第2話 小さな町の名前
‐ 那々市町 集会所 ‐
赤ん坊の里親が決まり、事態は収束へと向かった。周りからは彼女を称える声と拍手が上がり、張り詰めていた場の雰囲気が緩み出す。そして、一安心した町民たちが早々に帰る支度を始めた時。
「皆さん注目!」
町長が帰ろうとする皆を呼び止める。
「赤ちゃんの名前は町長である私がつけることになっています。折角なので赤ちゃんの名前を今ここで発表したいと思います」
皆は渋々その場に留まり、早く帰りたいといった冷ややかな顔で見ているが、町長は意気揚々としていた。
「名付け親になる身として一晩中、考えに考え、悩みに悩み抜きました。そして、この町でスクスクと育ってほしいという意味合いを込めて決めました」
熱弁後、一呼吸置いて溜めに溜る。
「発表します。赤ちゃんの名前は…」
「「名前は?」」
早く名前を聞いて帰りたい町民たちがやる気のない声で聞き返す。
「名前は……ナナシくんです!!」
名前が盛大に発表されたが、相反して場は静まり返っていた。理由はこの町の名である
「それはあんまりじゃないの!」
「いい加減にしろ!」
「ご当地キャラに名前を付けるんじゃないんだぞ!」
「…おほん、ではチエさんナナシ君をよろしくお願いします。この後、少しだけ残ってください。ではこれにて集会は終了! お騒がせしました」
批判が殺到。半ば強制的に集会を終わらせる。町民たちは不満を垂れ流しながら散り散りに去っていった。
その後、チエは町長と町役員の男の指示に従って書類に署名する。
「手続きは私が代理として話を通しておきます。赤ちゃんはまだ産婦人科に預けられているので、今からお送りしますね」
町長が立ち上がり、表に停めてある安っぽい軽自動車まで案内する。
‐ マルタ産婦人科病院前 ‐
病院の自動ドアが開き、チエが赤ん坊を抱いて出てくる。
「ではチエさん、改めましてナナシ君をどうかよろしくお願いいたします」
やっと問題が解決したとばかりに町長はハンカチで汗を拭きながら安堵していた。
「えぇ、もちろんです。それで町長さん」
「はい?」
「町からの支援というのは、どれくらいをおっしゃっていたのでしょうか?」
チエは小さく会釈すると何気なくを装って尋ねた。
「えっ、あぁ、支援ですか。えぇ…一応、チエさんはこの町から離れたところにお住まいなので交通機関の無償利用を考えております」
表情が一転、町長の目が焦りで泳ぐ。そこまで考えが至っていなかったのか、大至急、案を捻り出した。
「あらまぁ、それは助かりますねぇ。…ただこの子の将来を考えると私には貯蓄も財産もありませんので賄えるかどうか…」
「そっそうですね、では養育補助として5札まで支給させていただきます!」
「5札ですか…そうですねぇ、月々20札は頂きたいところなのですが」
彼女の口調に鋭さが帯び始め、卑しい上目遣いが町長に向けられる。
「20…ちょっとうちで出せる金額じゃ難しいかもしれないですね~」
町長は笑顔を引きつらせ渋る。だが、ここでチエが仕掛けた。
「この町には乳児院も児童養護施設もないじゃないですか。この子が他の地域をたらい回しにされるのではないかと考えると、この子が可哀想で…それに人に子供を当てておいて、その金額は少なすぎる」
相手に鎌をかけているような物言いで迫る。言い分が正当であるがために、後がない町長は生唾を飲み込んで首を縦に振った。
「分かりました…ご用意します…」
「よかったです。それでは、町長さん」
もらった利用券で早速タクシーを呼び、彼女はその場を後にした。それを町長と役員の男が笑顔で見送る。そして車影が完全に消え去るのを確認すると…
「…あのクソババア」
町長は明らかな悪態をつき、胸ポケットにあった煙草を吹かしだした。
「いいんですか? 子供にしても別にうちの町で受け持たなくても…」
歯で煙草を咥える町長の脇から男が顔色を伺う。
「お前、ここに来て何年目だ?」
「え…3年くらいですかね」
「今月末にある各地区代表が揃う意見交換会、下手に子供の受け渡しを頼んでみろ。うちの町が恥をかくのは目に見えている。町は魅力度とメンツが命。ここはババア相手でも端金で手を打っとくのが利口なんだよ」
苛ついている様子で空に煙を吐き出し、自分を落ち着かせようとしていた。
「…それに、いい塩梅で劇的じゃないか。捨て子を育てるおばあちゃん、後々に親が見つかって感動の再会。話題になってくれたりすれば御の字だ」
冗談交じりにほくそ笑むと地面に吸い殻を捨てて踏み潰す。
「はぁ…なるほど」
「なるほど、だ? あ!? お前がいつまでもそう腑抜けてるから、私が余計な時間を使わせられてんだぞ。もう少し気を利かせることを覚えろ、お前の代わりなんていくらでもいるんだからな?!」
毒を吐き散らかすと見向きもせず、軽自動車に乗り込んで去って行った。残された男は、これほどまでに罵られながらも何故か一切顔色を変えることなく、スタスタと歩いて家に帰っていく。
‐ 最近、初子を授かった杉田家宅付近 ‐
一方で赤ん坊を入手したチエは自分の家ではなく、何故か病院から少し離れた所でタクシーを停車させ、懲りずにまた盗みを働こうとしていた。
赤ん坊を車内に残して、曲がり角にある杉田という表札が掛かった一軒家の勝手口を見つけ、中の様子を窺うと臆することなく侵入する。
忍び足でキッチンを物色している。隣の部屋からは家族団らんと赤ん坊の声がしていた。この家に赤ん坊がいるのを知っていて、必要なものを拝借しようとしていたのである。
戸棚から粉ミルクを見つけ、密封袋に入れていく。
賽銭泥棒、脅迫、窃盗と彼女は必要なことをするのに罪悪感がなく、とても狡猾に行動できる人間らしい。そんな彼女の元で子供が正常に育つかは疑問だが、少なくともミルクを盗んでいることから育てる意思はあるようだった。
目的を達して、入ってきた勝手口に手を掛ける。すると彼女の目にあるモノが留まって立ち止まった。コンセント近くにある輪っかのロゴが入った筒状の機械を何か気に掛けている様子。
「それでねぇ、その子がナナシって名前になったらしいのよ。あんまり酷いから笑っちゃったわ」
声がこちらに近づいて来ていた。我に返った彼女は脱兎の如く飛び出し、そのまま再びタクシーで自宅へ帰るのだった。
‐ 海崖の家 ‐
家は潮風の影響で傷みが酷く、付近には畑と鳥小屋、海側には幾つか大木が横たわっている。野蛮人でも住んでいそうな外観だが、屋内は埃一つないピカピカの廊下とおしゃれな玄関マット、真っ白な壁紙と清潔そのもの。突き当りのキッチンは質素でシンプルな家具と磨き上げられた食器、加えて海側の陽射しが小窓から入って、なんとも幻想的な雰囲気に仕上がっている。まるで童話の家を切り取ったかのようだった。
チエはキッチンのテーブルにタオルを敷いて赤ん坊を寝かせ、ミルクを作る。
湯呑みに盗んだ粉ミルクと電気ポットで沸かしたお湯を入れ、温度を調節し、赤ん坊の手足をタオルにしまって抱き上げた。そして湯呑みを手にすると不思議にも掌から黄色い光が漏れ、変化が起こった。湯呑みが粘土のように軟化して長細い注ぎ口が形成される。物体の性質、形状を一定量だけ変化させることが出来る彼女の能力である。
ミルクをゆっくり少量ずつ飲ませると赤ん坊はスヤスヤと眠りにつく。再びテーブルの上に寝かせ、ため息と共に椅子に腰を下ろし、湯呑みを元の形状へと戻した。
安らかな寝息だけが聞こえる静かな部屋。彼女は暫し下目に赤ん坊の寝顔を眺めていた。
‐ 数分後 ‐
何処からか古めかしい通信装置を引っ張り出してきた彼女は、神妙な面持ちで番号を打ち込み、何者かに連絡を取ろうとしていた。そして相手を待っていると…
『……沢渡、キミなのか?』
出たのは年配の男性らしき嗄れ声。
「私から掛けてるんだ、そうに決まっているだろう」
『…はぁ、そうか。珍しいこともあるものだ。キミから連絡がくるなんて何十年ぶりだろう』
「悪いが頼みたいことがある」
『久しぶりなのに随分と性急だね。NPAを飛び出して以来、一体どこに隠れてるんだ?』
「お前さんの商品が近くの町の家庭で使われていた。もう分かっているんだろう?」
『ははは、お見通しか。失敬、キミに喧嘩を売ろうって訳じゃない。けれども私がキミの頼み事を聞く道理というのは?』
「お前さんには貸しがあると思ったんだが?」
『貸し? はは、キミの居所よりも大きな貸しかな?』
「確か、今はseason10だったかね。お前さんが手を焼いてる人形は」
彼女がそう言った途端、通話越しで僅かに聞こえていた呼吸がピタリと止まる。
『…なぜアレを知っている? 研究は完全隔離されているはずだ』
「NPAは私の研究を利用するのに私の作った機材を安易に流用したようだね。簡単に覗き見ることが出来たよ。それでプロジェクト主任がお前さんだと知った」
『やはりいつでも抜け目がないな、昔と変わらない。それで頼みとは何だね?』
「最近、養子をとってね。私の区画登録を偽造してほしい。行政には顔が利くだろ?」
『キミが養子!? …んッ、わかったよ。しかし手回し出来るのは統括管理局までだ。そちらの地区の審査は話が別だぞ?』
「元々あの廃れた町の方から頼み込んで来たことだ。それに役場も人手不足で偽造があったとしても審査はしない」
『問題ないということか。…しかしキミが子供だなんて柄でもない。何か利用するために引き受けたのだろ? その子も可哀想に』
「余計な詮索はしなくていい、ただの気まぐれだよ」
『子供を育てるなら戻ってきたらどうだ? 今ならそれなりの歓迎もできるのだが』
「悪いが、お前さんたちの兵器開発に興味はない。この世界がどうなろうとね」
『そうかい、キミの興味がその場所にしかないのなら仕方がない…あぁそういえば、何故かNPAが今になってキミを探すのに躍起になっている。妙な奴等の噂もある。要らぬ世話だと思うが気を付けた方がいい』
「はんっ、阿藤の奴はまだ私を当てにしてるのか。バカの使命感も使いようだが、いよいよ笑えないね」
『何か思い当たる節が?』
「ん?……いや大したことじゃない、お前さんが黙っていれば済む話だよ。それとも、口止めの交渉が必要かい?」
『いや結構、どんなことで脅迫されるか堪ったものじゃない。キミの恨みを買うなんてのも御免被りたい』
「そうかい、それは残念だ。取って置きの切り札があったってのに」
『おいおい、勘弁してくれ』
「じゃあ、よろしく頼むよ晃一」
通話が終了した。彼女が不意に視線を下に向けると、眠っていた赤ん坊が目を覚ましていた。こちらをじっと突き刺すように見つめている。言葉を理解できない赤ん坊ながらも、先程の会話を咎めているような真っ直ぐな視線だった。
彼女は向き合って、そっと赤ん坊を抱き上げる。
「まぁ、悪いようにはしないさ」
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