くじらの答え

「……なんだよ。なんだよっ、それ」


 気がついたら、ぼくは声をしぼり出していた。


「じゃあ、ぜんぶわかってたの? えいは、地上を旅するぼくたちのあとを、つけて。みしゃくじも、そのことをわかっていて。……くじらは、にげたいって言ったのに、ほんとうはこういうことだって、ぜんぶ、ぜんぶわかってたの?」


 えいは、そうだ、と自信たっぷりにうなずいて。

 みしゃくじは、気まずそうに頭をかいて。

 くじらは――暗い顔で、うつむいた。


「……なんだよ、それ。ぼくだけ、なかまはずれ……」

「しかし、くりおね。わらわは、けっこんはいやじゃった……あの日こそ、くりおねに、帝国をつれ出してほしかった。それは、それはまことのことなんじゃ……信じてほしい」


 くじらは、ぼくの服のすそを、つかんだ。

 ふたつの黒いまんまるい目に、ぼくをいっぱいにうつして、見上げてくる。


 ……そんな目を、されてしまうと。

 これ以上――せめるようなことは、言えなくなる。

 ぼくだって、いきなりわかったことに、びっくりしているだけで。……おひめさまであるくじらや、神さまであるみしゃくじや、ぼくよりえらい役人見習いであるえいが、ひみつにしなければいけないってことも、わかる、よくわかる。ぼくは、この三人の、友だちだから。



 ぼくは、息をついた。



「……わかったよ。そのことは、もういい。みんなにも、かくさなきゃいけない理由があったことは、わかるから。でも、えい」


 ぼくは、えいにむきなおった。


「ユリさんをつかまえて、とじこめるっていうのは、どういうことなの。帝国は、そういうことを、いつもやってるわけ?」

「いつもとはひと聞きがわるいな」


 えいは両手の手のひらを、てんじょうにむけた。


「必要があれば、だよ。帝国のろうごくだって、そう広いわけじゃないんだ」

「地上に生きているひとまで、わざわざ、さらってつかまえるの?」

「べつにひとさらいをしているわけじゃないさ。必要にかられているんだから」


 えいの、おとなのような答えは。

 まったく、まったく、ぼくにはなっとくできないものだった。


「……まあ、でもさあ」


 みしゃくじが、うでをくんで、ぽつりと言う。

 たおれたユリさんのせなかを、見ながら。


「ユリのやろうとしたことは、私もあぶない目にあったし、ちょっと、みのがせないことだけど。天空がそういうことをしつづけるから、地上のひとたちは、いつまでたっても天空のことがきらいなのかもしれないよね」

「はっ。なるほど……」


 えいは、頭をさげて、うやうやしく手をむねのところで動かすけれど。

 ……えいのこういうところ、むかしから、調子がいいよなってぼくは思う。べつに本気でみしゃくじをうやまっているわけでは、ないのだ。ただ、調子をあわせているのだ。


 くじらは、くちびるをぎゅっとひきむすんで。

 こぶしも、おんなじふうにぎゅっとかたくにぎって。

 かおをあげて、ぼくたちひとりひとりの顔を、見ながら。


「……わらわは、ユリだけがわるいとは、思わん。わらわたちを、だまし、とじこめたことは、わるい。じゃが……地上がこんなふうになっておるのに、わらわたちは、……天空は、ほうっておいているのじゃろう。だとしたら……ユリが、このような行動に出るのは、しかたがない。……しかたがないことではないか」


 そうやってかたる、くじらには。

 おひめさまの、いや、くじら帝国のあとつぎとしての、いげんがあった。


「わらわは、ユリをつかまえることには、反対はんたいじゃ。それに。……地上はほうっておいていいと、ほうこくすることも、できぬ」


 そういうふうな、しくみなのだろう。

 帝国は。……おひめさまや王子さまが、地上を見に行って、地上をほうっておくかどうかの答えを、出す。

 天空の民は、天空のことだけに集中していればいい。

 そうなるための、地上の旅――あれはてて、なにもない地上なんて、どうでもいいと、そう思わせるためだけの、……旅。



「……おやおや。くじらひめさま。いままでのあとつぎのみなさまは、口をそろえて、地上などあれはてた土地にすぎない、くらすひとびともえらばれなかったひとびとの子孫しそんでしかない、だから、地上はほうっておいていい、このままほろんでいいと、そういう答えばっかりでしたのに。王さま――あなたさまのお父さまも、そのような答えに、たどりつきましたのに。くじらひめさまは――ちがう答えを、おっしゃる」

「そうじゃ。……わらわは地上のひとびとと、じっさいにふれあって、わかったのじゃ」


 くじらの、長いたれさがった黒いかみのけ。

 が小さいながらも、背すじをのばして立つすがた。


 このひとは、おひめさまなんだと。

 あらためて、ぼくはそう思う。


 そして、くじらは。

 その、さくら色のくちびるで。つむぐのだ、言葉を。



「三つ子も、クレアも、かれらの家族も、たぶんユリも――だれひとり、わるくないゆえに。地上のひとびとはろくでもないと聞いておったが……まったく、まったく、そんなことはない。かれらは、一生けんめいに、生きているゆえに……くじら帝国の民と、おんなじじゃ。わらわたちと、まったく、おなじなのじゃ」



 その、言葉は。その、いげんは。

 ぼくのこころを、ひとつひとつ、うって、うっては、……あたたかくて、とうとい気持ちを、よびおこしていく。



「それでは、どうなさいます。くじらひめさま」



 えいは、しずかに聞いた。



「地上を、もうほうっておかない」



 くじらは、それ以上にもっとしずかに、答えた。

 そして。そのために、帰る。いったん、帝国に帰るのじゃ。ユリもつれて。そうも――はっきりと、言って。



 そして、くじらは、ぼくのほうをふりむいた。

 王宮の中庭であそんでいた――あの日のまぶしい笑顔と、なんら、変わらないようすで。

 ふっ、と。気をぬくように、気をゆるすように、……わらった。



「この星を、焼きつくされるわけにも、いかんしな」



 赤い青年たちが、おそってくる――。



 ……さっかくだと、思う。

 でも――波がどこかから、遠く聞こえてくる気がした。ざぱり、ざぱあん、と。

 楽園は、青かった。古くさい伝説の話とばかり思っていたそのことが、……いまなら、よくわかる。





(第五章、青い楽園、おしまい。第六章に、つづく)

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