しくまれていたこと

 気がついたら、暗いところにいた。

 波の音は、もうしない。

 ゆっくりと、目を開けた。ぼくはどうやら、うつぶせでねているようなかっこうだったらしい……でも、どうして?


 そこまで考えて。

 がばりと、ぼくはからだを起こした。

 ……うす暗い部屋だ。

 なんにも、ない。ゆかもてんじょうもかべも、はいいろで、かたくって。

 しかくいとびらの、小さなまどみたいなところから、わずかにあかりが入ってくる。


 くじらは? みしゃくじは?

 ふたりとも、うつぶせになっている。

 まだ、気がついていないみたいだ。



 ……どういうことだろう。

 ぼくたちは、さっき。ユリさんに、あまいジュースをもらって……むかしばなしを聞いて……くじらを見せてあげるって言われて。

 そこで、急に意識が遠くなって――。




「……くりおねくんは、目がさめたのかな」



 とびらの外から、声がした。

 びっくりしたけど、ほっとした。

 ぼくはとびらのほうに、近づいた。


「ユリさん、ですよね?」

「そうだよ」

「ぼくたち、急にぐあいが悪くなったのかな……たすけてくれたんですか?」


 あははっ、とユリさんは、おかしそうにわらった。


「そんなわけ、ないじゃない」

「……え?」

「ほんとうに、天空の子たちって、おめでたいのね」


 なにかが……おかしい。

 ユリさんでは、ないみたいだ。


「なんの、話ですか?」

「うたがいもしないで、飲んでくれるのだもの。ねむり薬いりのジュース。あとは波の音を聞かせていれば、かんたんに、おねんねしてくれるのね」

「……どくを、いれてたんですか?」


 ぼくは、とびらに両手をおしあてて、ゆらした。

 ガチャンガチャンと音がなり――くじらも、みしゃくじも、目をさましてくれたようだった。

 なんじゃくりおね、どしたのよくりおね、と言いながら、こっちにくる。


「ユリさん……ユリさんっ。それって、ほんとうなんですか。ぼくたちをねむらせるために、どくをいれたジュースを、のませたんですか!」

「なんじゃと」

「なにそれ。どういうことよ、くりおね、ユリさん!」

「あはっ。……あはははっ。いいじゃないの。あなたたち天空の民が残したどっけは、ジュースいっぱいぶんのどくとは、くらべものにならないもの」

「ぼくたちを、だましたんですね?」


 ユリさんは、とびらのむこうで、くるったようにわらいつづけた。

 みしゃくじは、頭に手をおいた。


「……はー。これは、まんまとやられたね。どくいりジュースかあ……古文書の世界にしか、そういうの、ないと思ってたよ。……あくいとか、だますとか、さ」

「ユリ。……なぜじゃ。ユリはいいひとじゃと。わらわは、思った」

「そんなの! あなたたちをつかって、天空の民を、おどすためにきまっているでしょう」


 ユリさん。声だけだと、とってもとっても楽しそうに、しゃべるけれど。

 その顔は。ほんとうは。……どんな表情ひょうじょうを、しているのだろうか。

 ぼくは、いまなぜか、そんなことを思った。


「待ったわ……ほんとうに、待った。書物しょもつによれば、天空の民は、地上をかんさつするために、王やそのあとつぎが、地上におりる。かれらはどっけをおそれるから……それは、ほんとうにたまにのこと。めずらしいこと。でも、すくなくとも、十年にいちどはおりてきてるって、地上にそういうきろくがあるって……だから私、待ったわ! 八年、八年、ああもうすぐ十年、十年、長かった、長かった!」


 あはははっ、とユリさんはわらう。からから、……からから、って。


「天空にはたくさんの技術がのこっているのでしょう。みいんな、もっていっちゃって! ほんとうはこの地上をみどりにする青くする方法ほうほうだって、あるはず! それを、それを! ひとりじめしているんだわ! ――おりてきてもらわなければならない。はるか高みから、地上を見下ろしている、天空の民たちには!」

「……ちがう……わらわたちは……ちがう、ちがうのじゃ。ユリ。聞いてくれ。そんなことより。この地は、この星は――」

「あらなにがちがうっていうのかしら? 地上をかんさつして、地上なんかほろんじゃえばいいって、ほうこくするだけの、いい子ちゃんのおひめさまが! 天空なんか、天空のやつらなんか、地上のこと、私たちのことなんにもわかってやしないんだっ――」



 ぱすん、と。

 空気のぬけるような、するどくて、それでいてあっけない、音がひびいた。

 ユリさんのさけぶようなおしゃべりも、とまった。



「……ふう」



 そのためいきは、知っている。知っている。ぼくは。――何年も前から、そのとなりで、生活してきたのだから。



「まったく、これだから、やばんな地上の民は」

「えい……」


 役人見習いのなかまの、えい。


「どうして、えいがここに……」


 えいはぼくの問いかけには答えずに、とびらをがちゃがちゃといじりはじめた。すぐに、がちゃりととびらがあく――えいはさっと部屋に入ってきたけれど、ぶきをかまえたままだった。けんじゅうだ……そのまま注意深くあたりを見回して、しばらくけはいをうかがって、それでやっと、そのぶきをおろした。

 そして、思い出したかのように――くじらとみしゃくじにむかって、うやうやしく、れいをする。


「ごぶじですか。くじらひめさま、みしゃくじ神さま。それについでに、くりおねも」

「ユリは。ユリを、どうしたのじゃ」


 ぼくはとびらの外に出て、ユリさんのたおれたせなかを見下ろしていた。

 まさか。――まさかとは、思うけど。


「ご心配なく、ねむっていただいているだけです」


 ぼくは、その首もとに、そっと手をあてた。

 あたたかい……だから、生きてはいるみたいだ。……でも。


「ただ……このものは、とらえねばいけません。帝国で、げんじゅうに、とじこめておかねばなりません。天空にとって、よろしくない人物ですから」


 ――いま、なんと言った?

 とじこめる、って?


「くじら帝国の国益こくえきはんする、とでも申すつもり。子いるか」

「さすがはみしゃくじ神さま。とってもむずかしい言葉をごぞんじです。おっしゃる通りに。このものは、くじら帝国の国益に反する――つまり、くじら帝国のために、なりません」

「えい。それより。どうして、ここへ」

「ああそうか。くりおねは、知らなかったもんなあ」


 ぐるり、と。

 えいは、首をこちらにむけた。

 よく知っている顔のはずなのに……やっぱり、やっぱり、どこかべつのひとのように。

 会ったこともないひとみたいに、見えるんだ。


「くじらひめさまが地上のどこを歩いているかというのは、帝国から、いちもくりょうぜんなんだよ。くじらひめさまのお洋服は、まほうのお洋服。世界じゅうのどこにいたって、そのからだのとくべつなひかりをひろって、地図でどこにいるか、見ることができるんだよ」

「なんのために、そんなことを。えい、きみは、ぼくたちがにげるのを、てつだっ

てくれたのに」

「うん? ……ああ、そうだな。あざらし王国の王子さまは、くじらひめさまとけっこんできなくて残念がっていたけれど、しょせんあんなの政治せいじのためのけっこんだから、だれがだれとけっこんしたって、問題はないのさ。……天空の人間どうしなら、ということだけれどね」

「そんなこと聞いてない! えい、きみは、きみは、ぼくたちをにがすふりをして、ほんとうはずっと、見はってたってこと?」

「言葉がわるい。……そのおかげで、こうしてかけつけることができるんだ。わるく思わないでほしいな、わが友よ」

「えい……きみって、やつは……」


 知らない、ひとに見える。

 目の前の、友だちが。まったく、知らない。……他人に、見えてしまう。



「……帝国から、にげたことも……地上を、旅したことも……」


 ぼくは、ほとんどぼうぜんとして、言っていた。


「すべて、帝国はわかっていた。しくまれていたことだったって、いうのか……」



 ぼくの、心からの、問いかけに。

 だれも、答えてくれなかった。

 だから、きっと、そうなんだなって思った。帝国は、わかっていたんだ。しくまれていた、ことだったんだ。

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