第12話 普通の差
「じゃあ、行こっか」
お姉さんは後ろ向きで右掌を差し出した。これは婆がいつも黙ってしているのと同じで手を繋いで欲しいサインだ。
「ほら、暗いから」
「…はい」
思い切って手を握った。婆以外の人と手を繋ぐのは初めてで少し変な感じがする。シワが少なくて指が細い。強くは握れないけど、自分より大きい手は今まで冷たかった手を温めてくれる。
……
これからよく知らない人の家、しかもお肉をくれるお姉さんの家を使わせてもらえるなんて、何だか嘘みたな話だ。今はこれに頼るしかないけど、このまま何も考えないでいいのだろうか。それに何で家を使わせてくれるのだろう。
「そういえば自己紹介してなかったね。
「みやナナシです。よろしくお願いします、高憧さん」
名前を教え合った。知り合いになれたということだ。そこで聞いてみることにした。
「高憧さんは何で家を使わせてくれるんですか?」
「フフン、普通はしないんだけどね。男の人を家にあげるなんて。でも、さすがに小さい君をあんな暗い所に置いとけないし」
高憧さんは男の人って言葉を嫌がってるみたいに言う。何かあるのかな。
「小さい俺が暗い所にいるとどうなるんですか?」
「風邪引いちゃうかもしれないし、それに世の中には頭のおかしい悪い大人が隠れてて、もしかしたらどっか連れていかれちゃうかもしれないの。だからナナシくんも気を付けなきゃダメよ」
「…なんでその人は俺を連れて行くんですか?」
「なんで…なんでかぁ。うーん、ナナシくんにはちょっとまだ難しい話かもしれないね」
会ってきた大人たちが一人でいる子供を心配したりするのはそれが原因だったのか。本当に悪い大人がいるとして、どんな理由があるか気になるけど、高憧さんは困ったみたいに誤魔化して話さない。
よく考えてみれば、今の俺もよく知らない大人に連れられている。でも、高憧さんが悪い人なら最初に俺を帰らせようとはしないはずだ。きっと俺じゃまだ分からないことか、言いづらいことなんだろうな。
‐ メモ ‐
『こどもはわるいおとなにつれていかれる』
- イズレ荘 -
川から見えていた大きな橋を渡ってすぐの所に高憧さんの家はあった。
婆の家くらい外側はボロボロじゃないけど、これはキレイではない。横に長くてドアが何個もついている変な家だ。階段で二段目に上がって五番目のドアの前で止まる
「えーと…ナナシくんちょっと待っててね」
高憧さんは急いで中に入って行った。向こう側からドタドタと慌てた音が聞こえる。
「…おまたせ、もう入っていいよ」
「お邪魔します」
中はあんまり広くはないけど整っていた。婆の掃除する廊下ほどじゃないけど床もキレイ。大きく違うところといえば、壁、布団、カーテンなんかに明るい色が多いくらい。他の人の家ってこんな感じなのか。
「あんまり広くないけど、ゆっくりしてってね」
心を見られた?!
高憧さんの生体質がどんなものなのかハッキリとわからない。嘘がわかると言っていたけど、心の中で思っていることも分かるのか?
「あっナナシくん、ご飯がいい? お風呂がいい?」
「え?」
「へへ、これ一回言ってみたかったの」
高憧さんはふざけた風にそう言って、自分の言ったことに自分で笑っている。どういうことかは分からないけど、今はとりあえず身体の臭いが気になる。
「お風呂に入ってもいいですか?」
「あっじゃあ、お湯沸かしてくるからくつろいで待ってて」
沸かす?…お風呂にお湯を溜めるのか。
家ではシャワーしか使わないから、お湯の溜まったお風呂は見たことがない。別にシャワーでもいいのだけど、溜めてくれるなら使わせてもらおう。
敷かれてる丸くて白いカーペットの上に座る。
「……う~ん」
中々落ち着けない。知らない場所ということもあるけど、ずっとこっちを見てくるヤツがいる。
窓の縁の上。あんな生き物は図鑑でも見たことがない。ガッと見開いたまま動かない目、無理やり笑わされてるみたいな口、馬みたいな四本足で身体が細長くて首も長い。毛がふさふさ生えていて大きさは俺の腕くらい。
動物の標本ってやつ…でもなさそうだった。近づくのも嫌なくらい気持ち悪い。だけど、早く何なのか確かめておきたい。出来るだけヤツから目を離さないようにゆっくり近づく。
「?」
手に取ってみるとぐにゃぐにゃ体が曲がって、張り付いている布のところに『ガブリャマくん』という名前が書かれている。
なんだ、ただの玩具か。
正体が分かればなんてことはない。ガブリャマくんがこっちを見ないように反対を向かせて元の場所に戻す。
それにしても高憧さんが部屋に置くものはヘンテコな物が多い。窓の縁の上にはガブリャマくん以外にも、小さなトゲトゲがいくつもある植物と動かない4つの時計が置かれている。時計は壊れたやつを捨ててないだけかもしれないけど、なんでこんな気持ち悪い玩具と痛そうで危なそうな植物を部屋に置いているんだろう。
「もう少しでお風呂沸くから…どうかしたの?」
窓の傍で考えていると動きやすそうなズボンと薄着の格好で高憧さんがやってきた。
「この玩具と植物を見てて…」
「あーガブリャマくん、可愛いよね」
かわいい?
「あとこれサボテンていうの。これも小さいくせに頑張ってトゲトゲしてるのが可愛いし、もう少しすれば綺麗な花も咲かせるの」
…かわいい
わからない。高憧さんは少し変わっているのかな。
今までわからないことはたくさんあった。でも人の思う事は辞書にも載ってなくて調べることが出来ない。
‐ メモ ‐
『そのひとのいいとおもうことはどうしたらわかるのか』
お風呂の準備ができたみたいで洗面所に呼ばれた。干されている細かい模様の入った下着が風で回っていて、小さな色のついた瓶が何個も棚に並んでいる。キラキラして綺麗だ。
「はい、手ぇ上げて」
高憧さんが出ていくのを待っていると、目の前に立たれて急にそう言われた。理由は分からないけど、ちょっとずつ両手を上げる。
「!?」
Tシャツの両脇を掴まれてそのまま脱がされた。あまりのことに声も出せなかった。
「なにしてるんですか?!」
「なにって、お風呂入るんでしょ?」
ズボンに掴みかかっている手をギリギリで止める。普通のことみたいに言うけど俺は自分で服ぐらい脱げる。
「服は自分で脱げるんで大丈夫です…」
「あら、そう?」
恥ずかしいと思っているのがバレたみたいで、高憧さんは声に出さずに笑っていた。どこか言い返す言葉がなくなった俺を見て笑う婆と重なって、あまり気分のいいものじゃない。さっさと脱いでお風呂場に入った。
前が見えないくらいの湯気、お風呂場にイス、果物みたいな甘い匂いのする石鹸、手袋の形のスポンジ、見たことのない珍しい物がいっぱい。
あと何よりお湯の入ったお風呂、体を隅々まで洗ってから片足ずつ浸かっていく。
「あぁ…」
こもった声が勝手に出てきた。お風呂に浸かるのはこんなにも気持ちがいいものなのか。帰ったら家でもやってみよう。
「どう? 熱くない?」
「…はい、丁度いいです」
「そう」
前で体を洗っていた高憧さんがシャワーで泡を流すと、俺の隣に足を突っ込んでくる。銭湯や温泉って場所があるのは知っていたけど、このお風呂は2人で入るには少し小さい気がする。誰かに裸を見られるのも久しぶりで最初、恥ずかしかった。
「あぁ…」
高憧さんがお湯を溢れさせながら俺と同じように声を漏らす。
それから少しの間、喋らない時間が続いた。横を覗いてみると高憧さんは目を瞑ったまま、だらんとした顔で止まっている。
「おばあちゃんって、3日もどこに出掛けてるの?」
顔を合わせずにそう聞かれた。
「…はい、たまに婆は外に出るんです。一週間いない時もあります」
「一週間? お仕事か何かかな」
「前に教えてもらったんですけど、よくわからないです」
「ふーん…でもおばあちゃんとは一緒に買い物したりして仲がいいのね」
そんな風に見えるのか。あの時は俺が町に行ってみたかったから一緒に来ただけで、そんなこと考えもしなかった。
「俺が町に行きたかったから連れて行ってもらったんです。初めてだから」
「えっ、初めてって、今までずっと町のはずれにいたの?」
「はい」
嘘はついてないはずだけど、顔がこっちを向いて驚いていた。
「今日はよかったけど、もしまた町に来たくなっても、危ないから大人が一緒じゃないとだめよ?」
「…必要な時以外は連れて行ってもらえなし、一人じゃないと好きなところにいけないと思って、色々考えて今日行こうって思ったんです」
「お父さんかお母さんが連れてきてくれたりしないの?」
「俺は婆の養子だから、お父さんとお母さんはいません」
それを聞くと高憧さんは口と目を開いたままでいた後、顔をどんより暗くさせていった。
「……ごめんね」
「え?」
悲しそうな感じで謝まられた。今の話で何を謝ったのか。黙ったまま考えているふうに下を向いている。
困った、なにか気まずい。
「…高憧さんは来たお客さんを全員覚えてるんですか?」
話を変えようと試してみた。でも俺の声が聞こえてないのか、高憧さんはまだ黙ったまま、真剣な顔でゆっくり目を閉じる。反応がないのは少し怖い。
「彩夢お姉ちゃんでいいよ」
少し震えた声でそう言われた。
「…え?」
急にどうしたんだろう。そう呼べってことなのか。
「あともう敬語なんか使わなくていいから」
高憧さんは俺の方を見ると優しく笑う。
「は…わかった。彩夢お姉ちゃん」
「えっと、お客さんのことを覚えてるかって? そうね、一日に何人も来るから覚えてはないけど。どうして?」
「彩夢お姉ちゃんが俺のことを覚えていたから、そうなのかなと思った」
するとクスっと笑われた。
「だって初めてだもの。フフッ…接客してて笑わなくていいですよ、なんて言われたの」
あの親切は相当変だったらしい。そんな気はしていた。
「笑わなくちゃいけないってこと?」
「まぁ、お仕事だから。ムスッとしてたらお客さんが買い物してくれないでしょ?」
そうか…確かにそうだ。あの笑顔は俺にお肉を買って欲しいと頼むためだったのか。
「でも、あの仕事はもう辞めようと思ってるの」
「そうなんだ」
「私、実はパン屋さんになるために今勉強中でね。将来、中央区で自分のお店を出すのが夢なの。だからお金を貯めてて、華道は無理でも小道くらいならギリギリ引っ越せるかなーって。今の仕事続けてても同僚のおばさんはうるさいし、給与は安いし…」
それから俺の返事がなくても話は続いた。この感じは婆が自分から話をするときに似ていて、多分、高憧さんも言いたいだけなのだろう。この時に何か色々聞くと婆にはうるさいと怒られる。静かに聞いているのが正解だと思った。
話の中身は高憧さんがお肉を焼いて渡すことを辞めて、パンを作りたいということしか分からなかった。どう違うのか、お肉よりパンが好きなのか。
「…そろそろ上りたい」
「あっごめんね、長話ししちゃって。私も出るね」
ずっと聞いていたら頭がぼーっとしてきて、お風呂から上がることにした。
「じっとしてて〜」
服を脱がされた時もそうだけど、何かと高憧さんは俺の世話をしようとする。今も自分で出来るのに大きなタオルで頭をゴシゴシ拭かれていて、あのガブリャマくんが描いてある大きなTシャツを着させられた。
「少し大きいかもしれないけど我慢してね」
「…ありがとう」
少しと言っても立っていてギリギリ床に付かないくらい大きい。でも、昨日作ったカレーの残りというのももらえたし、ベッドまで使わせてもらえることになったから嫌とは言えない。
最後にもらったお茶がとても冷たくて美味しかった。その隣で俺よりもっと美味しそうに高憧さんが金色の缶をゴクゴクと飲み干す。
「じゃあ電気消すよ」
「うん」
そして気が付くともう寝る時間になっていた。
「はぁ、おやすみ~」
「おやすみなさい」
部屋の電気が消えて真っ暗になると、高憧さんは手探りで俺の隣に来て布団に入った。いつもより床が柔らかくて、高憧さんは家の冷蔵庫みたいに温かい。それにいい匂いがする。すぐにでも寝れそうだった。
でも我慢していつも通り、少しだけその日にあったことを考える。
段々と暗い中で目が慣れてきて周りが見えてくる。ガブリャマを後ろに向かせといてよかった。じゃないと考え事どころではなかった。
まず分かったことの一つが大人たちは子供を大事にしようとするってこと。
高憧さんの世話をしようとすることや、わざとらしく丁寧な喋り方からもそれが分かる。だからバスにお金がなくても大丈夫だったり、一人でいると怒られたりした。これは上手く使える時と怪しまれる時があるから気を付けなければいけない。あと子供を連れて行くという悪い大人についても知る必要がありそうだ。
二つ目に生体質がないって、思った以上に不味いんじゃないかってこと。
今までは残念に思うくらいだったけど、今日で他の子と俺には大きな差があると分かった。これを何とかするのは結構大変そうだ。それに皆が嫌がって話し辛そうにしていたのは俺が慣れていないだけじゃない気がした。これも後で考えなきゃいけない。
そして今一番考えなきゃいけないのが…この後どうするかだ。
婆が帰ってくるまで後2日…まだ町を見て回りたいけど…俺にはお金もご飯もない。そもそも家に帰れるかも分からない…
またバスのお爺さんがお金がなくても乗せてくれないだろうか…いや…次はちゃんと持って来いって…言っていたから無理か…
…高憧さんは……信じられる…から…もう少し頼ってもいいのかな…
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