第15話 準備


 - 海崖の家 夜 -



 これまでのメモを見ながらキッチンで寝転んでいると玄関の扉の開く音がした。


 婆が帰ってきて、泥だらけの思い服で動きがノソノソしている。


「おかえり」


 おかしいな、いつもならシャワーにすぐ入りに行くのに今日はなんでか真っ直ぐこっちに来る。



「車が来ただろう、説明しな」


 今までの頑張りは一瞬で無駄になった。



 どうやったのか分からないけど、車が来たことと最初から俺の様子が変なことがバレていた。全部バレていた訳ではないのに俺は早まって町に行ったことを喋ってしまって、いよいよ言い訳ができなくなる。


「自力で町に行って寝床まで確保したのかい。上手くやったじゃないか」


 すると思ったよりも婆は怒っていなかった。我慢する気でいたのに何てことないって感じで重たい服を脱ぎながら笑っていた。


「怒ってないのか? 婆にも他の人にも嘘をついたのに」

「人には誰しも弱点がある。それを隠そうとするのは至極普通のことだ。だがバレたからには罰として1週間、庭仕事をしてもらおうかね」

「…嘘は悪いことじゃないのか?」

「他人からしたらそうだが、自分からしたら違うだろう」


 前から思っていたけど、婆は悪い意味で使われている言葉を悪く言わないときがある。辞書で言葉の使い方を見れば、絶対に悪い意味だと分かるのに。きっとどこかおかしいのだと思う。


 もう隠す必要もないから今までメモしたことをそのまま婆に聞くことにした。いつもなら嫌そうにするのだけど、不思議と今日は機嫌がいいのか全部丁寧に答えてくれる。


 今ならと思って、これから町に一人で行ってもいいか言ってみたら、なんと約束を3つだけ守れるならいいと許してもらえた。


 畑と鳥の当番を増やすこと、毎日地下で検査を受けること、町であまり婆のことを話さないこと。面倒だけど、これで毎週3回くらいは町に行けるようになった。


 何度もジョーさんを呼んで、彩夢お姉ちゃんに会って、町を探検する。おかげで分かったことや気づいたこと、変わったことがある。


 年の近い子供たちと話そうとして上手くいかなかったことについて、あれから何度も試して婆にもどうしたらいいのかを聞いた。


『理解者が欲しいなら時間をかけて作れ。お前さんが対面の会話だけで好感を得ようとするのは不利だ。それでももし試したいなら…』


 相手と同じ表情と言葉遣いをするようにして、緊張しないよう自分以外は人間じゃないと思うようにした。やってみると前より少し話が出来るようになったけど、やっぱり顔をずっと作るのは難しくて少しでもタイミングや形を間違えると変になってしまう。すごく大変なのに普通の子はそれが自然に出来ていて、しかも俺は楽しくなくて、知れることも少ない。すぐにやめた。


 あと俺の生体質がないことについて、ジョーさんや彩夢お姉ちゃんは心配いらないと言っていたけど、解放場の子供たちを見ているとやっぱり気になる。どちらかと言えばあった方が絶対にいいに決まっているし、あることが皆にとって普通なんだ。


『情けない甘い言葉は自分を陥れるためにあると思いな。本当にどうにかしたいのなら、本質から自分に必要なもの、使えるものだけを見据えるんだ』


 偉そうに婆が言っていた。その必要なものが何か分からないから困っているのにそれは教えてくれなかった。生体質を使えるようになる方法、それか代わりの何かを自分で探そうとしても今のところ町の中では見つからない。


 彩夢お姉ちゃんの様子にも変化があった。


 最初、ジョーさんを避けていたのだけど、少しずつ作った顔以外でも笑うようになった。


 ジョーさんはいい人だと話したし、一緒に連れ出して3人で遊んだり、解放場でジョーさんの特技を見たりもした。周りの子供たちからは羨望の眼差しがもらえて彩夢お姉ちゃんも悪くない顔をしていた。もう約束は守れたってことでいいんじゃないだろうか。


 彩夢お姉ちゃんと仲良くなれたジョーさんは機嫌をよくして俺とも色々な話をしてくれた。自分を下の名前で呼ばせるのは相手を受け入れた証拠だということ、女の人の趣味は男の人では理解できない時があること、殆どは彩夢お姉ちゃんについて。他にも好きなもののこと、昔のこと、この町のこと、そして恋というもののこと。


 ジョーさんが彩夢お姉ちゃんと仲良くしようとする理由だ。


 人は常に人を選んでいる…何となく少しわかった気がした。自分にとって良いことを勝手に選んでくれる。これもホンノウというやつなのだろう。俺も知らないうちに彩夢お姉ちゃんを選んでいたのかもしれない。そのおかげで今こうして町に行けるようになっているのだから、すごく便利な能力だ。



 - 海崖の家 地下研究室 夜 -



「ジョーさんがいつもよりガクガクしながら『ずっと好きだった』って言ったんだ。彩夢お姉ちゃんはパン屋さんをやりたくて町を出るから、お互いに好きは無理なんだって」

「はーん」

「でもジョーさん諦めないで『なら一緒に行く』って…車の運転手を辞めちゃうかもしれないんだ。そうなったら町に行けなくなる。彩夢お姉ちゃんが町に残ってもらえるいい方法ないかな?」

「ないね、野心は自分でも説得が難しい」


 婆は注射の針を抜いて適当に答える。興味がないのだろうし、集中しているだろうからちゃんとした答えは期待できないか。


「もう会えないのかな」

「さぁねぇ」

「会えなくなったら、どうなるんだろう」

「忘れるだろうね。背中、見せな」


 服を脱いでイスごと背中を向けるとまた変な機械を着けられる。


 忘れる…忘れられる。話せるだけの人ならまた作れるけど、これまで作った時間はもう作れない。忘れたら、もう二度と戻ってこない。


「そうだ、俺たちも大きな町に家を移そうよ。そうすれば、ジョーさんの車に乗って壁の向こうに行けるし、すぐ買い物も行けると思う」

「人の多いところは不潔で病の元だ。心も荒んじまうよ」


 嫌だってことだろうな。じゃあ…どうしたらいいんだろう…


「…」

「…別れ際」


 婆は細い棒で俺の肌をペタペタ触りながら自分から呟いた。


「人間は負い目や繋がりのために物的担保を相手に渡すことがある」


 何を言っているか全く分からない。でも仕方ないみたいに息を吐く話し方は何かを教えてくれているみたいにも聞こえる。というかちゃんと聞いてくれていたのが意外だった。


「なにそれ?」

「何か、そうだねぇ…例えば、喜ばれて且つ身に着ける物を渡せば、それを見る度にお前さんを思い出したりするんじゃないのかい?」


 あぁ、なるほど。


「用意できるかな」

「自分でどうにかするんだね」


 手に入れるためのお金はないし、相手の欲しいものも知らない。どうしようもない。


「じゃあ何が欲しいか聞いてみて、それからお金を集める方法を考える」

「たかが子供にそこまでさせて大人が欲しい物を言うわけがないだろ」

「じゃあ秘密でバレないように聞く」

「そもそもお前さんは金を稼げない」

「えっ…なら誰かに…いや何処かから…」

「それも今のお前さんじゃ無理だね」


 なんなんだ、ダメだって言うなら違う答えを教えてくれればいいのに。


「じゃあ俺のこと忘れないでくださいって頼む」


 無駄な頼み事だと分かっている。相手がこれを聞いて良いことはないし、絶対じゃない。でも腹が立って考えを出すのがもう嫌になった。


「そんなにも悩むくらい大事に思うなら、なぜ他人に任せるんだい?」


 いつもの馬鹿にした笑い。悔しいけど何も言えなかった。


「…明日の朝、少し付き合いな」


 俺の頭から機械を取り外して婆はそう言った。


 検査が終わって邪魔な物がなくなったので俺は何も言わずに地下から出た。馬鹿にしといて、また何かを手伝わせるつもりなのか。そう思うとムカムカしてくる。



 - 次の日 朝 -



 寝て少し気は収まったけど、面倒臭さが大きくなった。


 朝ご飯を食べた後は畑と鳥の当番をやらなきゃいけないのに白い壁…リングビルの近くまで連れてこられた。理由はまだ教えてもらっていない。


 前に一人で来た時は気にしなかったけど、白い石が沢山転がっていて少し壁の色が違うところがある。動物たちが壁を壊したっていうジョーさんの話は本当みたいだ。だから婆もここに近寄るなって言ってたのかもしれない。


「ほれ」


 大きめの白い石が俺の前に出される。両手で受け取ると、石は見た目よりずっと重い。


「この石がどうかしたのか?」

「ちゃんと持ってな」


 石の上に手が載ると黄色い光が石を包んでいく。婆が力を使う時の光だ。こんな石をどうしようっていうのだろう。そう終わるのを待っていると何も変わらずに手が離れていく。


「……!?」


 石が一瞬で砂になった。驚いたけど我慢して離しはしなかった。


「グラック合成材料。強度と比重が高く、生物の構成要素となりづらいことから多くの建材として使われている。だが少し紐づきを解いてやれば砂と輝くだけの石ころになる」


 婆が砂の中から何かを摘んで見せる。太陽の光でやっと見えるくらいの小さな粒だった。


「少なくとも加工して渡せば、嫌がられはしないんじゃないかい」

「…それは昨日の話の続きで婆が俺の代わりに何かを作ってくれるってこと?」

「そう思ってもいい」


 分かりづらいから最初にそう説明してほしい。でも一体どういうつもりだろう。何もないのに俺を助けてくれるなんて…怪しい。


「なんで相手の欲しいものが分かるんだ?」

「希少で純麗な装飾品は大概よろこばれる」


 本当にこの光る砂で作る何かが喜ばれるかどうかは分からないけど、他に出来ることもない。とりあえず、やることに決めた。


 出来るだけ多くの石を持って家に辿り着く。婆は『毎朝、7時に家の前で待っててやる。出た粉末は捨てずに畑に撒いときな』と言って家に入っていった。


 家から壁まで10を37回歩。行って、石を落とさないようにゆっくり戻って11分。次の朝、一回で運んだ量を婆に見せたら小さな『指輪』というのを作るのに800回分くらいは必要だと言われた。


 800は10を80したらなる数…800!


 一回だけでも手が震えるくらい大変なのに、これを後800。どれくらいかかるのか考えただけでも頭が真っ白になる。


 いや、でも、それでも…


 忘れられる時間に比べたらやった方がいい。そう思いながら頑張って石を運んだ。


 限界まで運び続けられたのは4時間。その日は初めて夜じゃないのに床に寝転んだ。『汗臭い体で床に寝るな』って横から聞こえてくるけど、冷たい床が気持ち良くて起きれない。回数を書いたメモを見ると集まったのは15回分。今日明日じゃ絶対に終わらない。いつ彩夢お姉ちゃんがいなくなるか分からないから早くしないと。



 - 3か月後 朝 -



 町に行く日、雨の日以外は動けなくなるまで石を運んだ。着れなくなった服の端っこを育ち過ぎた野菜の蔓で縛って中に石を詰め込む。最初はいっぱいまで運べなかったけど、段々と多く速く運べるようになった。人間の体が同じことを何度もすれば強くなれると初めて知った。


 今日は800が終わった次の朝。思ったよりも時間が掛かってしまった。婆を起こして最後の石たちを砂に変えてもらって、一粒ずつ薬の瓶に入れていく。キラキラと光る瓶の中身、今まで俺が頑張った集まり。


「疲れてるんだ。やるなら早くよこしな」


 婆が嫌そうに手を出してくる。


 俺だって体中痛くて疲れている。今は頼む側だから何も言い返せないのがつらい。


「…気を付けてよ」


 婆の掌に針金で作った指の太さ2つと一粒も落とさないように気を付けて光の砂を載せる。始まると砂が黄色の光に溶けて形が輪っかになっていった。


「……んぅ」


 出来たのは…白くて…ツヤツヤしてて…指に着けられる丸い輪っか…


 砂の時は集められたのが嬉しくて良いものだと思えたのだけど、いざ形になってみると変なものに見えてくる。


「本当にこれ喜ばれる?」

「やれることはやった。私は下で寝るから起こすんじゃないよ」


 輪っかを渡して婆は地下に戻っていく。喜ばれると聞いたから頑張ったのに…適当な返事が気に入らない。それをそのまま頼りにしていたのは俺のせいでもあるのだけれど。


 彩夢お姉ちゃんはもう町を出る準備を始めているから他を用意する時間はない。これで試してみるしかない。大切なことを他人任せにするとこういう悔しさが出てきてしまうのかと思い知らされた。


 何となく指輪を自分の指に着けてみて、どんな感じか確かめる。


 ブカブカで冷たくて、自分の体に服以外のものがあるって変な感じ…もう考えるのはよそう。大事な輪っかをズボンのチャックポケットに入れる。


 渡すのはいつにしよう。畑と鳥の世話をしながら考える。もしあんまり喜ばれなかったら嫌だから、最後に会う日にしようか。

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