心 日常編

第1話 捨てる神、拾う命


 ‐ 示皇歴195年 ‐



 郊外、特色もない過疎化が穏やかに進む小さな町から更に離れた広大な草原。巨大で無機質な白い壁が断崖絶壁の海中から点になる果てまで続いている。海の青、草原の緑、壁の白のコントラストが何とも素朴で美しい。


 その調和の中心に建てられた古い木造家屋には、一人の老いた女が暮らしている。


 景色は壮観であるが、この場所での生活は不便を強いられるであろう。敢えて選ぶというのは、問題を抱えているのか、余程の変わり者なのかもしれない。しかし、彼女には妙な噂や経済的問題、障害などは見受けられなく、町に住む人々とも関係は良好で親しまれていた。


 では何故、町から遠く離れた壁の近隣に態々暮らしているのか、いつからいるのか、家族はいるのか、年齢、経歴、全てが謎に包まれている。そんな疑問も彼女に対する信頼からか、町で言及する者は誰一人いなかった。



 ‐ 早朝6時 とある町 ‐



 女はポケットに手を入れながら町を歩く。


 新品のジーンズに、印字がボロボロな何かが背に描かれたTシャツ。纏まりのない真っ白な髪、憂鬱そうな表情、この世のすべてを下らないと言わんとばかりの生気のない目。人は見かけで判断してはいけないとしても、卑屈であるということが少し窺えてしまう。


 家々が立ち並ぶ道路には、朝早いこともあって人気はなく、あるのは風の音だけ。


「あら、チエさん今日も神社の掃除?」


 悠々と一軒の家を通り過ぎた丁度に、小太りの中年主婦が表に出てきた。女は瞬時にポケットから手を抜き、後ろを振り返る。


「おはようございます、田中さん。昨日、嵐があったから神社が心配でね」


 さっきまでの人相が嘘と思える程の朗らかな笑顔へと変わり、丁寧な言葉遣いで挨拶を返した。


「あの階段上るの大変でしょ? あんな神社もう人も来ないから構やしないのに」

「お気遣いありがとう。でも、この町に昔からある神社ですし、私みたいな独り者はいつも暇ですから。それに最近は、若者の間で恋頼みが良く叶うって人気らしいですよ」

「あら、そうなの知らなかったわ。ならうちの娘にも教えてみようかしら」

「是非是非、それでは失礼します」


 会話を一通り終え、再び歩き出すと途端に表情が元に戻る。人を小馬鹿にしたような態度とは裏腹に信心深いのか、これから神社を掃除しに行くらしい。



 - 那々氏神社 -



 真っ直ぐ歩いた先に急勾配の石段が現れ、上り切った先に石の門が見える。目的地の神社だった。軽快なテンポで楽々石段を上がり、隅にある物置を開ける。そして中に入っていたホウキで境内を掃除し、ゴミ袋をまとめた。


 やはり人は見た目で判断できないということなのか、何の変哲もない慈善活動…ところがだった。掃除が終わって不審な行動を取り始める。キョロキョロとホウキで何もない足元を掃きながら、社を背に後ろへ下がっていった。


[バゴ!]


 賽銭箱の前で止まり、踵で小突くと表の板が外れた。そして素早く犯行に及んだ。中に頭を突っ込んで現金を取り出し、金額を数えて半分をポケットに入れる。賽銭泥棒、つまり女は人相通りの人間だった。


 怪しまれないように残りの金額を元の場所に戻して再び箱の中に頭を突っ込む。


「おぎゃぁぁ、うぅ、おぎゃぁ!」

[ゴッ!!]


 その時、突如として天罰とも言える出来事が女を襲った。


 どこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえ、驚きのあまり頭をぶつけてしまう。だが、痛がる暇もなく、急いで賽銭箱を元の状態に戻して周りを見渡し、声の出所は何処なのかと耳を澄ます。それは神社の床下の方から聞こえてきているようで、屈んで覗き込むとタオルが敷いてある上に人型の影があった。


 引っ張りだすと赤ん坊が泥だらけで泣き叫んでいた。まるで女に見つけてもらうため最後の力を振り絞るように。


「白皮、でもないのか…」


 慌てるでもなく、その子の目を剥くなど冷静に眺めて呟いた。赤ん坊の髪の毛は女同様に真っ白で、色素欠乏かと思いきや、瞳の色はしっかりと黒い。しかし今、そんなことは女にとってどうでもよかった。


“今朝、田中と顔を合わせている。ここに来ていることは知られている。この後、ここへ宮司が来て、赤ん坊の存在もいずれ気づかれる。掃除もしてしまった、時間もない、町の奴らに赤ん坊を故意に放置したと疑われる…”


 このまま放置するわけにもいかずに悩んでいた。するとその最中、妙案を思いついたかのように泣き続ける赤ん坊を見ながら一瞬ニヤリと笑う。物置からタオルを取り出すと、濡らして自分の手で温め、泥を拭き取り、体を包み込む。泣き疲れた赤ん坊は安心して目を閉じた。


[カタン、カタン、カタン]


 階段の方から鳴る下駄の音。誰かが階段を上がってきている。


「おぉ、チエさん。今日もご苦労ですな」


 この神社の宮司だった。


「おや、その赤ん坊は…?」


 彼はのんびりと近づき、丸眼鏡を中指で持ち上げて赤ん坊を覗き込む。


「それが…いつものように掃除をしていたら床下で見つけて」

「床下!? 捨て子か! そりゃ大変だ、すぐ警察に…」

「いえ、この子に何かあっては大変なので、タクシーで病院に連れていきます。警察はその後で。すいませんが掃除の片付けを頼んでもよろしいですか?」


 慌てふためいて甚平のポケットから携帯を取り出そうとするも、女がそれを制止し、神社の目と鼻の先にあった小さなタクシー会社の営業所を見る。


「おっおぉ…わかりました」

「お願いします。では」


 …


「ちょっと待った!」


 足早に押し切ろうとしたが、石の門の前で宮司に呼び止められる。


 ゆっくり振り返ると、彼は賽銭箱を漁っていた。もしや、自分が盗みを働いたことがバレたのかと胸の内がざわめきだすが、女は表情を一変も崩さない。


「これ、タクシー代に持ってってくださいや」


 どうなるかと思えば、逆に金銭を渡された。皮肉にも今さっき頂いたばかりだった。


「ありがとうございます。遠慮なく使わせていただきますね」


 何食わぬ顔で神社の売り上げのほとんどを手にし、タクシーで産婦人科の病院に向う。そして赤ん坊の健康状態を確認し、警察に形式上の手続きを済ませ、すんなりと帰宅した。


 後日、発見された乳児の生体情報と国籍データベースとを照合した結果、出生記録、近親者と思われる人物は存在せず、身元不明のまま町の自治体が一時的に引き取ることとなった。



 ‐ 町の集会所 ‐



 発見から3日が経過した頃、町の各世帯を代表する者たちが集められる。


 場所は大きな古家。扉から入ってすぐの土間に、黒ずみだらけのデスクが2つと古びたソファが置かれ、事務所のようになっている。町民たちは、奥の上り框を跨いだ先にある突き抜けの大広間、『町民第一』と大きく書かれた掛け軸の前に立っている男を囲うように集合していた。


「本日はご多忙の中、お集まりいただきまして誠に恐縮であります」


 中心にいるメガネの中年男がこの町の町長で、集会を開いた張本人である。


「皆さんに集まって頂いたのは連絡の通りです。先週、那々氏神社で哀しくも棄児が発見されてしまいました。本来ならば警察の領分になるのですが、調べても身元が分からず、引き取り手もつかない状態でして…現在、私共が身元を預からせてもらっていますが、いつまでもそうしている訳にもいきません」


 俯いて悲嘆した様子から一転、町長は言葉に勢いをつける。


「そこで町から里親を募集したいのです。この中で立候補する方はおられませんか!」


 里親募集の件は連絡になく、今この場で知らされた町人たちは困惑していた。


「難しい決断であるのは重々承知です! それでも赤ちゃんの将来を考えてみて下さい! 可哀想な捨て子のまま施設に送るなんて私にはできない…どうかお願いいたします!」


 町長が頭を下げて、油っぽい頭髪を皆に見せつける。だが、騒然とするだけで手を挙げる者は一人もいなかった。


「…ていってもよ、町長さん。その子も可哀そうだが、ここにいるみんなは今でやっとの連中が多いし、少なくともうちはガキが多いから手いっぱいだ」


 屈強そうな一人の亭主の一声で、町民たちの声が更に騒がしくなる。


「そうねぇ、急に子供って言われても身元もわからないんじゃ、その子の力もわからないし、後々面倒になってもねぇ…」

「町長さんの気持ちもわかるけど…」

「そんなこと言うなら町長が引き取れよ」

「そもそもなんで俺らの中から探さにゃならん?」


 次々と不満が漏れ始めた。情に任せて赤ん坊を引き取ってもらう目論見だった町長の額から冷や汗が流れる。


「チエさんはどうですかな?」


 すると一つ声があがった。集会に来ていた那々氏神社の宮司からだ。


「その子を見つけたのも、命を救ったのもチエさんです。私はこれに何かしらの縁を感じる。もし彼女が来るようなら聞いてみるのはどうでしょう?」


 町民たちの中に赤ん坊を快く受け入れる者は依然としていない。とは言え、自分たちの町の長がこれほど懇願しているのに加え、子供を放置することもできない。宮司の提案を皮切りに責任の捌け口が一人へと向けられていった。


「チエさんにご家庭があるなんて聞いたことないわね」

「でもチエさんなら安心じゃないか?」

「今日は姿が見えないが…」


 皆が彼女を探していると…


「失礼します、遅れてすみません」


 見計らったかのように話題の人物、町の外れの海崖に住むチエが集会にやってきたのだった。全員の視線は彼女へと集まり、気づけば奥にいる町長への道が勝手に開かれていた。


「チエさん!」


 町長が彼女の元へ駆け寄っていく。


「実は今、あの赤ちゃんの里親を探していまして、それでチエさんの名前が挙がっているのですが、どうでしょうか」

「えっそんな、急に親だなんて…」

「そこを何とか…考えていただけないでしょうか?!」


 焦る町長は両手を擦り合わせ、縋る思いで頼み込んでいた。


「私も見ての通り、年老いた身でして、育児なんてできるかどうか不安ですし…」

「私共の方でも、できる限りの支援はさせてもらいますので…どうか!」


 引き下がらずに再度、深々と頭を下げて頼み込む。


「…わかりました。私もあの子のことが気がかりだったので、そこまで町長さんがおっしゃるならお受けいたします」


 すると彼女は仕方なしにという様に優しく微笑んでみせる。その奥で一瞬、邪な笑みが溢れるのに誰も気づいてはいなかった。

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