旅立ちは三人で


 ぼくは、走って中庭にもどった。

 水のあふれる中庭で、くじらはぼくの言った通り、待っていてくれた。

 ぼくはくじらのもとに、もっと速く走って、えいが乗りものを用意してくれることを伝えた。

 すると、くじらの顔は、ぱあっとかがやく。


「それはまことか、くりおね?」

「うん、ほんとうだよ」


 わあ、とくじらは笑って両手のこぶしをにぎった。よろこぶときの、からだの動き。

 なんだかんだ。子どもらしいところ、かわいらしいところがあるんだ、くじらって。


「では、えいのもとに行けばいいのだな。そうすれば、わらわはげ出せるのだな!」

「うん。でもその前にみしゃくじのところに行かなきゃ」

「みしゃくじしん? なぜじゃ?」


 むじゃきによろこんでいたくじらは、とたんにいぶかしげな顔をする。

 くじらは、ぼくとみしゃくじが仲よくするのを、あまりよく思っていない。

 その理由は、ぼくには、よくわからないのだけれど……。ぼくにとっては、どちらもだいじな、おさななじみの女の子だし。


「みしゃくじに相談したんだ、今回のこと。それでうまくいったんだ。だから、まずはみしゃくじにお礼を言わないと」

「ふむ、またくりおねはみしゃくじ神の世話になったのか……」


 くじらは不満そうにくちびるをとがらす。やっぱりふしぎだ、どうしてみしゃくじの話をするときだけ、そんなに苦い顔をするのだろうか。


 まあ、いまそんなことを考えていてもしょうがない、と思った。いまはやるべきことがある。

 ぼくはくじらに言う。


「そういうわけで、みしゃくじのところに行ってくるから、またちょっとだけ待ってて」

「いや、くりおね。わらわも行く」


 ちょっと意外だった。くじらはふだん、あまりみしゃくじと話したがらなかったから。



 そういうわけで、なんでくじらがその気になったのかはわからないけど、ぼくたちはふたりでみしゃくじの部屋をたずねた。


「……あれ、ひめさまもいっしょ? めずらしいじゃん」


 出むかえてくれたみしゃくじも、いぶかしげな顔をした。

 みしゃくじはみしゃくじで、くじらのことをあまりよく思っていないらしい。ひめさまはなにかとわがままなんだよねえ、とか言って、ときどきぼくにこぼしているから。ぼくは、くじらのそういうところがかわいいと思うのだけれども。


「わらわはくりおねとくじら帝国を出ることになった」


 くじらは部屋にも入らず、胸をそらして、いばって、どこか得意そうに言う。


「いままではくりおねのことでそなたにもなにかと世話をかけたが、今後はそのようなこともなくなろう。いままでご苦労であったな、みしゃくじ神」

「え、なに言ってんの?」


 みしゃくじは、部屋のはしらに手をついて。

 ちょっと全身をかたむけるようなかっこうで、強気に、くじらにむかって言う。


「私もついてくよ、その旅」

「……なに? ならぬ!」


 みしゃくじは、にいっと笑った。

 ぼくは、知ってたことだったけれど……。

 くじらは、急にあわてはじめた。みしゃくじがいっしょに旅に来るということが、そうとう、びっくりしたようだった。


「ならなくないでしょー。私が協力きょうりょくしてやったんだから。くりおね、いったいひめさまになんて説明したのよ?」

「あ、え……」


 返す言葉もない。……単純に、言うのを忘れてました、なんて言えないふんいきになってしまった。


「なぜじゃ。なぜみしゃくじ神が、地上にまでついてくるのじゃ……!」

「いーい、姫さま?」


 背丈せたけの高いみしゃくじは、背丈の低いくじらにずいっと顔を近づけて言う。


「この計画は、私がいなきゃ成立せいりつしえなかったわけ。実行不可能じっこうふかのうだったわけ。わかる? だから私が参加するのは、当然のことなの。至極当然しごくとうぜん、のことなの」


 はらはらする……横で聞いている、ぼくは。

 それにしても、みしゃくじ。またむずかしい言葉を使っているよな。……まるでぼくやくじらに、わざと意味をわからせないようにしているみたい。


 みしゃくじに気おされ、くじらは一歩、二歩と、後ずさる。


「しかし……でも……」

「しかしでも、じゃないよ。私は旅に参加するからね。私は情報を提供ていきょうする。きみたちは旅を提供する。それが等価交換とうかこうかんってことでしょ?」


 ……そういうこと、なのかな。みしゃくじの言っていることは、くじらにもちんぷんかんぷんだったようだったけれど、ぼくにだって、わからなかった。



「くじら」



 なには、ともあれ。

 ぼくはくじらに話しかける。


 ……この場を、おさめないと。


 みしゃくじがいなかったら、この急な計画は、うまくいかない。それに、みしゃくじはもう、いっしょに来るつもりなんだし。

 だから――。



「くじらはね。意地悪なくじらより、優しいくじらのほうがかわいいよ」



 だから、みしゃくじがいっしょに行くことも、いいよって言おうよ。さりげなく、そう伝えたかっただけなんだけど……。

 くじらは、ぼくの思わなかった反応をした。まっ赤になって、「な、なにを言う、くりおね……」と、おろおろしはじめる。


 なにを言うって、そのままの意味だよ。

 くじらにそう声をかけようと思った――そんなときだった。



「ああ、ここにいらっしゃったのか。ひめさま、乗りもののご用意ができております。急がないと」


 えいだった。

 えいは、ひざまずいた。

 くじらは、ほっぺを両手でぺちぺちとたたく。まるで自分を正気にもどすみたいに。……くじら、それにしても、どうしていまそんなにまっ赤になったんだろう?

 みしゃくじが、ちゃかすみたいに、ひゅうっとくちぶえを吹いた。

 くじらは、ぎろりとみしゃくじをにらんだ。みしゃくじは、「おお、こわ」とか言って、かたをすくめる。


 でも。みしゃくじをにらむことで、落ち着いたのか。

 くじらは、おひめさまらしく。うむ、とひとこと言い、立ち上がった。歩きはじめる。えいが案内あんないをはじめる。ぼくたちも、あとからついていった。


 えいはやけに早足で歩く。ついてゆくのが大変なくらいだ。

 ぼくはえいのとなりに並び、やけに急ぐね、と声をかけた。えいはくじらに聞こえないよう、小声で言いかえしてきた。


「日が明ける前に出ないとな、見つかってしまう。いちおうこれは帝王さまに逆らうということだから。反逆罪はんぎゃくざいだよ」

「……裏切りの罪、ってこと?」


 おそろしい言葉にふるえそうになる――けれどもえいは、からからと、気楽に笑った。


「まあ、そうなるな。でも、あまり気にしすぎなくっていい。……帝王さまだって、わかってらっしゃる」

「……逃げる、ことを?」


 まさか。

 えいはそんなぼくの心を読んだように、うなずいた。


「そうだな。いま逃げるということは、帝王さまは、いまはごぞんじないだろう、いまはまだ……」


 ……どういう、ことだろう。

 えいは、はははっ、とさらに笑った。おなかのそこから出てくるような、元気で陽気ようきな笑い声だった。



「うまくやるよ。どちらにしろ。くりおねたちは、地上に行ったって、なあんにも気にしなくっていい。おれだってまだ十五だ、こんな若さで反逆罪を助けた罪に、問われたくはない。王宮でうまくやって、いい地位を手に入れるんだ」



 えいにはえいの夢があるのだ、と思った。

 ぼくは、えいとおなじ役人見習いって立場だけれど。そんなにえらくなりたいとは、思ったこともなかったし。

 地上に行くなら、これからなおさら、思わない。



 青い建物がえんえんと続く。王宮は、どこまでも広がっているように思える。

 でも、果てがあるのだ。

 ぼくは、王宮という世界しか知らない。

 でも、それはもしかしたら、小さな世界なのかもしれない。



 ぼくにとっては、すべてを置いても、くじらひとりのために、地上に行けてしまうほどの。

 生まれ育った、なじんだところだけれど、それだけの。



 ……ううん。それ以上に、ぼくはたぶん。

 いちども、くじら帝国から出たことが、なくて。




 だから。心のどこかで。いつか、こうやって、おさななじみたちと、くじら帝国を旅立てる日を待っていたのかもしれない。だなんて――。

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