あの先に向かうとして、やっぱり車に乗せてもらった方が早い。道に出て車を止めるのは危ないだろうけど、食べ物も飲み水もないし、やるしかない。もしお金か何かが必要なら…
大事なものを入れておくポケットを開けて指輪を取り出す。彩夢お姉ちゃんとジョーさんに渡すはずだった2つ。婆はこれを希少だと言っていた。これを使えば何とかなるかもしれない。でも…見ていると作るのが大変だったことと、2人の顔が浮かんだ。
最後のお別れを約束してたのに…残念だけど行くのは無理だな。俺が約束を破ったら2人はどう感じるだろうか…
「あー!」
…え?
ゴツゴツの何かが俺の手をギュッと覆ったと思った後、右頬にとてつもない力がやってきた。目の前がぼやける中、赤い空に指輪を摘まんだお爺さんがいた。
指輪の光が遠く…遠くになって、全部が真っ暗になる。
- 中央居住区 坂道 特殊ゴミ処理施設前 -
目を開けるとキレイな星がいっぱいに広がっていた。
頭、全身が痛い。下がジャリジャリしていて気持ち悪い。ここはどこなのか、起き上がってみると低い壁に囲まれているのが暗い中ぼんやり見える。
段々と最後に見たものが戻ってきて、強く握られていた掌を開けると、指輪が一つだけになっていた。
そうだ、俺は落ちたんだ。多分、殴られて、指輪が…
「………」
バカだった。悪い人はいると知ったばかりなのに。大事な指輪の一つが何もできずに盗られた。ムカムカとは違う、もっと焼けるような強い気持ちが顎を硬く閉めさせる。悔しい。俺がそんなだから婆もいなくなったんじゃないのか。
「はぁ…はぁ…」
早く何とかしないと、今のままでは良くない。
落ち着くために深呼吸。多分、俺は運よく車の上に落ちて、そのまま運ばれたんだ。なら、人の多い所に着いたかもしれない。
立って外を見てみると、また星…ではなくて遠くに家の電気たちがある。大きな町だ。
『NPAが…追ってくるかもしれない…リング社の矢島晃一という男を頼るんだ』
あそこで調べてみよう。誰がNPAと関係のある人か分からないから見つからないよう、用心深く。
[グゥゥ…]
その前にご飯と水と安全に寝られる場所だ。
- 坂道 偶成神社 昼下がり~夕方 -
沢山の時間をかけて町までやってきて、その3つを探し回った。
この町はキレイめの家が寄り添い合って並んでいる所が多く、逆にお店を探すのが大変だった。苦労してやっと見つけたのが、万百貨店より大きなお店と解放場。
解放場に無料のがあるから水は大丈夫。寝る場所もお店の中にベッドを売っている場所があって、そこを使わせてもらうことにした。前の本屋さんの時もお金を払わず読めたし、お客さんで寝ている人もいたから大丈夫だろう。難しいのはご飯だった。
物凄く勇気を出して、残った指輪をご飯屋さんにこっそり見せ、何とかご飯をもらえないかと思ったけど、相手にすらしてもらえなかった。
ずっと食べてなくて頭がおかしくなりそう。大人の子供を大切にする行動を使って、ご飯を分けてもらえないかとも考えたけど、親のことを聞かれたり、警察を呼ばれたりすると注目されてNPAに見つかるかもしれないからやめた。それに今は知らない大人が少し怖かった。
いい方法はないか、探していると見たことのあるものがあった。
誰でも通れる意味のない石の門。神社だ。ここにもあるのかと思ったのと一緒に神様の話を思い出した。あそこにいれば、なんとかなるかもしれない。
そうやって今ここにいる。
だけど、なんとかなるわけはなく、お腹がグルグル鳴るだけ。やっぱり他人任せは良くないってことなのだろう。石の階段に座って、ちゃんと別の方法を考える。
そんな時だった。神様の話が本当じゃないかと思うくらいに信じられないことが起こった。一人のお兄さんが階段を上ってきて後ろにある箱にお金を捨てていった。
お兄さんが帰るのを待ってから駆け寄る。箱は外側からはお金が取れないようになっているみたいだった。どうやって開けるのか、よく調べて…
「おい、巨人を逃がすなー!」
ん?
「やめろよ、ついてくんなよ!」
子供の声が聞こえて、振り向くと年上の女の子…が階段を上って来て、後ろから男の子たちが何人かついてきていた。
お金があるのを知られて横取りされたら不味い。ここは何もないフリをして様子を見ることにした。
「逃げんな巨人! 大人しく倒されろバーカ!」
「人類の敵はこのDSTがぶっ飛ばすぞー!」
男の子たちが女の子に砂を投げたり、押したりして楽しんでいた。女の子はやられてもやり返したりはしない。余裕で避けているように見えるのに、何でか泣いて顔を隠そうとしている。
「巨人じゃないっつってるだろ…いい加減にしろよ」
「うるせー、ゴリゴリ巨人! 壁の中に入ってきてんじゃねぇ」
巨人は大きな人の形をした嘘の生き物だ。
女の子は俺の頭半分くらいは大きいけど、大人と比べたら小さいし、巨人というほどでもない。ということは、年上かと思ったけど同い年くらいで、自分たちより大きいから男の子にからかわれているのか。
大変そうだな。
俺も髪が白いとか色々言われたけど、ここまでされたことはない。今まで会ってきたのが女の子と年上だったのが良かったのかな。
「何だよアイツ。ずっとこっち見てんぞ?」
あっやば…気づかれた。
「頭見てみ、アイツも外の奴じゃね?」
「おい、お前! ここは俺らの場所だぞ! どっか行けよ!」
髪が縦に長い男の子がすごく怒った顔でこっちに近づいてきた。仕方ない、一旦どこかに行くフリをして隠れよう。
「ごめん、珍しくて見てただけなんだ。だから別に…」
話の途中、その子がスンスンと臭いを嗅いで「うげぇ」と、鼻を摘まみながら後ろに下がっていった。
「くっせ!こいつビョーキ持ちだ!」
男の子たちが「やっべぇ、逃げろー!」と叫びながら逃げていく。神社に俺と女の子だけになって一気に静かになる。
……気に入らない。
病気なんかになってないはず。臭い水の近くにいて、ゴミの上にいて、歩き回って汗をかいて、とんでもない臭いになっているのは間違いないのだけど、好きでそんなになってるわけじゃない。
気に入らない…けど、邪魔者はいなくなった。早くお金を箱から出して美味しいご飯を食べよう。終わったら体を洗う場所も見つけよう。
元いた箱の横に座って、残った女の子が帰るのを待った。
「…」
女の子はどうしてか動かない。
男の子たちがいなくなったのだからすぐ帰ればいいのに。ずっとビクビクしながらこっちを覗いていた。涙の目を擦って、バレないように跳ねる肩を挟んで。俺は目が良いからバレバレだった。
こっちを見る理由……あっ俺が見てるからか。
自分でも分かっていたけど、俺には気になったものをずっと見る癖がある。これまでも今さっきも、そのせいで人を引き寄せてしまう。すぐに下を向いた。
しばらくして前を向くと女の子は消えていた。
あぁ、やっぱりか。今後気をつけないとな。反省して箱の開け方を探し始める。
「あの…」
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