第五章 青い楽園
楽園のような場所
赤いかみなりは、ようやく遠ざかってきた。
その音はもう、かすかにしか聞こえない。
ぼくたちは、
それぞれ、考えたいことがあったんだと思う。もしかしたら、あんまり、しゃべりたくないのかも、しれなくて。
ぼくの向こうにくじらの背中、そのさらに向こうにみしゃくじの背中。こうして見ると、ふたりとも細い背中をしているんだな、なんて、関係ないことを思った。
ふと、思う。その背中に、ふたりはなにを、せおい続けてきたのだろう。
――さっきの、赤い青年が。
この星を、おそってきて、焼きつくして、ほろぼすなんて、ほんとうなのだろうか?
ぼくたちは、歩き続ける。もくもくと、歩き続ける。
はてない地上を。天空の民が見すてたという話の、この地を――。
と、そのときだった。
みしゃくじが、いっしゅん、立ち止まって。そのあとまた歩き出した背中が、下から消えていくように見えた。
びっくりしたけれど、すぐに気がついた。みしゃくじは、消えたのではない。
……砂ばくに急に、ぽっかりとあらわれた階段を、くだっていったのだった。
その横には――青い、かんばん。
そしてくじらも、みしゃくじとおなじ場所でおなじように消えてしまった。
いや、消えたのではない。階段をくだっていったのだ、それはわかる、けれど。
……ふたりとも、どこへ向かったというのだろう?
それに――あぶないんじゃ、ないのか?
もちろん、その背中を追いかければ、わかる。それに、いまはそうするしかない。この広い広い砂ばくで、くじらとみしゃくじとはぐれるわけには、いかないのだ。
……少し進めば、たしかにそこにあった。
地下へ続く、さびた色の大きな階段。
そして、青いかんばん。
かんばんには、こう書いてあった。
――きゅうけい、できます。あまいジュース、のめます。おきがるにどうぞ!
……ちょっと、あやしすぎないか?
ぼくはうーんと首をかしげた。
でも。
くだって、いくしかない。
くじらも、みしゃくじも、もうすでにこの先に行っちゃったんだから。
……たぶん、このかんばんに、つられて。
まあ……でも、疲れたっていうのは、わかる。……ぼくも。
だいたい、ほかの地の神が、おそいにくるなんて――とほうもなくて。いまだに、なんだか、ほんとうのことだと、思えていないのだし。
それなのに。
……足が、なんでだろう、動き出そうとしない。
なにかを、ぼくにかくしていた、くじらとみしゃくじ。
ふたりとも、ひめだし、神だ……だからふつうの民にすぎないぼくに、ひみつにしなければならないことはわかる。けれど。……けれど。
ちょっと、うらぎられたような気持ちになっていたのも、ほんとうなのだった。
だから。
自分で、立ち止まっているというのに。
それなのに、ぼくは、まるで、広い砂ばくにひとりとり残されたような気持ちになって、なんでだろう、わけもわからず泣き出しそうになった。
……そのままどれくらいのあいだ立ちつくしていたのだろう。
ぼくはごくりとつばを飲むと、決心して、一歩をふみだすのだった――くつがその金ぞくでできた階段にふれたとたん、かちん、とかたい音が鳴った。
……あらそいのことは、休んでから考えれば、いいか。なんて。自分にやさしすぎる考えだってこと、自分で、じゅうぶんにわかっていたんだけど。
階段は、おりていくと、暗かった。ぼんやりと入ってくる地上の光をたよりに、手をついて、おそるおそる、気をつけながら、下りてゆく。かつーん……かつーん……と、歩く音がいちいち鉄のかべにひびく。
階段は、長かった。このまま永遠に続くんじゃないかと思ったほどだ。
しかし地上の光も、とだえるんじゃないかと思いはじめたころ……。
一気に、世界が、ひらけた。
そこには――楽園が広がっていた。そう、楽園。楽園としか、言いようがない。
青い、うみ。
うちよせる、なみ。
空とまじわる、ちへいせん。
それは、まちがいなく、帝国で、小さなころから、伝説に聞いていた楽園だ。
白い、すなはま。黄色い、たいよう。うみはなめらかに波打ち、すなはまはさらさらとやわらかく、たいようはきらきらと眩しい。
なにもかもが、伝説の通りだった。
「ここは……楽園……?」
思わずぼくはつぶやいた。
「あ、くりおねじゃーん」
おどろいて、ふりむくと、みしゃくじが片手を上げていた。
くじらとみしゃくじは、すなはまにいくつか置かれた、簡単なベッドみたいなものに横たわっていた。ぼくはベッドのそばに近づく。
くじらもみしゃくじもジュースを手にし、みしゃくじに至っては黒く塗りつぶされた伝説の眼鏡さんぐらすまでかけていた。
まるでこれではほんとうに伝説の楽園じゃないか――ぼうぜんとするぼくとはちがって、ふたりともすっかりリラックスしているようすだった。
「なに、これ、ふたりとも、どういうこと……」
「ん、あのね、お姉さんがいろいろと教えてくれた」
「みしゃくじ神、それでは説明を飛ばしすぎじゃ」
ふたりのあいだには、さっきの気まずさが、ふしぎと消えている。
ぼくのいないあいだに、なにかあったみたいだ。
「くりおね、ここは伝説の楽園にそっくりであろう?」
「そうだね……楽園はほんとうにあったんだ、ってびっくりしているよ」
「しかしじゃ。ここは伝説通りの楽園ではなく、つくったひとがちゃんといるのじゃ。つまり、楽園をまねして、このように楽園そっくりな青いうみを、つくったのじゃな。すごいことじゃ。それがみしゃくじ神の言ったお姉さんなる人物」
「お姉さんはすごそうだよ。伝説について、ほんとうによく知っている。青いうみだって、こんなふうにひとの力でつくれるだなんて……思わなかった」
……お姉さん。どういう、ひとなのだろう。
そう思った、まさにそのときだった。
「あらあらまあまあ、かわいらしい子がもうひとり!」
こしまでとどく長い黒かみをひとつしばりにしたお姉さんが、こしに手を当てて、あらわれた。
こむぎ色のきれいなはだ、短いそでの服と短いすそのずぼん。そして、にっこりとおおぶりな笑顔。
「お姉さん三人も可愛い子が来てくれて嬉しいよー。はいっ、君もそこにねそべって。ほらほら、早く! それね、リゾートスタイルっていうんだよ。いまジュース出してくるから、ジュース!」
なんとも、明るいひとだ。
言うとおりに、していいのだろうか……さっきの赤いかみなりのときの失敗も、ある。でも、……のどがかわいているのも、ほんとうだった。歩きつかれて、あまいジュースが、とても飲みたいことも。
……くじらも、みしゃくじも、そうしているから、たぶんだいじょうぶっていう理由で。
ぼくはくじらのとなりのベッドに、ねそべった。でもやっぱりすこしだけ、きんちょうしながら――。
お姉さんはすぐに、ジュースを片手にもどってきた。「はいっ」と言って、ジュースを手わたしてくれる。だいだい色のジュースは、とても甘くておいしかった。
お姉さんは、木が組まれたようなかたちのいすに、足をくんで、こしかけた。
「ちがう国の神と、けんかしたって聞いたけど」
「あ、はい……」
ぼくはあいまいに返事をして、ふたりと顔を見合わせる。
くじらは、みしゃくじのほうを見た。みしゃくじは、鼻歌を歌うみたいに、目をそらした。……みしゃくじが、お姉さんに言ったんだな。
お姉さんは、ふふっと笑う。
「若いころは、いろいろとあるものよね。いいのよ、どんどんけんかしなさい。でも、仲直りを忘れちゃだめよ」
……仲直り?
あの青年と、ということだろうか? ――まさか。
だってそんなの、ありえない。
お姉さんは、ぼくたちひとりひとりの顔を、ゆっくりとみわたした。
「あらためて。
ぼくたち三人は、うなずいた。
ユリさんは、いっぱく、置いて。
深みのある声で、言った。
「それはね、地上にうみを取り戻すこと」
「……地上に?」
ぼくは、思わずそう問いかけていた。
「そう。地上に、ここみたいな青い楽園を、ふたたび完成させること……」
「……まさかと思うけど、それは地上にうみをつくるってこと?」
「そうよ」
みしゃくじのあたりまえの問いかけにも、ユリさんはすぐにうなずいた。
「……うみは、うみじゃ。遠いはるかな世界にしか、ないのじゃ。いい子で、死んだら……そこに行けるのじゃ」
ぽつり、とくじらは言った。
ユリさんは、わかるわ、とでも言いたそうな、優しい顔で……でもそれでいて、あわれむように、くじらを見るのだった。
ざぱあん、ざぱあん、と波の音がする。
やわらかなうみはどこまでも広く、はてしない。
まるでほんとうの……うみに見える。
地上に、うみを――それは、それは、ほんとうに、はてしないことで、たぶん、帝国ではだれも、……そんなことを、考えない。
だって。楽園っていうのは。生きているあいだに、いいことをいっぱいいっぱいして、うみの神さまにみとめられて、……一生を終えて。それでやっと、いけるところだろう――?
そう。くじらの、言った通りだ。
いい子で、死んだら。いい子で、死ねたら。
そこにいける。生きている人間にとっては、それほど遠い、遠いところなのに――。
そんな楽園を、生きているいまのうちに、それも、地上に、……つくろうと、しているだなんて……。
「……ねえ、あなたたち。むかし話を、聞いてくれる?」
「むかし話、ですか?」
「そう、むかし話。まだ空に帝国も王国もなくて、地上にうみがあったころの話……」
ユリさんは、遠い目をした。
ぼくたちは、顔を見あって。話を聞くことにした。
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