にゅむー

 いろんなことを、おしゃべりした。ぼくと、くじらと、みしゃくじと、そしてクレアさん、三人で。

 クレアさんは聞きじょうずで、ぼくたちの話や、くじら帝国の話も、ほんとうに楽しそうに聞いてくれる。そして、たまにぽつぽつと、クレアさんのほうからも話をしてくれる。地上と天空の話も。どっけは悲しいものだ、ということも……。

 ぼくたちはすぐにうちとけて、仲よくなって。時間が過ぎるのが、あっというまだった。楽しかった。


 そんな話の、なかで。

 毎夜、かならず行く場所があるのだ、とクレアさんは言った。



「よかったら、あなたたちをそこに連れて行ってみたいのだけど……」


 えんりょがちに言うクレアさんに、「もちろんですよ」とぼくは言った。くじらもこくりとうなずいて、みしゃくじも「いいよーん」と楽しげに言っていた。ごきげんなのだ。




 夜になって。

 そぼくながらもおいしい夜ごはんを、もらって。


 ぼくたちは三つ子にもらったふかふかの上着をはおって出かけた。地上の夜は、寒い。帝国のあたたかい夜と違って、ひやっとした空気が肌を刺すようだ。クレアさんも、自分のもっている、白くてふわふわの上着をはおっていた。


 月はきょうも、まるく、青くひかる。


 さくりさくりと砂を踏んでしずかな砂ばくを歩きながら。いったいクレアさんはなにを見せてくれるのだろうと、ぼくはわくわくしていたが。

 前を歩くクレアさんは、ときおり「だいじょうぶ? 寒くない?」とふり向くだけで、あとは無口だ。

 くじらは半月を見上げたり、あたりを見回したりしていた。みしゃくじは、背中で腕をくんで、鼻歌まじりで歩いている。

 どちらも、ぼくとおなじで、わくわくしていることがぼくにはわかった。



 と、そのとき、ぼくたちは見つけた。

 遠くに――向こうから、はねてくる、なにか。



「なんじゃ、あれ……」



 くじらが、おびえたように言った。

 みしゃくじは面白がるように「おお」と声をあげたが、ぼくはあっけにとられて立ち尽くす。



 青くまるい月。

 そんな月に向かって、ぽーんぽーんと、まんまるい生きものたちが、はねていた。七匹、いる。だだっ広い砂ばくのまんなかに、彼らは落ちては、またはねてゆく。まるで手まりみたいに。

 もも色、水色、黄緑色、パステルカラーの生きものたち。まるくって、点みたいな目がふたつついていて、鼻はなくって、口はぼうをひっぱったみたいにまっすぐ。大きさはたぶんぼくたち人間とおなじくらいだろうと思うけれど、このなにもない砂ばくで遠くにいるから、じっさいの大きさは、よくわからない。なかには、小さなものもいた。子どもみたいに。

 夜の深い黒色を背景に、青い満月に向かってはねるカラフルなその生きものたちは、この距離きょりで見ているぶんには、なんだかとても幻想的だった。



「にゅむー」



 クレアさんは、ひとりごとのように言った。ぼくは聞き返す。


「にゅむー?」

「にゅむー、というの、彼らは」


 クレアさんは、ぼくたちに説明するように言いながらも。視線はにゅむーというまるい生きものたちに釘づけだった。まるでいまにもうるんでしまいそうなほどに、真剣なひとみだった。


「にゅむーというのはね……」



 クレアさんは、ぎゅっと祈るように手のひらを合わせて言う。まるい生きものたちは相変わらず、ぽーんぽーんと、はねている。



「にゅむーというのは、私の大事なひとたちなの」



 クレアさんのひとみから、輝く涙がひとつぶ、落ちた。




 クレアさんは、泣いたわけを話してくれた。

 むかし、クレアさんがまだ幼かったころの話だ。


 クレアさんはあの木の家で、たくさんの家族とともに暮らしていた。にぎやかだった、とクレアさんは言った。とてもにぎやかで、毎日がとても楽しかったと。


 三日に一度、家族みんなで、歩いて行ける小さな林へ、きのこや木の実を取りに行った。どっけのなかでも地上に残った、食べもののとれる、貴重な林だ。

 クレアさんも弱気な妹の手を引いていつも林に行っていたのだが、その日はたまたま熱を出して寝込んでしまったのだという。

 夕方までには帰るからおとなしく寝てなさいと言われ、クレアさんはふとんのなかでうつらうつらと眠っていた。夜ごはんにお母さんがつくってくれるであろう、木の実のおかゆを楽しみにしながら。


 でも、その日、みんなは帰って来なかった。お父さんも、お母さんも、妹も、おじいちゃんもおばあちゃんもおじさんもおばさんもみんな、帰ってこなかった。

 クレアさんはその夜、待った。次の日も、待った。次の次の日、風邪がなおってしまっても、みんなは帰って来なかった。


 幼いクレアさんはとほうにくれた。ショックで涙も出てこなかった、とクレアさんは言った。と、いうより、信じられなかったのかもしれないわよね。わからなかったのかもしれない。みんなが帰ってこないなんてなにかの悪い夢に違いないと思った、と。



 その日も、クレアさんは家族を待っていた。

 家にたくわえてあったきのこと木の実も、七日経ってそろそろ底がつきそうだった。涙はいまだ、出てこなかった。いっそ泣けたら楽なのに、とクレアさんは思ったという。



 夜になって、窓から青い月の照らす砂ばくと林をぼんやりと眺めていたときだった。



 林から、にゅむーたちがぞろぞろとあらわれたのだ。大きなものも小さなものも、いち、に、さん、し、ご、ろく、なな……家族とまったく、おなじ数のにゅむーたち。

 クレアさんはおどろいて、かけ足で夜の砂ばくに出た。にゅむーたちはそんなクレアさんに気づくようすもなく、砂ばくに出るとぽーんぽーんと跳ねはじめた。青い月に、向かって。



 そのなかに、クレアさんは見つけてしまったのだ。

 大きなもも色のにゅむーに手を引かれ、心細そうにぴょんぴょん跳ねる、弱気なところがまるで妹そっくりな小さくて白いにゅむーのすがたを……。



 クレアさんは、そのときはじめて、泣くことができたのだという。



「あれはぜったい、妹なのよ」



 家のなか。あたたかいお茶をのみながら、ぼくたちはクレアさんの話をしんとして聞いていた。クレアさんのようすは、真剣そのものだ。


「いいえ、それだけじゃない。あのもも色のにゅむーはお母さんだし、水色のにゅむーはお父さんなの。私には、わかるの。にゅむーはね、私の家族がすがたを変えた存在なんだって……」

「……そんなことが、ありえるのか?」


 どこかおびえたような声で、くじらが言った。

 人間が、……人間じゃないもののすがたに、なってしまうなんて。

 クレアさんは、目をつむって首を横にふる。


「わからない。私もいろいろ考えたわ……でも、やっぱりそれしか考えられないの。理屈じゃないの。あれは、私の家族なの」

「……やはりわらわには信じられぬ。あのようなものと人間が、おなじ生きものであるはずがない」

「くじら」


 ぼくはくじらをたしなめる。しかしくじらは、止まらない。


「人間のすがたが変わるわけがないであろう。どう間違っても、あのようなものになってしまうべきではない。なぜ、そなたの家族は消えてしまったのか? わらわは、そちらのほうが気になる」

「ええ、もっともね。でも……」


 クレアさんは、ふたたび涙をにじませる。


「信じさせて。あれは私の家族なんだって。そうじゃないと、私、さみしくて……」


 そう言うとクレアさんは、うっ、うっと嗚咽を漏らして泣きはじめた。くじらはさすがに悪いと思ったのか、申し訳なさそうな顔をする。



 ――幼いころから、いままで、ひとりで生きてきたクレアさん。



 くじらは言った。なぜ、クレアさんの家族は消えてしまったのか。あるいはクレアさんの言うとおり、ほんとうに、クレアさんの家族はにゅむーになってしまったのか……。



 ……やっぱりそれって、どっけが関係していたりするのだろうか。



 ふたたびだまりこむくじらと、考え込むぼくに代わって、みしゃくじがクレアさんをなぐさめる。


「クレアさん、泣かないでよ」


 明るく言うみしゃくじ。

 こういうときには、みしゃくじは、強いんだ。

 クレアさんはうなずくが、泣き止むことはない。


「だいじょうぶ。みんながにゅむーになれたのなら、クレアさんもきっとなれるよ!」

「……そうかしら?」


 クレアさんは、そこではじめて顔を上げた。


「そうだよ。クレアさんも、にゅむーになればいいんだよ!」

「みしゃくじ神よ、そんなこと言うでない」



 いきり立とうとしたくじらを、ぼくは手でせいした。



 なぜならば、クレアさんが手の甲で涙をぬぐって、うれしそうにほほえんだからだ。

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