そして、朝

「私が、旅に?」


 クレアさんは、ぼくの話を聞いておどろいたようだった。

 くじらはまだ寝室にいるけれど、となりにはみしゃくじがいる。でも、クレアさんへの説得はぼくがするという約束になっていた。


 クレアさんは、テーブルの上で両手をにぎりあわせ、考え込むように首をかしげる。


「ぼくたちと来れば、きっともうさみしくないはずです。いろいろなものを見ましょう、そうしたらきっと、家族のことも忘れられます。前を向いて、生きていきましょうよ」

「忘れる……」


 クレアさんは、ぽつりとつぶやく。

 そして、自分に言い聞かせるように言う。


「そうよね、もうみんながいなくなってから十年……そろそろいいのかな、みんなのことを忘れて生きてもいいのかな……」

「いいんですよ」


 ぼくは、必死に説得する。


「クレアさんは、新しい人生を生きて、いいんです」

「そうかしら……」

「それにきっと家族のみなさんも、クレアさんが幸せでいたほうが、ぜったいに、よろこびますよ」


 その言葉で、クレアさんは決めたようだった。ほほえんで、「ありがとう」と言う。

「そうよね。私もいい加減、泣いてくらすのにはうんざりしてた。家族のみんなも、泣いている私を見るのはつらいだろうって思ってた。だから行く。私、行く。新しい生活で、幸せになるの」


 ひとりごとのように、そう言って。

 クレアさんは、どこか遠くを見つめた。


「それでいいよね? いいんだよね? エリー……」




 そしてその日いっぱいかけて、クレアさんは荷づくりを終えた。

 くじらと言えば一日じゅう、寝室ですねていた。




 クレアさんがどうしてもと言うので、旅立ちはあしたの朝にして、夜はにゅむーを見に行った。クレアさんにとって、きょうはにゅむーを見ることのできる、最後の日だ。おごそかにおともしなければいけない、と思った。


 くじらはぎりぎりまですねていたけれど、けっきょく、いっしょに来た。ひとりでるすばんはしたくない、と思ったのだろう。くじらはけっこう、さみしがり屋なところがある。



 夜の、しずかで寒い砂ばくを、四人で、だまって歩いた。

 立ち止まってしばらくすると、にゅむーたちがぞろぞろとあらわれて、ぽーんぽーんと、はねはじめた。きのうとまったくおなじ、けしき。

 クレアさんは、このけしきを、いったい何回見てきたのだろう。きっと気が遠くなるくらい、くりかえし見てきたはずだ。



 ぽーん、ぽーん。ぽーん、ぽーん……。


 ……クレアさんの家族のひとたちが、すがたを変えたものだと思ってしまうと、なんだけれど。

 カラフルなにゅむーたちが、白い砂ばくで、はねるさまは。

 やっぱり、……やっぱり、きれいだ。



 ふしぎな気持ちになって、にゅむーたちに見とれていたときだった。



 小さな白いにゅむーがふと、はねるのをやめ、砂の上にすっくと立つと、とてとてと歩いてこちらに向かってきた。

 みしゃくじは「おお」なんて言って楽しそうな顔をしているが、くじらはぼくの服のすそをぎゅっとつかむ。こわがりなんだ、やっぱり。でもほんとのところ、ぼくもちょっとこわかった。


「こっちに来るなんて……こんなこと、いままでいちども、なかったのに……」


 クレアさんは、とてもおどろいた顔をしていた。そのあいだにも小さなにゅむーはとてとてと近づいてきて、ついにクレアさんの目の前に立った。

 クレアさんを、じっと見上げる小さなにゅむー。そのつぶらなひとみは、なにかをうったえかけているようだった。

 クレアさんは、おそるおそるにゅむーに手をのばした。にゅむーの頭を、なでる。するとにゅむーはくすぐったそうに、笑った。


「エリー……」


 クレアさんは感きわまったようによびかけると、そのにゅむーを、ぎゅっと抱きしめた。クレアさんの背中を、青い月明かりが照らす。

 ぼくたちは、言葉もなかった。砂ばくでは相変わらず、にゅむーたちがぽーんぽーんと跳ねていた。






 旅立ちの朝が、やって来た。



 きょうから四人で旅をするのかと思うと、なんだかわくわくと気持ちがたかぶった。そのせいか、ぼくはいちばん早く起きてしまった。

 くじらとみしゃくじはまだねむっていたようだけど、ぼくが起き出す気配で目を覚ました。おはようを言って、三人でふとんを片づけはじめる。


「くりおねー……」


 ねおきの悪いくじらは、目をこすりながら言った。


「わらわはきのう、とこに入りながら、考えたのじゃー……わらわはたしかに、クレアにすこしばかり冷たかったのかもしれんと。きのうわらわは、にゅむーなどという生きものを、だきしめてしまうクレアを見て思ったぞ。クレアは、こんな生きものに情をうつすくらいにさみしかったのだと。クレアは、ひとりぼっちなんじゃな。それに、あれじゃろ、くりおね……」


 もじもじするくじらを、「なに?」とぼくは優しくうながす。



「……意地悪なわらわよりも優しいわらわのほうがよいと、言ってくれたであろう?」

「そうだよ」



 ぼくが言うと、くじらはてれたように笑った。みしゃくじは、「しょうがないねえ」と苦笑していた。

 なんだかちょっと、はずかしいけれど、てれるけど、くじらも理解してくれて、地上にしてはめずらしく、きょうは太陽も出ていて、かんぺきな旅立ちの朝だと思った。



 ぼくはうきうきした気持ちのまま、くじらとみしゃくじといっしょに、とびらを開けた。



「クレアさん! おはよう!」



 すると――。



 そこには、二匹の白いにゅむーが手をつないで立っていた。大きなにゅむーと、小さなにゅむー。



 ぼくは、ひっと声をもらして、後ずさった。くじらが、いっぱく遅れて、きゃあ、と悲鳴を上げる。さすがのみしゃくじも、このときばかりは、立ちつくしていた。

 大きなほうのにゅむーと、目が合う。つぶらなひとみ。つぶらだけど、そのひとみがなにを言っているのか、にゅむーがなにを考えているのか、ぼくにはわからない。

 ぼくたちはしばらく見つめあっていたけれど、やがて二匹のにゅむーはこちらに背中を向け、音もなく、げんかんのほうへ歩きはじめた。


「――待って! クレアさんっ!」


 その名をさけぶようによんで、追いかけようとしたけれど、みしゃくじがそんなぼくのうでをつかんで、だまって、首をよこにふった。



 二匹のにゅむーは、よりそうようにして家を出て行った。あとには、がらんとした空っぽの家が残った。



 小さな木の家の、テーブルで。……三人で。

 ぼくたちはしばらく、だまり込んでいた。しずけさが、ふりつもるかのようだった。

 なにも物音がしないことが、この家のぬしがいないってことを、ますますたしかなものにするのだった。



 くじらは、うつむきながら言った。


「……なんでじゃ。なぜクレアは、あのような生きものに身を変えてしまったのじゃ。なぜ、ひととして生きようとしなかったのじゃ! 信じぬ。わらわは信じぬぞ! クレアは泣き虫なだけではない。クレアは弱虫じゃ!」


 一方でみしゃくじは、うでを組んで言った。


「……まあ、あれであのひとは幸せだったんだよ。家族といっしょになれたわけだしさ。ああやって、これからは、毎晩まいばんぽーんぽーんって跳ねるんだよ。それがあのひとの、幸せなんだよきっと」


 ぼくは、テーブルに両方のひじをついて、頭をかかえこんでしまった。

 クレアさんにとって、ぼくたちといっしょに旅へ出るのが幸せだったのか、それともこれでよかったのか、ぼくにはもう、わからなかった。

 もう、わかるすべもない。



 ――クレアさん……。



 太陽のあたたかい光が、部屋に、さしこんでいる。だんろの上の小さな絵も、きらきらと光をうけて、かがやいていた。





(第三章、白いにゅむー、おしまい。第四章に、つづく)

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