第6話 接客は笑顔で
「今度はどこ行くんだ?」
「必要なものを買いに行く。しばらく町には来れないからね」
婆が町に行くときはいつも、両手に食べ物なんかを一杯に引き下げて帰ってきていた。確かに昨日、ご飯の倉庫を見たら残りが少なかった。いつもここで買っていたんだな。
ということは、もうそろそろ行くのか。婆は決まって買い溜めをしたら、家の後ろにある大きな壁の向こうへ行って何日かは帰ってこない。
説明されてもよく分からなかったけど、壁の向こうには危ない生き物たちが沢山いて、その様子を見に行きたいらしい。何でそんな事するのか、どうでもいいけど、自分でご飯の缶詰を開けるのは大変だから行かないで欲しい。
‐ 万百貨店 地下1階 食料品 ‐
階段で下へ向かう途中、大きく見渡せる景色が全部、食べ物だと聞いてまた口が開いてしまった。きれいに棚が並んで、きれいに食べ物が並んでいる怖いくらい不思議な場所だ。でも美味しそうな匂いもたくさんする。大きく息を吸って、お腹の減りが早まった。
婆の出すご飯は魚の缶詰とか卵を混ぜて焼いただけとかだから、俺はあんまり料理の種類を知らない。もしかしたらまだ見たことのない食べ物が見れるかも。
タイヤのついたカゴを渡され、押してついて来るように言われた。缶詰や果物なんかがカゴの中にどんどん入れられながらも婆を頑張って追いかける。
「試食やってまーす、新商品、サカサガメのから揚げ、いかがですかー」
聞こえやすい元気な声だ。段々近くなってきて角を曲がると、女の人が茶色いゴツゴツした何かが載ったお皿を持って立っていた。
「ボク、お一ついかが?」
声を掛けられて、急いで顔を見る。
黒く長い髪をしたお姉さん。ゴツゴツに目がいっていて気づかなかったけど、本屋さんの本に写っていたみたいな美人だった。
「…こんにちは」
最初は挨拶だと教わった。でも聞かれているのに返事じゃなくて挨拶をするのは少し変だと後から気づく。
「こんにちは、挨拶できるなんて偉いわねボク」
「え……最初、人と話すことになったら挨拶しろって言われてたから、普通なことらしい…ですよ。あとボクじゃなくて、ナナシっていいます」
顔が熱い、なんで偉いとか言ってくるんだ。俺は今失敗しているのに。
「あら、ごめんなさいね。ナナシ君…っていうの? いいお名前、こことお揃いね。これ、お一ついかが?」
ニコニコした顔が少し傾いて、棒に刺さったゴツゴツを前に出された。気になることを言っていた気がするけど、まずはそれを受け取る。多分、いい匂いがするからこれは食べ物なのだろう。
「これもらっていいんですか?」
「うん、これはお客さんに食べてもらうやつだから大丈夫だよ」
「ありがとうございます。いただきます」
一気に全部食べる。ゴツゴツはお肉だった。いつもの魚と違ってプルプルしてて味が濃くておいしい。
「…おいしいです」
「ふふっ、それはよかったわ」
食べながらお姉さんを見ると、不思議なくらいずっとニコニコしていた。何がそんなに面白いんだろう。そういえば、この顔は何だか車の人と話していた時の婆に似ているような気がする。
「あの、笑わなくてもいいですよ」
「え?」
笑顔は何か頼むときに作る。もしそうなら俺には何もできない。先に教えてあげたつもりなのだけど、どうしてか驚いた顔にさせてしまった。
「やっいや笑顔って、すごく疲れまし…ますから、無理にしなくてもいいです…」
急いで説明したけど、困ったことに全然わかってくれてなさそうだった。どうしよう…
「こらこらナナシ、離れてはダメだと言っただろう」
だれ?
「すいませんね、うちの子がなにかご迷惑をお掛けしましたか? この子は少し変なことを口走るもので」
あっそうだった、婆だ。
すっかり忘れていたけど今は助かった。
「あ…あぁ、この子のおばあちゃんですか? 迷惑だなんてそんな、私の方が呼び止めてしまって…よろしければお一ついかがでしょうか、新商品です」
「そうなんですか。折角だけど先に見るものがあるので、後で寄らさせてもらいますね」
婆は俺の手とカゴを引っ張って、返事がくる前にさっさと離れていく。
「ちゃんとついて来いと言っただろう。まったく、余計なことをしないようにカートを引かせてるのに…」
怒られながら後ろを見るとお姉さんがこっちに優しく手を振っている。小さく手を振り返して、今度は寄り道しないようにちゃんと婆の後ろについていった。
そうして買いたい物は揃ったみたいで通った所を戻っていく。それでまたお肉の所を通る…?
「さっきの所には行かないのか? あのお肉食べたいんだけど」
「勧められる物を買わされていたらキリがないだろう。それとも雑誌の次は試食の娘が気になるのかい?」
「…別にそうじゃなくて、俺にお肉くれたし、婆も後で寄るって言っていた」
「建前だ、つべこべ言ってないで早く来な」
簡単にそう言われて、そのまま人の列に並んだ。残念だけど諦めるしかなさそう。
婆が機械とやり取りをしてから俺の手提げバッグに買ったものを入れていく。どんどん重くなって、腕が下へ伸びて膝が曲がっていく。
「婆…重い。少し持って」
「見れば分かるだろ、私は両手が塞がっている。辛抱しな」
銀色の四角い鞄とパンパンになったビニール袋を持った両手を見せると、婆はまた先を行ってしまう。
腕がもう無理、足がゆっくりにしか動かない。どんどん離れて置いて行かれそう。どうにもならない。
「婆、待ってって…」
目の前が涙でぼやけそうになって、やっと止まってくれた…わけじゃなく、近くの行列を見ていた。甘い匂いがする茶色い輪っかが描かれたお店がその先にある。
「ナナシ、それ寄越しな」
俺から重たい荷物を簡単に引っ張り上げると、交換で四角い鞄を渡してきた。出来るなら早くそうしてくれればいいのに。
「これ何の順番?」
「リンクルだよ。甘い菓子、食べたいだろ?」
「いや、俺さっきのお肉の方が食べた…」
「そんなに食べたいのか、じゃあ買ってやろう」
そういえば婆は甘いものが大好きだった。あんまり変わらないんだけど、顔が何となく嬉しそうになっている。仕方ないな…俺も少し食べてみたいし我慢しよう。
‐ リンクル屋に並んで10分後 ‐
前にあと5人。もう少しでリンクルというのが食べれる。さっきから甘い匂いで涎が止まらない、何回も飲み込んだ。
[グォォォ]
「もう少しだから我慢しな、ナナシ」
俺じゃない、婆のお腹が鳴った。どうして婆は慌てもしないで迷わず人のせいにできるのだろう。
「なんだよそれ!」
ビックリして鞄を落としそうになる。急に前の方から大声がした。
「ないってどういうことだ、あぁ!?」
「申し訳ございません!こちらの商品は数量限定で終了していまして…」
大声を出していたのは今リンクルの順番が来ているおじさんだった。なんでか凄く怒っている。ペットの役でもやらされたのだろうか。
「これのために20分も並んだんだぞ! いつもなら残り書いてあるだろ!」
「大変申し訳ありません、何分…最近入ったばかりなもので…」
「あぁーあ、俺ここの店の常連だったのによ。お前みたいなふざけたのがいると気分わりぃんだよ」
食べたいリンクルがなかったから怒っているらしい。それくらい楽しみにしていたのか。怯えた顔でお店のお姉さんが謝るけど、気が収まらないみたいだった。
「ちゃんとしてくれないと困るんだよなぁ、どう落とし前付けてくれるんだ? こんだけ待たせたんだから一つや二つタダにしてくれるんだろうなぁ!」
おじさんが大きな声でガラスの台を叩くとお姉さんは今にも泣きそうになる。まだまだ食べれるには時間が掛かりそうだった。そのせいで列の人たちも顔が不機嫌そうで、それよりも婆は大好きな甘いものを食べられなくてもっと…
そーっと婆の方を見る。
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