第六章 くじら帝国の逆襲

逆襲はじまる

「ここは、平和じゃのう」


 くじらは、つぶやいた。でもその言葉に、前のようなたいくつそうな響きはなかった。

 それは、そうだ。ぼくたちは、このあと、なにが起こるか。そして自分たちが、なにをするべきなのかを、知っている。


「平和だねえ。そうだねえ、……ここは、いまは」


 みしゃくじも、答えた。

 赤い青年たちが、焼きつくしにくる。

 ぼくたちは、それを止めなければならない――地上ごと。



 ここは、くじら帝国。

 ユリさんのつくった青いうみの地下から、えいが空飛ぶ乗りものでおくりとどけてくれた、……ぼくたちの、くらしていた場所。


 えいは、ぼくたちのやりたいことにかんしては、見のがしてくれた。

 ただし、帝国の安全が第一だと――もし帝国があぶないめにあうときには、ようしゃなく、てきにまわるとも、せんげんしていた。……えいにはえいの夢があるのだ、くじら帝国でえらくなって、そして、ずっとずっとこの国をまもるという、夢が。


 くじらは、王さまにおこられたらしい。あざらし帝国の王子さまは、しょんぼりしていた、と。もうわがままはやめるように、と。

 でも、それだけだったらしい。

 つまり――くじらが地上にいくことじたいは、おとがめなしだったわけだ、やっぱり。



 ……この帝国のことが、すこしずつ、みえてくる。




 ぼくたちが帝国にもどってきて、三日目。

 いつ赤い青年たちがおそいにきたって――おかしくない。

 それゆえに。ぼくたちは。しんちょうに、準備をしていたが……三人とも、こころがとてもきんちょうしていることは、まちがいなかった。

 だから、いま。ちょっと、外の空気でもすわない? と、みしゃくじが言い出したことに、くじらもぼくもさんせいして、こうやって散歩がてら、そとに出ているのだった。


 くじら、みしゃくじ、そしてぼくは、いま。

 くじら帝国のいちめんに広がる王宮のそとを、歩いて回っている。民のくらす場所だ。

 畑に、働くひとたちがいる。くわで畑をたがやしたり、土を素手で手入れしたり、かごを背負って歩いたり。

 ゆたかな畑。色とりどりの作物さくもつ。ひとびとの笑顔。

 ……じつは、いままで。王宮の外に出ることなんてほとんどなかったから、こういった、のどかなけしきは、ぼくにとって新しいものだった。

 それに――地上のくらしと、くらべてしまう。

 どこまでも、白くて、なにもなくて、風のふきぬけるだけの……こんなのどかさとは、かけはなれた、地上。


 ぼくはあまり王宮のそとに出ない生活をしていたけれど、くじらとみしゃくじはべつだ。

 ひとびととのふれあいも、なれたもので。

 くじら帝国のひとびとは、くじらやみしゃくじが声をかけると、とてもよろこぶ。


「くじらさま、みしゃくじさま、今年はきっとだいこんがおいしいですよ、楽しみになさってくださいね」とおじさんが言ったり。

「みしゃくじさま。それにくじらさまも。めずらしいですね。おふたりに同時にお会いできるなんてなんだか感動です」と青年が言ったり。

「あー、みしゃくじさまー! 久しぶり!  くじらさまもいらっしゃるのね! あたし、お会いしたかったのよ!」なんて小さな女の子が言ったりする。

 くじらとみしゃくじは、そのたびに笑顔で返す。

 くじらとみしゃくじは、国のひとびとにほんとうに好かれているのだなと、かたわらにひかえるぼくは思った。



 ……同時に。

 なにをまもっているのか、なにをまもるべきか。

 その目的の先にあるものを――まっすぐに、見つめている気がしたのだ。

 まもるべきは、まもっているのは、……くじら帝国の、ひとびと。



 畑をたがやしているひとに、ほほえんで、手をふり返したあと。くじらはふと、しんけんな表情になって、ぽつりと言った。



「……いったい、いつ、くるのじゃろうか」



 ぼくも、みしゃくじも、その言葉の重みがわかるから、すぐにかるく言葉をかえすことができない。

 それでもみしゃくじは、そういう気持ちをのみこんで、つとめてつくったような明るい声で、言うのだ。


「……逆襲ぎゃくしゅうの話は、帝国の上のひとたちには、してある。そのうえで――あいつらは、そういうのを聞きとるちからがあるかもしれない、よね。なぞのちからを使うから」



 そう。逆襲。

 その言葉の、意味通り。

 おそいかかられていたぼくたちが、こんどは、おそいかかること――。



 逆襲って言葉は、みしゃくじが言い出した。

 くじらが、それはいい、と言って。

 ……ぼくはその言葉から考えついた作戦を、このふたりに話して。

 そして、それは――三日間、ちゃくちゃくと、すすんでいる。



 空はつきぬけるように高くって青くって、広々としている。

 これから、おそわれるだなんて、信じられないほどに。




 ……そんなとき。

 赤い星が、見えた。……昼間なのに。



「なんだ、あれ」



 畑仕事をしていたひとが、指さした。

 みんな、ぽかんとしている。

 ぼくが、ぼくたちだけが――いまあの赤い星の意味を、わかっていた。



 よりにもよって。ぼくたちが散歩をしていた、こんなときに――!

 ゆだんしていた。いいや。やつらは、わかっているのか? ぼくたちの行動を、やはり!



 くじらが、右手を高くかかげた。



「王室の名において、くじらに命じる。まもりのかたち!」



 それができるのは、王室に生まれたくじらだけだ。

 でも、くじら帝国がかたちを変えることができるということじたいが、そもそも、あまり知られていない。

 そのことを知ったのは――みしゃくじが、古文書をあさってくれたから。三日ではありえないほどの時間と、集中力と、神どうしのつながりに、よって。



 ふわわわわあんと、聞いたこともない大きな声が、なき声のような音が、ひびきわたった。

 びりびりと、地面がゆれて。その場にいたひとたちは、よろめく。

 ぼくは、ふんばった……よろめきかけたくじらのうでを、右手でつかんで、ころばないようにした。左手で、みしゃくじも、つかんだ。


「くじら、みしゃくじ、だいじょうぶ?」

「問題ないよ。くじらひめさまは? だいじょぶ?」

「平気なのじゃ」

「しかし、思ったよりすごいねえ……。いにしえの技術の残る、くじら帝国かあ。……こうして、まるごと、まるのみするように、民を、まもるとはねえ。おどろきだよ」




 そうだね、とぼくは言った。おどろきだというのは……ほんとうに、おんなじ気持ちだ。



 みんなが天をゆびさす。

 ひめいをあげて、だれかをかばって。



 空が。

 みるみるうちに、黒くなっていくように思える。

 ほんとうは、ちがうんだ。

 空から、かばうかのように――くじら帝国のうえを、おおってくれているというだけで!



 そう、くじら帝国は、伝説上のくじらをそのままかたどったかたちをしているのだ。

 王宮が頭、畑がおなか、村がしっぽ。

 上から見たら、とても大きなくじらが、ゆうゆうと空を泳いでいるように見えるはずだ。だからこそ、……天のうえからせめこまれたら、すぐにわかってしまうだろうと思った。



 でも、だからこそ!

 くじら帝国をつくったひとたちは――こうしてひとびとをまもるしかけを、しっかりとつくっていた!



 そして、その技術を――ひさしぶりに、ほんとうに、気の遠くなるほどの時間ぶんの、ひさしぶりに、くじらは、使ったにちがいない!



「逆襲、するよ」



 ぼくが言うと、くじらも、みしゃくじも、うなずくのだった。……かくごは、きまっている。



「じゃあ、作戦通りに!」

「うむ!」

「わかってるよ!」



 ぼくたちは――この大混乱にまぎれるかのように、三人、べつべつの方向へ、むかった。……作戦通りに。

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