えいの知らせ


 ぼくは心のなかで、くじら、とその名を呼ぶ。

 くじら――。


 でも、ただのうばきょうだいに過ぎないぼくがなにを思ったところで、くじらの結婚を止めることなんかできやしないのだ。

 あの日、水の中庭でちかった結婚の約束なんて、果たされるわけがなかったのだ。そうだ、そんなこと、わかっていたはずなのに……。


 ぼくは、うう、とうなってふとんをかぶりなおす。


 もうとっくに夜も遅いけれど、あしたのくじらの結婚式のことを考えたら、眠れるわけがなかった。

 ……くじら、きれいなのかな。

 ああ。でも。そのとなりにいるのは。まちがいない。当たり前だよ。あざらし帝国の――見たこともない、名前も知らない、皇子おうじさま。



 ぼくは、眠れずに。

 まくらもとの明かりをつけたまま、こうしてずっともの思いにふけっている。




 そんなとき。

 部屋のとびらがひらいた、と思ったら。

 ふとんの上から、明るい声がふってきた。



「よう、くりおね。元気ないな」



 見上げると、役人やくにん見習みならい仲間の、えい。彼が、にやにやと笑って立っていた。

 大がらな身体に、つんつんと立てた金髪。

 いつもの、なじみある、えいのすがただ。


 ぼくはふとんから顔だけ出して、力ない視線を送る。


「元気なわけ、ないでしょ。これで元気あったら、馬鹿でしょ」

「おまえは、馬鹿と言えば馬鹿だろう。くじらさまのことが好きすぎて、くじらさま馬鹿じゃないか」

「なんでいまそれを言うかなあ!」


 ぼくはばっと起き上がると、まくらをえいに投げつけた。

 えいはさっと身軽な動きでまくらをよけると、まあまあ、となだめるようにして笑った。


「そんなに邪険じゃけんにすんなって」


 じゃまものあつかいするな、ということだ。

 えいはこうやって、よく、難しい言葉を使う。

 

「とっておきの知らせを、持ってきてやったんだからさ」

「……知らせって?」


 えいは周りにひとがいないことを確認すると、ささやくようにして言った。


「くじらさまが、お前に会いたがってる」

「……は、」



 あまりのことに、ぼくは固まってしまった。



「さっきさ、お会いしたんだよ。偶然。ほら、おれはきょう、警備係けいびがかりだろ。それで見回ってたんだけど、そこでくじらさまにお会いしたんだ。そしたらいきなりこう言われてさ、えい、わらわはくりおねに会いたいって。くじらさまの願いだろ、逆らうわけにいかないからさ、こうやって慌ててお前のもとに来たってわけだよ」


 こいつが、やっぱり、なんだかんだで優しいやつなんだってことは、あらためてわかった。べらべらしゃべっているだけのようで、こいつは、ぼくにだいじなことを伝えてくれた。

 でも、ごめん、えい。もうぼくは、えいの話のあとのほうなんて、ろくに聞いちゃいなかった。でも、

 気持ちが、いっぱいだったんだ。

 あの女の子のことで。



 ――くじら!



 ぼくは、ありがと、とひとことえいに言い残すと、ふとんをはいで、走り出した。

 くじら、くじら、くじら、くじら……。


 息が切れても、ぼくは走り続けた。

 深く沈んだ青色のろうかを、めいっぱいに、かけぬけた。



 ――ぼくだって、もういちど、もういちどだけでも。

 ゆっくり、ふたりで話せるならば……話したかったんだから。くじらと。

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