むらさきの雨

 ぽつりぽつり、とむらさきの雨がふりはじめる。


 びっくりした。だって、ほんとうだ、痛い。ひとしずくがひとつの小さな刃もののように、はだをちくりと痛めつける。

 見た目は、色をのぞけば、ただの水なのに。水が痛いだなんて。信じられない。水は、いつだって、……国をうるおして、ゆたかにしてくれるものなんじゃ、なかったのか。


 くじらもみしゃくじも、痛っ、と声をあげていたけど、ぼくは痛みを声に出して言うのをがまんした。みしゃくじや三つ子や、それになによりくじらをこれ以上不安にさせたくなかったからだ。……それは、ほんとうにささやかな努力でしか、ないだろうけれど。だってこんなに痛い――。



 毒々しいむらさき色の雨のなか、ぼくたちは歩みを速めた。もう限界げんかいとばかりに、女の子を背負って必死に歩くくじらがつらそうで気になるけれど、いま三つ子の女の子に歩けと言うわけにもいかない。くじらの背負う小がらな女の子は、いつのまにか、三人のなかでいちばんあらい呼吸をしている。


 ぼくは男の子に聞く。三人のなかでは、まだいちばん、意識がはっきりしているらしい、この子に。


「あと、どれくらい?」

「あと、もうちょっと……」


 男の子も、あせっているようだった。




 ――世界がむらさきに、おかされはじめている。まっ白だった世界が! 地はもはやむらさき、空ももはやむらさき!




 一面むらさき色の世界でぼくたちは、ぴりぴりとする痛みをこらえながら、もくもくと歩き続ける。



 と、ふいに、ざあっと大きな音がした。空のかなたからひびいてくる、と思ったとたん、雨はするどくなってかたくなってふえて、つまりよりいっそう激しくふりはじめた。からだぜんぶに、ばりばりと、ようしゃのない痛みが、ささる。



 さっきよりも濃い、むらさき。空気にまで、むらさきが満ちている。むらさきに、支配された世界――。



「くりおね! 危険じゃ!」


 ざあざあふるむらさきの雨のなかで、くじらが大声で言う。なにが! とぼくも大声で言い返す。



「この子らをこのままこんな痛い雨にさらしていては、危険じゃ! どうにかせんと!」

「わかってるよ! でも――!」


 すると、ずん、と背中の重みが、ました。

 ……背中の男の子から、力がぬけたのだった。

 もう、意識もないのかもしれない。あぶない。どうしよう。どうしよう。早く、しないと――ほんとうに村なんてあるのか!



 ……泣きたい気持ちを、ぐっとこらえて。



 ぼくは、ためらいをふりはらって、男の子を抱きかかえた。男の子が、雨にぬれないように。ぼくの背が、とけるように痛んでも、男の子の、そのいのちだけは守れるように。


「くじら! みしゃくじ! こうして! ――大変だろうけど、いまは、この子たちを守らなくちゃ!」

「やってみる!」


 くじらはさけぶと、女の子を抱きかかえる。顔をまっ赤にして、ふだんつかわない体力をめいっぱいつかってがんばっているのがわかった。



 でもみしゃくじは、女の子を背負ったまま――口を、とがらせている。


「って言うかさあ、なんで私たちがここまでしなくちゃいけないわけ? もとはと言えば、三つ子の体調管理不足が原因なわけでしょ? そりゃあ関係ないとまでは言わないけどさあ、せめて自力で歩いてもらうとか、そのくらいしてもらってもさあ、いいんじゃないの……」


 と、そこで、みしゃくじの言葉が止まった。くじらが、ものすごいはくりょくで、みしゃくじをにらみつけていたからだ。


「そのようなことをなぜ言うのじゃ、みしゃくじ神」


 低い声で、くじらは言う。

 ふだんは、感じさせない。……でも、くじらはたしかに、いずれは帝王さまになるんだって、そうわかるような、ちからがあった。


「わらわとそなたとくりおねは、三つ子と楽しく遊んだ仲。縁がある、もう友だちじゃ。三人を、みしゃくじ神、そなたはほうっておけと言うのか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさあ……」

「ならばその背の子をいますぐだきかかえなされ!」


 みしゃくじは、「……私は神だよ?」とはんげきをこころみるも、くじらのはくりょくが、ゆるむことはなかった。ふう、とわざとらしくため息をついて、「ま、これも迷えるを救うってことか」とつぶやいて、三つ子の女の子を抱きかかえる。

 するとその女の子はか細い声で、言った。



「……ありがとう……痛くない……」



 ぼくの背にいる男の子も、くじらの背にいる女の子も、ありがとう、と繰り返す。いまのやり取りを聞いていただろうに。……ぼくは、なんだかいたたまれなくなった。



 帝国で、こんなあぶない目にあったことなんて一度もなかった。ぼくたちは、立場はみんなちがったけれど、みんな、いつも、守られるがわで。くじらは姫だし、みしゃくじは神だし、ぼくだって、いちおうは役人見習いだった。

 だから。こうしてだれかを守るだなんて考えたこともなかった。いつだってぼくたちは、自分の仕事をそれなりにそつなくこなして、平和に遊んでいればいいだけだった。



 ――ひとを守るって、こういうことなんだ……。



 むらさきの雨が、背を打ちつける。きっとこれは、ひとを守る痛みだと思った。




 雨は、やまない。世界はまぶしいほどに、むらさき色だった。

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