せんべつ

「……なるほど。天空の民も、もう、長い」

「いったい、なんのことなのじゃ……」


 三つ子のお父さんは、ゆっくりと、説明してくれた。 


「天空の空気は、きれいでしょう」

「……空気がきれいって、どういうことですか?」


 ぼくは、ほんとうに、心から、わからなかったのだ。

 空気にきれいもきたないもない。

 そう思ったんだ――けれど。


「すこし歩いただけでは、わからないでしょう。私たちだって、ふだんの生活で、ああ空気が汚いとか、そんなこと、感じるわけではないのです。でもね、ほんとうは……地上の空気は、よごれに汚れているんです。空気中に舞う、目に見えない汚れ――それがどっけです」


 どっけ……。


「地上は、もはやどっけの王国。植物は枯れ、雨はむらさき色になり、一面、砂ばくになった。私たちの髪やひとみの色までもが変わってしまう。そうして何年、何十年が過ぎ、いや、もっとかな……私たちの見た目はほら、どっけの色、……むらさきになった。遠いむかし、われわれの先祖は黒髪に黒いひとみだったらしいですよ」


 それは、ぼくたちとおなじ。

 ……そんな。


「……その話。失礼ながら、まことなのか」

「こんなことで、うそをついても、仕方ないでしょう。それに。……先ほどの、むらさきの雨。痛かったでしょう。どっけという、汚れがなければ……説明、できないでしょう」


 たしかに、それも、……そうだ。


 ぼくは、なんと言っていいのかわからない気持ちを、かかえていた。

 くじらとみしゃくじも、衝撃を隠せないようだった……。

 地上が、そんな、……場所だったなんて。



 ぼくたちは。

 もしや、とんでもないところに、来てしまったのではないだろうか。



「なんでそんなに、地上は汚れちゃったのかねえ……神的かみてきには、天罰をくだしたおぼえはないんだけどね」


 みしゃくじがつぶやいた。


「それが、私たちにもよくわからないのですよ。地上がこんなにも汚れているのはどっけのせいだって……私も、両親からそう聞いただけでして」


 ふうん、とみしゃくじは、考え込むように腕を組む。



 くじらは、三つ子と三つ子のお父さんを順番に見つめながら聞く。しずかだけど、なにか意思のこもったひとみ。


「なぜ、そんな危険な場所に、そなたたちは住み続けるのじゃ? どこへでも、逃げればよいだろう。どっけに汚され続けてなお住み続けるということが、わらわには、わからぬ」



 すると三つ子のお父さんは、苦笑して言った。



「……それが、できれば、ね」



 その顔は。おとなの顔、って感じで。けわしくて。

 ぼくには、ぼくたちには、かける言葉が、ない――。



「……まさか天空の民の子どもたちにそんなことを言われるとは。長く、生きてみるものだな」



 長く生きる、といっても、このひとはまだおじいさんという感じではない。でもそこでぼくは、ある可能性に気がついて、はっとした――もしかして、地上のひとたちは、くじら帝国のひとたちほど、長生きできないんじゃないのか?



 彼は、急に、にこっと笑った。

 けわしさが、一気になくなった。まるで別人みたいに。



「まあ、それもですし。やっぱり私たち、地上が好きですから……さっきからそこにいるのはわかっているんだ。出ておいで、ラン、リン、ルン」


 部屋の入り口から。

 三つ子が、おどけたようすで出てきた。

 頬をかいて、頭をかいて、舌をちょっと出して。


「ばれちゃった!」

「ランが音立てるからでしょ」

「ちがうよルンが押したんだ」


 にぎやかで。

 そんな三つ子を見るお父さんの目は……優しくて。


「おまえたち。もう、具合のほうは、いいのか」


 だいじょうぶ! お母さんも、もういいよって言ってた! と、三つ子は声をそろえて言った。

 それを聞くやいなや――彼は、自分の三人の子どもたちの頭を、かかえて。


「盗み聞きのうまい子たちは、こう、こうだ!」


 もみくちゃに、した。……じゃれあって、いた。

 三つ子は、楽しそうに笑い声を立てる。

 その風景は……たしかに、ひとつの家族の、幸せそうな時間だった。 


 三つ子は、もみくちゃにされながら、言う。


「あのねあのね。さっき、お話聞いてた。私も、地上が好き!」

「ぼくも好き!」

「私たち、ここが大好き!」


 三つ子のお父さんは、それを聞くと、ふとじゃれるのをやめて。

 三つ子の頭をいつくしむようになでて。

 ふりかえって……ぼくたちに、言う。


「どっけのはびこる地上に住み続けるなんて。……おろかとお思いかもしれません。私たちにとっては、ここは先祖代々伝わる大事なふるさとなんです。……そういうわけで、ここを離れるわけにはいかんのですよ」



 そのとき三つ子は、「あっ!」と思いついたかのように手を叩いた。

 話の流れも、空気も読んでいない。自由ほんぽうな、三つ子たち――。


「ちょっと待ってて!」

「すぐ戻るから!」

「ぜったい、待っててね!」


 くるりと三つの背を向けて、ぱっと走ってゆく。もうすっかりと元気だ。

 ……いや。でも。さっきの。むらさきの雨で、ぐったりしていた彼らのことを思い出すと。そう簡単に、よかったね、とは言えないような気持ちに、なるのだ。



「……あの子らは、からだが弱いんですよ」


 三つ子のお父さんは、つぶやくように言った。


「どうして、自分たちは天空でなく地上に生まれたのか。そしてどうして、あの子らは地上の子として生を受けたのか……恨んだことも、ありました。でも」


 三つ子のお父さんは、じっと目を閉じた。


「すべては、私たちの先祖が決めたこと。運命を呪わないようにしようと、近ごろ私は強く思うのです。……だから地上を愛そうと。はは。……そうするしかできない、私が、大人がおろかと言うなら、笑っていいんですよ」


 そして目を開け、せつなそうに笑った。


「あの子らは、十才まで生きられないでしょう。本人たちも、うすうすは、気がついていることだと思います」


 なんと言ったらいいのか、わからなかった。

 こんなときに、かける言葉を。ぼくは、持ち合わせていない。

 くじらとみしゃくじの顔も。それぞれ。……言葉がない、という気持ちを、あらわしていた。


 どうして、子どもが死ぬとわかっていて、地上に住み続けるんですか。

 そう言うのは、簡単だ。いま問いかけることだって、できるだろう。


 ……でもぼくたちはなにを知っているというのか。

 このひとのことを。こんなに深くけわしい顔をする、理由を。

 地上の、いったいなにを――知っていると、いうのか。




 ……深い雪のような、しずかな時間が続いた。

 やがて、三つ子がもどってきた。

 息を切らして、白いもこもこの上着を、三人それぞれ手にしている。


「これ!」

「あげる!」

「はい!」


 ぽんっ、とおしつけるかのように。

 くじらとみしゃくじは女の子ふたりから、ぼくは男の子からその上着を受け取った。


「これ……」

「これを着ているとちょっとどっけがましなんだ」


 男の子は、しんけんそのものの顔で言った。

 女の子ふたりも、くじらとみしゃくじに向かって、言う。


「そうだよ、ましなんだよ」

「私たちはさっき着るのを忘れちゃったけど」

「……はじめて見るような服じゃなあ」


 くじらは言った。たしかに帝国では、こういう服はなかった。


「でもだから旅人さんたちにあげます」


 わたのような見た目とちがって、ずっしりと重い、その服。


「……この服が、どっけを、ふせぐの。でもそんなだいじなものさ、私たちにくれちゃったら――」


 みしゃくじの言葉に、三つ子たちは。


「ぼくたちを」

「私たちを助けてくれた」

「旅人さんたちに、これ、あげます。……天空のおにいさんとおねえさん」

「天空の、おにいさん、おねえさん」

「はじめて、会ったんです。天空のひと」

「そして助けてくれたんです」

「元気に旅してほしいから。地上を」


 三つ子のお父さんは、しゃがみこんだ。

 そして、三人に――問う。


「……その服がないと、これから、遠くに行くことはできなくなるぞ。旅人さんたちに、あげてしまって、いいのか?」

「うん、いいよ」

「だって私たちが持っていたって、……そろそろ、しょうがないでしょう?」

「だったら、旅人さんたちに遠くに行ってほしい。そうすれば、……ぼくたちが、遠くに行った、みたいになるよね。……ねえ?」



 こんなに元気な三つ子は。

 どっけの、せいで。

 十才までも、生きられない――。


 お父さんが、いっしゅん、呼吸が止まったみたいに、苦しそうな顔をしたのを――ぼくは、見た。……見てしまった。

 三つ子は、自分たちのいのちの限界を、わかっている。

 そして三つ子がわかっているということを、お父さんは、わかってしまっている……。



 はあ、と。

 なにかをふりきるように、彼は息をついて……そして立ち上がって、にっこりと、ぼくたちに向かって無理に笑顔をつくったようだった。



「……そういうことで。お礼のつもりでしょう。受け取ってやってくださいな」



 三つ子のお父さんは、苦笑する。

 ぼくはもらった上着をじっと見つめる。


「ありがとう!」

「ほんとにありがとう!」

「ぼくたち三人から、ありがとう!」

「砂ばくの夜は冷えますからねえ。いい選択じゃないか、おまえたち」


 三つ子のお父さんの言葉は、たぶん。……いろんな、うそと、あきらめが、混ざっている。

 そして、お父さんは。また、三つ子の頭をなでた。

 三つ子はむじゃきにうれしそうに笑う――。


 ぼくはその白い上着をぎゅっと頬に押し当てて、こっちこそありがとう、と言った。……白い上着の、毛皮のにおいと、ちょっとごわごわしているけれどやわらかい感じ。

 ありがとう。そう。ありがとう。……ありがとう。



「……こちらこそ。ありがとう。上着、だいじにするよ」

「旅人さんたち。もう、行かれるのですか」

「もう行く、つもりです。でも」



 ぼくたち三人は、目配せしあった。……思ってることは、たぶん、いっしょだ。

 だから、ぼくは言う。



「その前に――聞かせてくれないですか。地上で、なにがあったのか。天空の民って、どういうことなのか。あなたたちが知っていることを……なんでも。お願いします」

「……あなたがたは、天空の民だが」

「お父さん、そうだよ!」

「このひとたちがいなかったら私たち、いまごろ……」

「お父さん、お父さん。ぼくたちこのひとと、遊んだんだ。いっしょに、長縄をして……だから、だから! 悪いひとじゃ、ないんだ!」

「……そう、だな。あなたがたは、天空の民。でも、うちの子たちを、助けてくれた。……その恩は、はかり知れない。だったら。お教えしましょう、私たちの……知っているかぎりの、ことを」



 三つ子のお父さんは、ひとつうなずいて。

 三つ子は、ぼくたちを見上げて。なんでだろう、ふわっと、嬉しそうに、笑った。




 

 ……その日は、三つ子の家に、とまらせてもらった。

 まずしい生活。……地上の生活。

 でも、あたたかい家庭。


 そして、ぼくたちは――地上について、そのひとたちが知っているかぎりのことを、教えてもらったのだった。三つ子のお父さんと、お母さんと。そしてなにより、三つ子本人たちから。


 ぼくと、くじらと、みしゃくじは、教えてもらった。


 夜は、冷えた。

 だんろの炎が、深く心にきざみこまれる。そんな夜に、なったのだった。





(第二章、むらさきの雨、おしまい。第三章に、つづく)

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