くじら帝国の逆襲

柳なつき

第一章 くじらの結婚

くじらという女の子

 くじらと遊ぶのが好きだった。



 まだずっと、ぼくたちが小さかったころのおはなしだ。

 ぼくたちはいつだって、王宮おうきゅう中庭なかにわで遊んでいた。

 ぼくは、見習みならいの服を着て。くじらは、おひめさまの、ひらひらした服を着て。

 くるくると、かけまわって。



 花がさいてさいて、ひかりのあふれるあふれる、中庭。

 ぼくたちの、あのころの、いばしょだった。



 そんな中庭で、くじらはいつも、まゆをぎゅっとしかめてこう言っていた。

 まゆをぎゅっとしかめるのは、なにかを本気で考えているときの、くじらの、くせ。


『水というのは、ふしぎじゃのう』


 ふん水、滝つぼ、みずうみ……中庭には、水がたっぷりあふれていた。



 この国は、水にはこまらない。

 いつだって、雲から水をつくってしまえばいい。


 くじら帝国ていこくは、空とぶ国だ。

 中庭はおおいかくされていて、見上げても、とっても高い天井てんじょうしか、見えないけれど。それに、ふだんこの国のなかでくらしていると、この国が空をとんで、動いているという感じも、しないけれど。


 でも、いまもほんとうは。

 この国は、大空をすすんでいるんだ。

 ……よごれた地上から、ずっとはなれた。きれいな、きれいな青空を――。



 あのときも、くじらは、ふん水にむかって手を出していた。

 水にさわりたいのに、こわくてさわれない。そんな彼女の気持ちが、ぼくにはすぐわかるから、ほほえましかった。


『くじら。とりあえず、さわってみたら』

『……こわくは、ないか』

『こわくは、ないよ。水は、ぼくたちを生かしてくれるんだよ?』

『くりおねが、そうもうすなら……』


 くじらは、いつも。そうやって。おそるおそる水にふれて、きゃっと手を引くのだった。

 そんな彼女を、ぼくはいつも、まぶしいものを見るみたいに、見ていた。

 そしてそんなぼくに気がつくと、くじらはいつも、なんじゃと言って、すねたように、てれるのだ。



 くじらは、おひめさまだけど。

 そしてぼくは、えらくもない身分みぶんだけれど。

 ぼくは、そんなくじらのそばに、いつまでもいたいって、思っていたんだ。



『くりおね』


 くじらは、ふりかえってぼくの名をよぶ。

 長くてきれいな、かみの毛が、つやつやとして。

 ひかりのあふれるあふれる中庭で。

 ひかりをあびてあびて、ひかっている、くじらという女の子は。


 言ったのだ。あの日。ぼくは覚えている。とても覚えている。


『……大きくなったら、わらわをおよめさんにしてはくれぬか?』


 おひめさまの、きまぐれ。

 そうでなければ、そうだ、あの日はやたらと空が近くて晴れていたから、なんだか、そういうことを、……言ってもしかたないことを、くじらは言ってしまったのかもしれない。


 だって、くじらはおひめさまだ。

 ぼくなんかと、結婚けっこんなんかできるわけ、ないじゃないか。



 でも。

 ぼくは、うなずいていた。



『……うん』



 くじら帝国のおひめさま。

 ぼくのおさななじみで、かわいらしい女の子。

 いつまでも、いつまでもそばにいたいひと。



 そんなひとにそう言われて、首をよこにふるなんて。

 ぼくには、できなかったんだ。



 幸せだった。すごく。

 ……でも。

 もう、あの時代は、永遠えいえんに返ってこない。



 くじらはあした、結婚する。

 くじら帝国のあとつぎになるのだ。

 そのために、あざらし帝国からおむこさんを迎えるのだ。

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