第二章 むらさきの砂ばく

さみしい砂ばく

 色がない。



 それが、生まれてはじめておりたった地上の、感想だった。


 もちろん、色がないと言っても、とうめいなわけではない。空は雲におおわれて灰色はいいろ、地は砂におおわれて白色。

 でも、それだけだ。上を見ても下を見ても、あざやかな色はなにひとつない。木のいっぽんも花いちりんも、ひとのすがたも、ない。

 あるのはひたすら、砂ばかり。ときおり風がひゅうっと吹いて、砂をたわむれに巻き上げていく。


 色がない――っていう感想は、たぶん、くじら帝国が色とりどりの場所だからだ。

 信じられない。……空を見上げて、あんなに遠くのところから、ぼくたちはやってきただなんて。


 ぱらしゅうとで、たしかにふわりと、でもくじらの悲鳴といっしょに地上におりたってから、まだ、いちども、日も月は、いれかわっていない。

 だからそんなに長い時間ではないはずなんだけれど、なんだかもう、とても長くの時間が経ってしまったように、感じられた。


 それは、ひゅおおおとふきぬける、風のせいだろうか。

 えんえんと続く砂の大地のゆえにだろうか……。


 想像していた以上に、地上というのは、さみしくて。だから、かなしい場所なんだと思った。



 ぼくたちは、三人で歩く。ぽつんと、この地上というところを。

 ……あてはない。でも、なんにもない。だったら、歩くしかない。


 地上というのがこんなに広いなんて。

 そして、なんにもない、なんて。


 くじらを――ここにつれてきてしまって、よかったのか。

 ぼくは早くも後悔に似た苦さを感じはじめていた。

 だいだい、あのぱらしゅうとという乗りものは、おりたらそのまま、つかいものにならなくなってしまった。

 ……いざとなったら、ぱらしゅうとに乗ってくじら帝国にもどれると思っていたことは、どうやら、大きなまちがいだったようだ。


 でも、そしたら、歩くしかない。

 なおさら、ひたすら、……地上をすすむしか、なくて。



 ぼくは、となりを歩くくじらに話しかける。


「さみしい場所だね、くじら」

「……しずかなのじゃ」


 くじらはどこか、心細そうだった。

 当然のことかもしれない。くじらはおひめさまだけど、その前に、小さな女の子でもあるんだから。いくら結婚したくなかったとはいえ、なれた場所を離れたその不安は、そうとうのものだろう。


 そんなくじらとは反対に、やけに元気なようすのみしゃくじは。

 この砂ばくじゅうにひびわたるような大声で言う。


「いやー、ほんとにしずかだねえ! 地上のうわさはなんとなく聞いてたけれど、まさかこうまですさまじいとはね」

「地上のうわさって、どんなのがあるの?」


 ぼくは聞く。そういううわさは、ぼくみたいな役人見習いの耳には、なかなか入ってこない話だから。

 みしゃくじは、ほこらしそうに語りはじめる。


「うん、なんでもね、地上にはどっけっていうものがあって……」

「どっけ?」

「そう、どっけ。このどっけがどうもよくないものらしくってね、地上を、なんというのかな、そう、つまり……こんな感じにしているらしいんだ」

「つまり、……どういうこと?」

「つまり、生きものとか植物とかをころしてるってこと」


 ……ころす?


 ぼくは、ふしぎそうな顔をしていたのだろうか。それとも、みとめたくないけれど、こわがった顔をしているのだろうか。

 みしゃくじは、ちょっと気をつかうような顔になった。そうして笑いなおして、言葉をつけくわえる。


「ああ、だいじょぶだよ。どっけっていうのは、じわじわと、ころしにかかるもんなんだって。だから何年か経たないかぎり、なんにも起きないらしいよ。ただね、どうにもやっぱりよくないものらしいんだよね……」

「みしゃくじ神。どっけというのは、そもそもなんなのじゃ? 化けものなのか?」


 くじらが、ちょっと早口で話に入ってきた。それほど、おびえているということだろう。

 みしゃくじは、うでを組んで、うーんとうなる。


「それがね、そこまではわからないんだ。ただ、どっけて存在に地上は支配されてるってだけ。どういうことかいままではよくわかんなかったけど、でもじっさいこんな風景見たら、なんとなくどっけっていう存在の恐ろしさが実感できちゃうよね……」


 たしかに、雲と砂しかない世界だ。いのちの存在が、感じられない世界だ。こんな寒々とした世界が帝国の下に広がっていたなんて、話には聞いていてもじっさいには知らなかった。


「……それはさ、みしゃくじ」

「うん?」

「人間のことも、ころすの?」

「……どうなんだろうね。でも。……そうかも、しれないね」


 みしゃくじは、遠い目をしていた。

 ぼくは、よく知っている。こういうときのみしゃくじは、……なにかを、ごまかしているんだ、って。



 だったらその、どっけという、えたいの知れない地上のなにかは、ぼくたちのことも、ころしてしまうのではないか――。



 そうは、思ったけれど。

 ……でも言えなかった。


 おびえて、こっちを見上げて、ぼくのうでに、おずおずとしがみついて。

 そのまま、ぎゅっとぼくのうでにつかまって、ゆっくり進む、くじらを見ていたら。


 人間もころされてしまうんじゃないかなんて、そんな話。

 この女の子の前で、ぼくはできなかった……。



 どっけの話をきっかけに、ぼくたちは口数が少なくなった。みんな、なにか、とりかえしのつかなさを感じていたのかもしれない。

 ぼくたち三人は、ただもくもくと、広い砂ばくを歩き続けた。当てもなく、目的もなく。

 どこにたどりつくのかも、わからずに。

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