泣き虫クレア

 次の日、うって変わって、クレアさんは明るかった。


 朝ごはんには手のかかるごうかな木の実のスープをふるまってくれて、よく笑って、よくしゃべった。この木の実は焼いてもおいしいとか、この季節はまだあたたかくて過ごしやすいとか、そういうことをクレアさんはしゃべり続けた。

 テーブルでの、おしゃべり。

 くじらはもくもくとスープを飲んでいたけれど、みしゃくじは身を乗り出してあいづちをうっていた。クレアさんは、とても楽しそうだった。


 でもぼくは、そこに無理を感じてしまった。

 きょうのクレアさんは、明るすぎるのだ。顔いっぱいの笑顔が、なんだか、逆に痛々しい。


 クレアさんを、元気づけてあげたいと思った。いままでさみしくひとりぼっちで過ごしていたクレアさんが、すこしでも元気になればいい。

 でも、どうすればいいかわからなかった。

 だってぼくたちは、旅に出てしまう身だ。いまクレアさんが元気になったとしたって、ぼくたちがいなくなったあと、クレアさんはまたひとりだ……。



 ……自分でも、思いのほか、ぼくはクレアさんのことを想っているみたいだった。

 それは、あの家族の話を聞いて――にゅむーのはねる、あの夜の、ひかるなみだを見てしまったからかも、しれない。



 どうしようかと、思わずあごに手を当てたとき、だんろの上にかざってある小さな絵に気がついた。ここからの距離だと、よく見えない。

 ぼくは立ち上がって、だんろの上のその絵を、まじまじと見た。


「クレアさん、これ……」


 早口で喋り続けていたクレアさんの声が、とぎれた。


 その絵には、八人のひとびとがあたたかいタッチで描かれていた。六人のおとなと、二人の子ども。クレアさんによく似た小さな女の子が、幸せそうに笑っていた。そのとなりでは、もうすこし幼い女の子が、はにかむようにして笑っている。


 ぼくは、なるほど、と思って、クレアさんをふり向いた。


「これ、家族ですか?」


 クレアさんは、うつむく。その顔には、ふと、さびしげなかげがさした。くじらもみしゃくじも、クレアさんのようすと、小さな絵を、見くらべている。


 やがてクレアさんは、ぽつりと言った。


「……ええ、そうよ。そのそばかすのある女の子が私。私の服のすそをつかんでいるのが、妹……」


 するとクレアさんは、両手で顔をおおって泣きはじめてしまった。「泣かないで」とみしゃくじが言うが、悲しみはじめてしまったクレアさんは泣きやまない。


 クレアさんは、しゃくりあげながらこう話した。


「むかしはね、妹のほうが泣き虫だったの。でもいまは、私のほうが泣き虫ね。泣き虫エリーってね、よく妹を、エリーをからかったものだけど……エリーは幸せだったわね。いまは私なんて、泣き虫クレアって言ってくれるひともいないんだから」




 クレアさんが台所で洗いものをしているあいだ、ぼくはくじらとみしゃくじに言った。


「クレアさんを、旅にさそってみない?」


 それは、クレアさんが家族の写真を見て泣いたときに思いついたことだった。クレアさんは、さみしいひとなのだ。ほんとうに。

 ならばぼくたちといっしょにいれば、さみしいことがなくなるんじゃないか。


 ……思いきった、思いつきであることは、わかっていた。

 でも――そうでもしなければ、もうぼくの気持ちは、おさまらなかった。

 だってクレアさんは、そうでもしなければ。この小さな木の家で、まっしろな砂ばくのまんなかで、永遠にひとりで、くらしていくんだ……。


 でもくじらは、複雑そうに眉をしかめて言った。


「旅に、よそ者が入るということになるぞ」


 ……そんなふうに言うくじらが、ちょっと、信じられなかった。


「クレアさんは、もうよそ者じゃないよっ。くじらだって、よくしてもらったでしょう?」

「しかしのう……」


 くじらはしぶる。いままでだったら、くじらの意見にぼくはなんでも合わせていた。

 だから、こういうふうに、ぶつかりあったこともなかった。

 でも今回は、今回ばかりは、ゆずれない。


「クレアさん、かわいそうだと思うんだよ。ひとりぼっちで毎日過ごして、地上は広すぎるからきっとひとりで旅に出ることもできなくて。でもぼくたちといっしょなら、すこしは怖くなくなると思う。ぼくたちなら、クレアさんの力になれるんだ。四人で旅をしようよ」

「うむ……」


 くじらはしばらく視線を落として考え込んでいたが、やがてばっと顔を上げた。おさげにったかみが、ゆらりと揺れる。


「やはり、わらわは反対じゃ」

「どうして!」

「クレアはいいやつじゃ。それは、みとめる。しかしやはり、クレアはよそ者に違いない」

「でも、くじら」


 くじらは、つんとそっぽを向く。


「……くりおねも、聞いたであろう。地上と、彼らが天空の民とよぶ、わらわたちの話を。地上のものと、天空の者は、たぶん、わかりあえないのじゃ」

「……そんなふうに、ぼくは思わないけれど」


 でも――くじらの言っていることも、ちょっと、ほんとうにちょっとだけ、わかってしまった。

 地上のひとたちは、ぼくたちのことを、……ずいぶん、ちがったふうに、理解しているから。


 クレアさんも、地上のひと。

 それは、わかる。

 わかるのだけれど。


「……それに。わらわは、これ以上、じゃま者が入ってきて欲しくないのじゃ……」

「うん? じゃま者って、私のこと?」


 みしゃくじが、急に口をはさんできた。腕組みをして、どこか怒ったような顔をしている。


「……そうは言ってないであろう」


 口では否定していても、本心ではそう思ってるのがばればれだ。お姫さまであるくじらも、神さまであるみしゃくじにはちょっと弱い。


 みしゃくじは、どこか皮肉っぽく笑う。


「わかってるよ。姫さまはさ、くりおねをひとり占めしたかったんだろう? 遠く、遠く、とおーくまで、おさななじみのくりおねと、ふたりっきりで、どこまでもどこまでもねえ、旅をしていきたかったんだよねえ。でもそこに、私がついてきてしまったと。わかるんだよねえ、そういうの。私、神だし」

「違う、そういうわけではない」


 必死に違うと言いはるくじら。はらはらしているぼく。

 みしゃくじは、目を細めて言う。


「って言うか、私も姫さま相手にこんなこと言いたかないんだけどね。姫さま、もうちょっとクレアさんのこと考えてやりなよ。姫さまは、まああの生育環境せいいくかんきょう――お姫さまとして育った環境じゃしょうがないと思うけど、ちょっとわがままだよ」

「じゃあみしゃくじは」


 思わずぼくが言うと、みしゃくじは、ぼくに向かってほほえんだ。


「うん。私は賛成だな。迷えるをすくうのが、神のつとめでもあるしね。どこぞのお姫さまは、そうじゃないのかもしれないけど」

「みしゃくじ神っ……」


 くじらの、怒りに満ちた声。

 くじらはまっ赤になって、言う。


「みしゃくじ神など嫌いじゃ。ついでにくりおねも嫌いじゃ。クレアを旅に加えるのならば加えればよかろう。わらわはもう、知らん!」


 くじらはそう言うと、クレアさんが貸してくれている部屋に、かけ込んでしまった。

 ……嫌い。そんなふうにくじらに言われたこと、いままでなかった。けっこう、うちのめされている自分の心を――感じた。


「あーあ。お姫さまは、気楽でいいねえ」

「……どういうこと?」

「神さまってね、人間のこと嫌っちゃいけないんだ。そういう決まりがあるんだ。神さまだからね、人間と同じ土俵どひょう――おんなじレベルに立っちゃいけないって、上のみしゃくじさまたちによく怒られたもんだよ」


 みしゃくじは、ふうとため息をつく。


「私もね、ああいうふうに気楽にひとを嫌えたらいいんだけどねえ……あ、違うよ誤解しないでね、クレアさんのことはわりと好きだよ、私。泣き虫だけどね。泣き虫クレアさん、人間らしくていいじゃない」


 みしゃくじは笑うと、ぼくの頭にぽんと手を乗せた。幼いころ、よくそうしてくれたように。


「私は、賛成だよ。いい考えじゃん。成長したね、くりおねも」


 みしゃくじにほめてもらったというのに、なぜだかぼくは心の底から喜べなかった。



 ……いや。ほんとうは、理由は、わかっているのだ。

 生まれてはじめてくじらと真正面からぶつかった、その痛みは、じつは、あまりにも強いものだった。


 でも、だからこそ、この痛みを、むだにしてはいけない。

 ぼくの決心は、揺らいでいない。



 クレアさんを、旅にさそおう。くじらだって、いずれはわかってくれるはずだ。これは、大事なことなのだ。ひとを助けるっていうのは、きっとこういうことなのだから。

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