第15話 「他人の芝生は良く見える」

         FLASH DUNK

          第 2章~


タイトル「他人の芝生は良く見える」


12月31日 フレッシュマンカップが終了した後、1月7日に中国遠征に出発予定の高校生日本代表チームは1月4日の午後から合宿行うことになった。一心は秋田に戻らず実家の横浜に滞在して4日からの合宿に参加することになった。流稀亜は東京の実家に戻り、マートンは協会が用意したホテルに泊まることになった。それぞれが戦いの疲れをいやすため、何年かぶりの休日になったが自主練は怠ることのなく続けていた。


2020年 1月2日~


 正月休みの夕方ということもあってか屋外の無料で使用できるバスケットコートには一心以外、誰もいない。そんな無人のコートで相手がいることを想定しながらのエアー1オン1を2時間ほど繰り返し行った一心の体のいたるところから湯気が出ていた。そんな気迫あるエアー1オン1はまるで幻覚で相手が見えているかのような鋭い動き中で行われていた。

「そろそろいいか」

 薄暗くなり始めた空を確認すると、あくまでも調整の意味合いの自主練を終えた。その後、水分補給をした後で携帯電話のラインに入っているメッセージを確認する一心。すると母親の樹里から「ジャガイモを買ってきて」というラインが入っていた。

「めんどくさ!」

 そんなことを言いながらも一心はコートを後にするとスーパーへ向かった。



 

 その頃、樹里は愛梨と一緒に晩御飯を作っていた。台所では二人の笑い声が絶えまなく響いていた。愛梨が驚いた顔をしている。

「嘘!本当ですか?」

樹里は口をとんがらせながら小さな子供が告げ口するような口調で愛梨に問いかけた。

「ええ、そうなの昔から頑固でね…あのバカ…ネジが飛んでるのよ!そう思わない?」

「確かに…そういうところありますよね」

「でしょ…大変じゃない?」

 そう口では言いながらも、愛梨の一心に対する気持ちを確認している樹里。

「何がですか?」

 樹里はクモの巣に罠を張ってさあ食べようかと言わんばかりの顔をして口を開いた。悪いとは思っていたが母親ならではの一心を思う気持ちからだった。

「あのバカと一緒にいると嫌になったりするでしょ。嫌な時は別れていいんだからね。うちの子は口は堅いから大丈夫、誰かに言ったりはしないから」(ごめんね愛梨ちゃん)愛梨は樹里にそう言われると少し考えて少しすると下を向いて恥ずかしそうにして口を開いた。

「私…一緒にいるとドキドキします…」

 その言葉を聞いて驚いている樹里(良かった遊びじゃないみたい)

「え、あのバカといてそんな瞬間があるの?」

 樹里は180度、態度を変えてそう言った。すると愛梨はいかにも約束事を忠実に守る警察犬の様なたたずまいのまま口を開く。

「いっちゃんってたまにですけど…急に男らしくなって、なんていうか守護霊とかが降りてきて誰かが乗り移ったんじゃないかな?なんて思ったりする瞬間があって、勿論バスケしている姿も好きですけど…私はその…なんていうか…私が落ち込んでいると、何も言わないのに分かってくれて、私のことを導いてくれたり、抱きしめてくれたり…いっちゃんの前にいると私…真っ直ぐっていうか…正直になれるです」

 あまりにも長い、愛梨の真面目なノロケ話にうとうとしていた樹里。しかし急に核心を付く話に代わった事に驚気を隠せず思わず声を上げた。

「キャ…抱きしめるって…」

「え…あの…アレはまだしてません」

「これからアレをする…予定があるような…言い方ね」

 樹里が意味深につぶやく。

「え、それは…その…」

「冗談よ…私もね違う意味でね。いっつも、あのバカが何をやらかすかわからなくて…そうだ、何度、学校に呼び出されたことか…」

突然、樹里を見て愛梨が微笑む。

「はははは」

 樹里の口元付近にはベシャメルソースが跳ねたようでついていた。

「お母さん…ほっぺに何かついてます」

 頬を触り、あたふたする樹里。

「え?何?美容液?」

「ヤダ、お母さん違いますよ…」

「はははっは」

 料理の工程を見て樹里がつぶやく。

「ああ、いいのよ。玉ねぎはざっくりで、どうせ後で溶けるから」

「あ、はい」

「愛梨ちゃん、ベシャメルソースも作れるの?」

「はい、がんばって練習しました。最初は火加減が分からなくてこげたりしたんですけど、今はコツがつかめて、それからは大丈夫です」

「わたしなんか市販のホワイトソースにバターを足してごまかしているのに…今度教えて!」

「はい、ぜひ!」

「ねえ~今夜私~満月のせいかしら~」

 樹里が突然、愛梨のデビュー曲を歌いだした。それを見て微笑む愛梨。

「…私、凄く楽しいです…」

「あら、奇遇ね、私も同じこと思っていた!うちの娘になればいいじゃない!」

「え?」

「やだ、別に結婚とかそういう意味じゃないわよ」

「え、はい…してもいいですけど…」

 すると、きりっとした顔で樹里が突然、愛梨を見る。

「駄目よ!するなら私が先よ!私が再婚した後にして!」

 それ聞いた愛梨が腹の底から大笑いする。

「はははは、お母さんが気さなくな人で良かったです」

「そうかしら?意識してないんだけどね、愛梨ちゃん、所で今日はどうするの?」

「ご飯を食べたら帰ります…いいですか?」

 愛梨の話が終わる前に樹里が口を開く。

「何で?…泊まっていけば?」

 驚く愛梨。

「え、いいんですか?」

 すると、買い出しに行っていた一心が戻って来た。

「ただいま、かあちゃんさクリームシチュー作るのにジャガイモを忘れるって…どういうこと?更年期障害?」

 その言葉に反応して眉間にしわを寄せる樹里。

「シンちゃん…どういう意味かしら?」

 愛梨の背中に隠れて包丁を突き刺す樹里。

「シンちゃん?」  (気持ち…わる)

「今日はいい子ね~」(ガルルル!)

「…」(虐待かよ!)

 一心はジャガイモをテーブルに置くとソファーに座りNBAの試合を見始めた。そんな一心に愛梨が話しかける。

「いっちゃん、お母さんがね、今日ね、泊まっていけばって」

「へー泊まるの、いいんじゃない」

「うん」

「止まる?いやその止まるじゃない…って、え!泊まるの!…?まてよ…泊まる?ってえ?うちに泊まるの?誰が…愛梨が泊まるの…え」(今度会ったらしようね…今度会ったらしようね…)愛梨に言われた言葉が頭の中でこだまする一心。

「うん」

 急いで席を立つと、自分の部屋を掃除しに行く一心。

「なあに、あのバカ?」

「…いっちゃんって可愛いですよね」

「愛梨ちゃんだけよ、そう言うのは」

 二人は顔を合わせると大きな声で笑い始めた。

「はははは」




 ご飯を食べる愛梨と、樹里と一心。一心は普段よりおいしい出来の好物のクリム―シチューをこれでもかというほど口に含んでいた。

「ごはあはり!」(おかわり!)

 それを聞いた樹里が口を開く。

「…ねえ、まるで普段,私がまずい食事ばかり作っているみたいじゃない!」

「だって、今日のシチュー…お店、出せるよ!」

 満面の笑みで微笑む愛梨。

「本当に!」

「うん!プロだよ!プロ!」

 その言葉がよっぽど嬉しかったのか、少し緊張していた愛梨の口調が滑らかになり

樹里に質問をしてきた。

「お母さん、いっちゃんって小さい時、どんな子供だったんですか?」

その質問に即答する樹里。

「そうね、簡単に言うと…近所でも有名な馬鹿ね」

 少しイラついた顔で言い返す一心。

「…バスケ馬鹿って言ってくれますか?おばさん」

「お・ば・さ・ん?あんたが授業中にボールを持っていることで私がPTAで何度も何度も嫌みを言われたかわかってるの!」

「知らん!おばさんの記憶、違いじゃないか?」

 持っていた箸をテーブルに置くと臨戦態勢に入る樹里。

「どこが、ババアだっていうのよ!私はね、毎日の肌のケアだって怠ってないし、スキンケアも体のケアも美容も怠ってないのよ!その私のどこが叔母さんよ!私は血液年齢20代、骨年齢、20代、見た目は10代って近所でも評判よ!こないだって近所の若い男がこの私を女子大生だと思ってナンパしてきたんだからね!」

「ははは、それってあれだろ!その男の方に向かって後ろを向いて振り返えったら、「間違いです!」って言われた奴だろ!」

「ちょっと、あんたお客さんの前で言っていいことと、悪いことあるでしょ!」

 そういうとお互いにテーブルをはさんでにらみ合う樹里と一心。それを羨ましそうに見ている愛梨「…」

「ふ、ふ、ふ、愛梨ちゃんこの子の部屋に後で行ったらね確認してみるといいわ!バスケのDVDの左側は全部AVのDVDよ!しかもいつもずぼらなのに、几帳面にあ、い、う、え、お、順に並んでるの!」

 それを聞いた愛梨の表情が急に曇る。

「やだ!変態!キモイ!」

 一心が思わず白目をむき気が狂ったように口を開く。

「あああああ!…お…お母さま…気は確かでいらっしゃいますか!」

 樹里も負けじと狂ったように首を振りながら口を開く。

「ええ、この通りお陰様でピチピチのパチパチよ!」

「だろうな、だから夏になるとパンツも履かないで寝るんだよな!」

 してやったりの表情をする一心。しかし愛梨は初めての「神木家の戦い」に巻き込まれ戸惑いを隠せない表情をしていた。下着を履かないという言葉に反応する愛梨。

「キャ…」

 樹里は怒り狂ったように白めを見せると、テーブルの上に足を置いて一心に食って掛かった。

「こら!このクソガキ!さっきからいってるでしょ!お客様の前で!」

 かまわず、涼しい顔をしてクリームシチューを口に運ぶ一心。

「下着はブルーが好きなのはいいんだけどさ、見えそうなほどにエロい下着は俺の前じゃなくて、誰か恋人の前にしてくれよな」

 一心がそういうと、樹里が自分の髪の毛を爪を立て掻きはじめ静かな口調で口を開いた。

「…シン…言ってしまったわね…もう許さない!」

 不敵に微笑む樹里はまるで、魔界に住んでいる魔女の様な表情だった。そして一心をじっと見た後で静かに語り始める。

「あんた、修学旅行の前の日に、お化けが出たら怖いって言って、小学校6年生にもなって、私の布団で朝まで寝てたわよね!その後も、修学旅行に行ってお化けが出たら嫌だから学校に行きたくないとか、トンチンカンなこと言って、結局あんたのせいで修学旅行のバスが遅れたのよね!」

 一心の顔が赤くなり、思わず箸を置くと口を開く一心。

「ああ!…ガルルル~なんてことを言うんだよ!」

「まだ、まだ、あるわよ!注射嫌いで、学校のトイレに閉じこもって出てこなくなってどこの誰が学校のトイレにまで迎えに行ったのよ!」

「そんな昔の話、覚えてねえよ!」

「よく言うわよ!ああ…この子ねえ、小学校、5年生の時にキスしてるのよ!」

 驚く愛梨。

「え?」

「してねえよ!」

「それが証拠にね、その子が何日か学校を休んだらしいの。そしたら、この子ね馬鹿だから、学校から帰って来ると悩んだ顔してさ、おい、かあちゃん!って言った後で突然、「キスすると妊娠するの?」かって?その子が休んだのは誕生日にデコレーションケーキを食べ過ぎたからだったのに、自分がキスしたから妊娠して学校を休んでいると思っていたのよね!この馬鹿息子は!」

「あああああ!それは…それだけは…それは言っちゃダメなやつだろ!」

 一心がそう言っても構わず話し続ける樹里。

「相手の子がね、男勝りな子だったんだけど、名前が永野 理央ちゃんだったかな?」

「…おかあさん…私騙されました」(いっちゃん…いっちゃんのお母さんとの会話が羨ましい…)愛梨は羨ましさのあまり、自分の母親がいたらと思っていた。すると自然に目から涙を流していた。それに気が付いた樹里が口を開く。

「酷い男ね!愛梨ちゃんを泣かせるなんて!」

「あんたのせいだろ!」

 愛梨がつぶやく。

「…私とのキスが初めてだって言ったのに!」(ごめんね泣いちゃってでも心配しないでね。いっちゃんのせいじゃないから)

「本当だよ!本気のキスは愛梨が初めてだよ!」

「なによ、お母さんの話だと5年生の時に終わってるじゃない!」(マミー…何してるのかな…いっぱい聞きたいことあるんだよ…)

「違うんだよ、不可抗力で…見ろよ、かあちゃんのまいた油のせいで火が付いた!」

 愛梨がテーブルに俯いて泣いたふりをしている。

「火元はあんたででしょ!」(ていうか、サラっと聞き流したけどキスはしたのね…ませたガキんちょになったこと…)

 一心がつぶやく。

「サッカーしてる時にぶつかって、それでだよ。だからしようと思ってしたんじゃないよ!」

 うつぶせで泣いたふりをしていた愛梨が姿勢を正すと口を開いた。

「相手の子は…そう思っているのかな?どう思うのいっちゃん?」

「まさか…何?」

「何年か前の国体の時に応援来てたじゃない!」

 ばつが悪そうな顔をする一心。

「あ、でもあれからは…後で話そうか愛梨?」

「どうして?」

「母ちゃんがいると話が変な方向に行くから!」

 樹里が口を開く。

「そう?事実だけど?」

 一心が口を開く。

「…後でゆっくり二人で話そう」

 愛梨が一心の目を見て口を開く。

「後でってどこで?」

「え、部屋で…だってその…今日は泊まるんでしょ愛梨…」(今度ったらしようね、今度会ったらしようね)

「え?やだ!」

 愛梨が一心を見て恐怖で怯えたような表情をしている。

「え?」(やだって…俺の事?)

「いっちゃん、鼻から血が出てるよ…キモイ」

「キモイ…?」(やばい興奮がばれた…)

「シン、あんたもしかして変な事を考えてたんじゃないの?」

 首を振る一心。すると愛梨がいたずらに微笑みながら口を開く。

「いっちゃん、私、今日はお母さんと一緒に寝るんだよ!」

「ええええ!」(今度会ったら…今度会ったら…しようね…)

 樹里がそんながっかりした顔の一心を見て呆れながら口を開く。

「馬鹿ねえ…」

「どうせ…バカです…」(もう、女子の言う今度は…信じません…)


 

 その後、愛梨は樹里の寝室で何かを話す訳ではなく布団にただ横になっていた。顔のパックを終えた樹里が電気を消して部屋が暗くなり少しすると、静けさの漂う部屋の中でパトカーのサイレンの音が響いた。そしてそのサイレンの音が遠くなると愛梨が口を開いた。

「お母さん…寝ました?」

「何?愛梨ちゃん」

「あの聞きたいことがあるんですけど」

「何?」

「明日から泊りで1泊2日で秋田に行くのにお母さん私たちのこと二人で行かせて心配じゃないですか?」

「どうして?」

「いや、二人いっきりに…」

「セックスのこと?」

「え?」

「二人を見ていて思ったけど…もし、そういう流れになっても別に問題があるとは思えないし、私がとやかく言うことじゃないわ。中学生じゃあるまいしない…いいんじゃない?」

「その…男と女のセックスってどんな意味があると思います?」

「はっははは、突然の直球ね」

「男が思うセックスと女が感じるセックスには違いがるけど、どちらにせよ愛のない衝動的なセックスに所詮意味なんかないのは間違いないわね…」

「…あの、その…愛があるセックスと、衝動的なセックスは違うんでしょうか?」

「性欲にまみれた、はけ口としての衝動的なセックスと、愛のあるセックスは当然違うと私は思う。セックスが衝動的に行われるのは、ただ単に男も女のも自分の欲求を満たしたいだけで、そこに愛は存在しない…私はそう思うけど」

「…衝動的なセックスですか…」

「でもね、そんなセックスに意味なんかないの…そういう行きずりって女性が軽視されがちだけどそれは違うと思うの」

「衝動的なセックスにおいて男性はおとがめなし…ですか…」

「そう、世間一般的にはね…でもだからと言ってお互いの関係性が薄くてもセックスを受け入れてしまった女性はバカなのか?私はそんなことはないと思う。女性だって気の向いた時に正しくないセックスと分かっていてもしたくなる気持ち、あると思うの。でも世間はそうは見ないわよね。大人はみんな本性を隠すからね。そう思っていても他人の目を気にしてそんな問題から目を背ける」

「聞きずらいんですけど…その日だけっていうか…経験ありますか?」

「あるわよ、これでも40年生きてるからね…大人って馬鹿なのよ。愚かで軽率で不器用で嘘つき」

「…愛のあるセックスってどんな感じですか?」

「そうね、やっぱりセックスは愛があるセックスの方が断然いいわ!愛あるセックスは奥が深くて、ある種のトランス状態みたいでそこから抜け出せなくなるような感覚かなあ… お互いが足りない部分を補って、そして感じたまま、思いのままに触れ合う。そうすることで語らずとも相手の気持ちの奥を、魂を感じるっていうか…でもね、もしかしたらその奥にある部分が愛だと女性は信じたいのかも知れないけどね」

「奥にある部分ですか?」

「そう、奥の部分、つまり女性にとって愛があるセックスは特別って思うのはほとんどの場合は「奥で愛情を感じたい」と思うからなのかもね」

「セックスで愛情確認するんですか?」

「まあ、そういうことね」

「私はまだ、セックスの正体を理解できませんが…いっちゃんといると、時にはただ話しているだけなのに体が熱くなって、導かれた言葉に胸が高鳴って、心臓の音が目覚まし時計の様にドンドン大きくなって…瞳を見つめあって、体を寄せ合っただけで体温がや優しを感じて幸せな気持ちになって、そうしているうちに愛おしさだけで胸が押しつぶされそうになって、苦しくて、切なくって、愛おしくって、時は悲しくて、そしていつしか自分が信じている幸せが変わらず…永遠に…それが永遠に続くのかな…って考えるようになって…」

「繋ぎ留めたい絆…愛され続けたいからセックスをするってこと?」

「そこは…」

「恥ずかしがることじゃないわ。愛するがゆえに抱かれたい…普段、女性は自分からセックスしたいと男性相手に口に出すことはあまりないけど「好きな人に抱かれたい」と思うのは恥ずかしいことではないと思う。だからこそセックスに対する考え方は「こうあるべき」だと決めつけないほうがいいと思うの。食べ物の好みや、そう簡単に言うとカレーライスの食べ方が国によって違うように、考え方や方法はその国、そして個人個人によって違うのと同じようにね…」

「愛の不可解の方程式はやっかいですね」

「解けたらノーベル恋愛賞ものね」(そうなのよね~って実際、私も答えが分からなくて離婚したんだけど…どう言えばいいのかしら…そうね例えば…)

(愛梨ちゃん…)

(はい)

(セックスしたら?)

(…本気ですか?)

(流れに任せなよ。女の子なんだから)

(…こんな流れになるかな?うちの馬鹿、息子…ついにそんな年齢になったか…セックスか…しばらくしてないけど…息子には特別講習しないとな…)

「お母さん…聞いてます?…何ぶつぶつ独り言ってるんですか?」

「え、聞こえてた?」

「いいえ…何を言ってるのかは分かりませんでしたけど…」(少しだけ聞こえたけど…言えない…)

「ははは、明日の朝ご飯は何を作ろうかなって…」

「朝ご飯…ですか?」

「そう、しゃけと、目玉焼き、お味噌汁、それから…」

「お母さん…、今日はこうやってね寝てもいいですか?」

 愛梨はそういうと樹里の腕に自分の手を巻き付けて子供の様に甘えて胸に顔をうずめた。

「いいわよ」(この子は本当にいい子…)



 翌朝、愛梨は出発前にコンビニ行くため家の外に一時的に出た。一心の家からコンビニは7,8分ぐらいのところにあり、樹里が一心に伝えたいことを説明するには丁度いい時間だった。

「私、ちょっと先にコンビニ行って歯ブラシセット買ってきます」

「…あ、俺は遠征とかよくあるから持ってる…歯ブラシセット…」(今日、愛梨と宿泊…今度会ったらしようね…やばいどうしよう…)

「シン、昨日のクリームシチューどうだった?」

「…」(今度会ったらしようね…)

玄関に口に呆然と立つ一心に話しかける樹里。

「聞いているの!馬鹿息子!」

「え?何…何か言った?」

「…なにボっとしてるのよ!昨日のクリームシチューどうだった?」

「なんかいつもより、コクがあって上手かったよ」

「そうよね、彼女がベシャメルソースから作ったのよ」

「ベシャベシャソース?」

「馬鹿シン…まあ、いいわ。あなたね覚えておきなさい。ベシャメルソースっていうのは普通のクリームシチューを作るより、何倍も大変なの」

 樹里の話を集中して聞く事が出来ない一心。

「分かった」(今度会ったらしようね…)

「分かったじゃないわよ!馬鹿シン!」

「何だよ、何が言いたいんだよ!」

「料理はね、その人に対する愛情の深さなのよ」(我ながら名言ね…)

「ん?意味不…なんですけど」(ばあさん…うるせんだよ!こっちは今日の夜のことで頭がいっぱいなんですけど!)

「それこそ今の時代は便利なものでコンビに行って、惣菜を買ったり、冷凍食品をレンジでチンしたりして時間は短縮できるけど、手作りには叶わない…何でかわかる?そこに愛があるから…昨日のクリームシチュー、全部あなたのために何時間もかけて丁寧に仕込んで作ったのよ。つまり、あなたはそれだけ深く愛梨ちゃんに愛されてるの。だから責任を持ちなさい。何に対しても責任を持つのよ!」

「…珍しく胸に響くな…母ちゃん…で本題は何?」

「馬鹿」(こいつ…マジで爬虫類ほどの脳みそ入ってないな…)

「早く、彼氏できるといいな。また間違えてナンパされたりしてな」

「余計なお世話よ!」

 樹里はそういい終えると、一心の耳を強引に掴んでリビングのソファーまで引きずり込んだ。

「イタ!」

「馬鹿息子!ちょっと来なさい!」

 お互いに向き合うようにして席に着く、一心と樹里。

「何だよ!馬鹿が余計だろ!」

「ホラ!」

 樹里がポーチからコンドームを出してテーブルに置いた。そのテーブルに乗っているコンドームを不思議そうに見ている一心。

「何?」

「もし、そうなったら使うのよ!」

「はい?」

「いい、必ず使いなさいよ!」

「え?」

「最初は下手でも、一生懸命、気持ちを込めてすれば大丈夫だから!」

 その言葉が出た後でお互いが目の前にいる相手から目線をそらした。

「かあちゃん、何かキモイ…」

「私だって同じよ!でもねあんないい子いないわよ!もし、流れでそうなったら…」

「流れでそうなったら?」

「あんたは、ムクドリか、フクロウなの?さっきから何よ!人事みたいに!一大事なのよ!女子にとって最初の人っていうのは!」

 一生懸命に何かを伝えようとする樹里に対して一心は得意の天然発言をしてしまう。

「…母ちゃん…フクロウとムクドリに罪はないんじゃねえ?」

「…この馬鹿、爬虫類!」

「声…デカくない?」

「…やだ、私ったら…いい、それと、ことが終わってから急にそっぽ向いたり、背中を見せて寝たりしたらナイアガラの滝に墜ちて死んだと思いなさい!それで女は興ざめだからね!優しく、優しくするのよ!」

 樹里がそういった瞬間、玄関の扉が開いた音がした。しかし話に集中している二人はそれに全く気が付いていない。愛梨は何やらまた「神木家の戦い」が始まっているのだと思い、巻き込まれないように忍び足で廊下を進むとリビングの前で聞き耳を立て聞いていた。

「…でさあ…肝心なことだけど…これっていつ、どのタイミングで装着するの?」

 少し恥ずかしそうな顔をする一心と樹里。

「装着?…仮面ライダーに変身するんじゃないわけよ!馬鹿!」

「何だよ、女王馬鹿!」

「それはねえ、ネット調べなさい!」

「変身の仕方がネットで書いてあるのかよ!」

「だから、月光仮面じゃねえって言ってるだろ!馬鹿息子!」

「肝心なところ言わねえでオブラートに包まれてもわかんねえじゃん!」

「ばっかじゃないの!あんた!そんなの母親に聞くもんじゃないでしょ!デリカシーがないのよ!バカ息子!」

「コンドームいきなり渡されたこっちの身になって話せよ!馬鹿女王蜂!」

「…ほんと、生意気になったわね!このクソガキ!」

「ほんと、更年期障害じゃねえの!この糞ババア!」

 お互いに睨み合ったまま息を切らす。

「ハア、ハア 、ハア、ハア」

そして出発の時間が近ずき、恐る恐る愛梨がドアを開け声をかけた。

「あのー」

 物凄く驚く樹里と一心。そして樹里が先に口を開く。

「あら、愛梨ちゃん…何時からそこに?」

「その…あの…コ…コンドームを…装着…どうとか…こう…とか…話しているときに…」

 お互いに顔を合わせる一心と樹里。

「え?」

 樹里が口を開く。

「馬鹿シンがデリカ―シーのかけらもないこと言ってるときね!」

「…結局、俺のせいかよ!…まあいいけどさ…で、どうやって装着して変身するんだよ!」

 激しさが増す樹里の声。

「何回も言ってるだろ!馬鹿息子!お客様の前で言うことじゃねんだよ!」

 すると愛梨がまた冷静に口を開く。

「…お母さん」

「何?愛梨ちゃん」

 時計を見る愛梨。

「…そろそろ時間なんですけど…」

「あら、うちの馬鹿シンがうるさくてね…今、殺虫剤で駆除するからね!」

「ゴキブリじゃねえし!」

 愛梨が口を開く。

「あの…お母さん、駅まで一緒に行きませんか?」

 樹里は愛梨のそんな気づかいがうれしかった。思わずホットした顔をする樹里。

「え、うん…私はここでいいの…」(ごめんね、私はあの日以来…楽しいことも悲しいことも両方苦手で…)

そしてその後、一心と愛梨は秋田に向かった…



1月3日 夕方  


秋田駅に直通しているホテルの中にある高級中華料理店の個室~


 平穏な親子の再開。そして愛梨のアメリカ行きの祝い事となると思っていたが、二人は出会った瞬間から言い合いが止まらなかった。そう「神木家の戦い」が幕を閉じて今度は「三島家の戦い」が始まっていた。一心はそれを黙って見ていた。黙ってみていた反面、父親のいない一心は羨ましいとも思っていた…


「仕事はどう?!ガードマンの仕事始めたって言ってたよね」

 ばつが悪そうな顔をする愛梨の父 三島 幸弘。

「辞めたよ」

「いつ?」

「昨日」

「何でよ!」

「現場にヤな奴がいてよ、気が合わねんだよ!」

「努力するって言ったじゃない!」

「言ったな」

「じゃあどうして辞めたのよ!」

 他人行儀な返事をする幸弘。

「さあな」

 気まずいい雰囲気の中、一心が口を開く。

「愛梨…まあ、少しボリューム下げて…乾杯しようか、えっと、ああ店員さん、僕たちはウーロン茶、お父さんがウーロンハイ?でしたよね」

 そして、少しの間、無言の状態が続くとやる気のない店員がドリンクをテーブルに運で来た。一心が改めて、幸弘の顔を見て乾杯しようとする。気の利かない店員はテーブルにドリンクを置く前に、何やら言っていたが日本語が上手く話せないのか、よく聞き取れない一心は、適当にうなずいた。そしてその後、とりあえず乾杯するが愛梨の興奮は収まらなかった。

「直ぐに仕事を辞めることが答えなの!」

「酒がまずくなるな…」

 そう言った後、一心と乾杯すると一気飲みする幸弘。一心も付き合いと思いウーロン茶を一気に飲み干した。

「…」(何だこのウーロン茶…腐ってるの?)

 怪訝な表情をしている一心に幸弘が話しかける。

「今度、大人になったら本物を飲むか?」

 幸弘が笑顔でそういいうと一心が口を開いた。

「そうですね」

「お前、名前は?」

「僕は…」

一心が自分の名前を言おうとすると愛梨がテーブルにバチンと手をついて口を開く。

「…私だって…そんなのしょちゅうよ!少しぐらい嫌な事があっても我慢しなさいよ!どうしてそれが出来ないの?約束したじゃない!頑張るって!」

「努力するとは言った覚えがあるな!」

 そういった後で店員を呼ぶ幸弘。

「あのさ、ウーロンハイとウーロン茶なんだけど、もっと濃いめで作ってくれる?」

 やる気のない店員が適当な感じで口を開く。

「ハオダ…」

「…ハオダ?」(大丈夫かよ、この店の店員)

 愛梨は相変わらず眉間にしわを寄せている。

「努力なんか、これっぽっちもしてないじゃない!」

「うるせいな…やる気はあるんだよ!」

「やる気がって、少し嫌な事があったら辞めるってどういうことよ!」

「俺の話はいいだろ!」

「私、アメリカに行くから…仕送りなんてもうしないからね!」

「好きにしろ!別にお前の金がなくても生きていくぐらいできる!」

 愛梨がそういうと、頼んでいた料理とドリンクがテーブルに運ばれてきた。そして幸弘が口を開く。

「そんなことより、飯がまずくなる他の話にしよう。仕事のことはどうでもいいだろ」

 幸弘はまた一心と乾杯すると直ぐにグラスを空けようとする。一心もそれに付き合う。

「なんだか、今日はいくらでも飲めそうだな…で、お前…うちの娘とはどう関係だ!」

「そう言い方やめてよね、いっちゃん名前が有るんだから!」

「いや、その…お付き合いしてます…」(やべえ、緊張してるのかな…飲み物を飲んだのにのどか湧くわ…なんか体も熱くなってきたし…)

「どこまでしたんだ?」

 幸弘が一心をヒグマがスナイパーから小熊を守るように真っ直ぐに見つめている。微動だに動く事が出来ない一心。

「はい?」

「何の話か…分かるだろ?」

「その…あっちはまだです…」(したいけど…できてません…なんて言ったら殺されそうだな)

「あっち?」

「そのキスまでしかしてません…」

 一心がそういい終わると、突然、幸弘がテーブルを叩きながら立ち上がり一心を睨み付けた。

「何だと貴様!うちの娘とキスをしただと!殺してやる!」

 一心の首を絞めようとする幸弘。それに大声で反応する愛梨。

「やめて、たいしたことでもないのに大騒ぎしないで!たかがキスじゃない!キスが何よ!もう何回やったかわからないわよ…」

 愛梨がそういうと幸弘は顔を真っ赤にして今にも血管が切れそうなほどの大きな声で叫んだ。

「何回…も…たかがキスじゃないだろ!お前は俺の娘だ!」

「それが何よ!そう、私は貴方の娘…でもね!こっちは好き好んでこんな家に生まれた訳じゃないのよ!」

「もう一回言ってみろ!お前は俺のッ精子があって誕生したんじゃねえか!」

「人前で…もういい、ここに来たのが間違いだった…」

 幸弘も負けじと言い返した。

「俺もそうだよ!」

「…うんざりなのよ!毎回、毎回、仕事を変えては引っ越したり…そんなことの繰り返し、私が東京に行ってから…麻痺もリハビリでよくなって片足が少し動かないだけじゃない!なのに…いつも少しすると直ぐに仕事を辞めて、お金が足りなくなると電話してきて!いったい私の何なのよ!」

「お前のアイドルとしての成功はそんな経験をバネにしたからじゃないのか!」

「都合のいいように解釈しないで!普通の親は子供の幸せを一番に考える…何でパパはいっつも自分勝手なのよ!いっちゃんのお母さんだって女で一人で一ちゃんを育て上げて…私の話も聞いてくれて…あんたなんて早く死ねばいいのよ!」

「何だと!」

「私、帰る!」

「…愛梨?」

 涙をため込み席を離れて立ち去る愛梨。一心は追いかけようか迷うが、遠くには行かないだろうと思って、一度立ち上がるが座って席に残った。テーブルに残された一心と幸弘。幸弘は寂しい顔をしながらテーブルにある料理に手を付け、少しすると目に涙をため込みながら口を開いた。

「こう見えてもな、娘に嫌われたくないって常に思ってるんだ…駄目な父親だっていうのもわかっている…でも片方で父親という立場が当たり前と感じて…つい頼ってしまう自分がいる…俺は弱い人間だ…愛梨のそんな優しさに付け込んで俺は永遠に娘に愛されているんだって思いこんでしまっている…」

 幸弘のそんなどうしよう無かったような状況に自分の父親を重ねてしまう一心。(一心の父親は仮想通過の取引で大きな損害を出してその後、蒸発していた)

「お父さん…」

「…あいつがこん小さな時は常にパパ、パパって俺が必要で…俺の傍から離れようとしなかった…愛梨の一番の男は俺だった…おまえじゃない!」

「はい…」

「…なのにこれからアメリカに行く娘を力いっぱい抱きしめることすらできない…」

「…素直にそう言えばいいんじゃないですですか?」(俺はこんな綺麗ごとが言えるのは自分の親じゃないからかな…父さんは今何をしてるんだろう…)

 一心は秋田に来る前に聞いていた幸弘と、実物の幸弘とのギャップに驚いていた。話を聞いている限りではギャンブルに依存している父親ということでヨレヨレの服に汚い格好で来ると思っていた。しかし会ってみるとその日の幸弘はサイドベンツのスーツをしっかりと着こなし、新品のシャツを着ていて、外見だけ見ると普通のサラーマンと見間違えるほどだった。

「飲みすぎたかな…」

 幸弘がそう言うと電話が鳴った。そしてその電話のやり取りを2,3分すると幸弘がスッとテーブル席から立ち上がった。

「仕事に行く」

「もうお酒も飲んでますし…それに辞めたんじゃないんですか?」

「人が足りないらしい。俺がやってる仕事っていうのは、そういう仕事なんだ。会社は数さえ合えば誰でもいいんだろ…気晴らしに交通整理してくる」

「お父さん…あ、でもお酒を…」

 一心は少し、心配になりどのくらい強い酒を飲んでいるのか確認しようとして少しだけ幸弘のグラスに口をつけた。

「…ん」(あれ、こっちのウールロン茶はいつも飲んでるやつだ…美味いな、俺が飲んでるのは苦いっていうか、きつい味がしたな…賞味期限が切れてんじゃねえの?)

幸弘が口を開く。

「会計はしておく」

 そう背を向けて言う幸弘の正面に回ると一心は口を開いた。

「僕は愛梨を愛しています…だから心配しないでください!」

「突然何だ?」

 驚いた幸弘。そして一心が口を開く。

「愛梨と…愛梨と向き合うのを恐れないでください…」

「泣かせるなよ…そうだ、これを預かってくれないか?」

「はい?」

 幸弘は一枚の写真を一心に渡した。写真は愛梨が3,4歳の頃だと思われる写真だった。写真を見ると愛梨は幸弘の首に絡みつき頬にキスをしていた。そして写真には愛梨が手書きで書いたと思われるハートマークに文字が書かれていた

「世界で一番、パパが好き!」

 その写真を一心に渡しながら幸弘は懐かしむようにして口を開いた。

「…昔は愛梨が可愛くて、親戚中に自慢するために写真を撮って撮って取りまくった。でも、今、気が付いた…実はそれが他人に見せるための物じゃなくて将来の自分に見せるためのものだって…この写真が俺の希望であり光だった…リハビリ中はこの写真を見ながら…」

「お父さん…」

「あいつによろしくな」

「お父さん…もう、愛梨に会わないんですか?」

 一心がそう言うと幸弘が悔しそうな顔をして口を開く。

「…俺が愛梨に教えられることは何もない」

「一緒にいるだけで、いいんじゃないですか!」

 それを聞いた幸弘が微笑みながら口を開く。

「テーブルの下にバスケットボールがあったけどいつも持ち歩いてるって噂…本当だったんだな」

「え、あ…すみません…肌身離さず持ってると落ち着くんです。って何で知ってるんですか?」

「面白い男だな…神木 一心」

「…僕のことを?」

「君は地元ではそこら辺の芸能人より有名だよ。なんといっても我が秋田県が誇る司令塔だがらね。君なら…愛梨を任せられる」

 一心は幸弘に静かな口調で落ち着きを払いながら口を開いた。

「ありがとうございます…お父さん、今日の現場の場所は何処なんですか?教えてください」


 

 その後、一心は愛梨がいるとラインで知らせてきた千秋公園に急いで向かった。椅子に腰かけ夜空を見上げる愛梨のその姿は肉体という実態がない魂の抜けたピノキオの様だった。そして自らの存在を消し去ろうとしているその姿は届きそうで届か居ない、対岸に咲く花の様だった。

 息を切らせ、そんな愛梨の前に立つ一心。それにに対して夜の海に放り出された様な闇を抱えるようにして口を開く愛梨。

「いっちゃん…ごめんね今日は…」

 愛梨は一心の目を見ようとしなかった。そんな愛梨を諭すように一心が口を開く。

「愛梨…謝る人が違うんじゃないの?」

「え?」

 驚く愛梨に対して、一心は座っている愛梨と目線を合わせるためにしゃがみ込み、愛梨の目を見ながら、心から思いを伝えるようにして口を開いた。

「お父さんと会っているときの愛梨は自分のことを主張するばっかりで…まるで自分勝手だったよ」

 一心の優しい表情とは裏腹に厳しい言葉が愛梨の胸に突き刺さる。

「え?」

「愛梨のやっていることは、世界中で蔓延している人種差別と同じだよ 」

「いっちゃんは…私が人種差別している人間とあのクズに対する態度が同じだっていうの?」

「そうだよ」

 愛梨が徐々に自分自身の興奮を抑えきれなくなってきていた。

「何よ、どこが差別よ!いちゃんはいったい誰の味方なの!どうして!」

「勿論、愛梨の味方に決まってるじゃないか?」(だからこそだよ、愛梨)

「ああ!頭にくる!私は仕事っだって頑張ってるし、仕送りだってしてるし、こんなに頑張っているのに!どうして、どうどうして、どうして!いっちゃんまで…今日あったばかりのクズの肩を持つの!いったい何んなのよ!」

 愛梨が声を荒げても一心は同じトーンのまま冷静に話した。

「愛梨は、何にしに秋田に来たの?お父さんへの復讐?それとも俺を紹介するため?

純粋な気持ち、愛梨は秋田に何をしに来たの?そして何故、来ようと思ったの?」

 座っていた椅子から立ち上がり一心に背を向ける愛梨。

「私は、アメリカに行く前にあのクズが心配で…それといっちゃんを見せたかった…」

「本当にそうなの?」

「どういう意味?」

 そういうと、振り返り一心を睨み付ける愛梨。一心は相変わらず落ち着いた口調で話す。

「僕には経済的に余裕ができた愛梨がお父さんのことを自分より劣っていると…そう見せつけるために来たようにしか思えない…」

 一心に核心をつかれて頭に血が上った愛梨が興奮しながら口を開く。

「それが何!違う!違うわよ!…ギャンブルしたり、仕事も辞めて人生をあきらめて、あいつはクズよ!全部アイツのせいで、お母さんもいなくなったのよ!」

 愛梨がそういい終わると、一心は一歩、踏み込み愛梨の方に近寄って愛梨の腕をつかむと声を荒げた。

「愛梨のお父さんは何も諦めてなんかいない!」

「え?」

 一心は静かに語り始めるが徐々に声が大きくなった。

「家族、人生、仕事、全部、事実を歪めているのは愛梨だろ!」

「…な、なによ…そ、そ…そんなにはっきり否定されたら私はどうすればいいのよ!大体、家族のことをいっちゃんに関係ないでしょ!」

「関係あるよ!」

「ないわよ!」

「僕は愛梨と結婚するつもりだから!」

「え、結婚?」(プ…プロポーズ?)

「親子関係ってさ、お互いに結論や結果、正しい答えを即答で求めるが故に白黒つけたがるけど…もっと緩くていいんじゃないかな。人の意見なんて結果的に社会的地位や、お金に左右されることが多くて、その導きだした答えが絶対的に正しいなんて、誰も分からないんじゃないかな…俺は愛梨のお父さんが嫌いじゃないよ。愛梨だって本当はそうなんじゃない?」

 それを聞いた後で大きく取り乱す愛梨。

「嫌い!嫌い!もういっちゃんも嫌い!大、大、大、大っ嫌い!」

「好きと嫌いは紙一重か…愛梨はさ、存在すら無視できるほどお父さんが憎い?」

「それは…」

「愛梨は、甘えてるんだよきっと…どこかで昔のいい時だったお父さんが忘れられなくて…」

「そ、そんなことない!あんなクズ!」

「愛梨…今日のお父さんの服装を見て気が付いた?」

「服装?」

「新しいスーツだよ」

「そういえば…」

「きっと新しい服を着ていたのって自分の為めじゃないと思うよ。あのスーツさ、型崩れしないように留めている糸が付いたままだった。普段は着ないんだろうね…でも愛梨に恥をかかせたくない、そう思ってきっと何日も前にスーツを買ってこの日のために楽しみにしてたんじゃないのかな…この写真を見ながら…」

 一心は幸弘から預かった愛梨の小さい時の写真を見せる。

(世界で一番、パパが好き!)愛梨はその写真を見ると胸が引き裂かれそうなほど苦しくなり、眼頭に涙をため込んだ。

「お父さん…どうしよう、どうしよう…いっちゃん…ねえ、どうすればいい私!」

「どうもしなくて大丈夫だよ、落ち着いて」

「…今更、行けない…どんな顔して行けばいいか…」

「ハリウッド…行くんだろ。演じればいいじゃん。一言、伝えればいいんじゃないの?」(本当は演技なんかしてないんだろうけどね)

「だけど…今日はちょっと…」

「向き合うのが怖くて逃げ出すの?」

「…そ、そうじゃなくて」

「ぶつかってもいい、傷ついてもいい、でも逃げちゃだめだよ。とことん自分の気持ちを伝えればいいんじゃない?」

「私の気持ち…」(やだ…私の胸の目覚まし時計が鳴り始めた…ドクン、ドクン、ドクン、ドクン…)

「後で後悔して過去を悔やむのなんて愛梨らしくないよ」

「…バカ!」(また好きになったじゃない!もう止まらない!やだ!ドクン、ドクン、ドク)

「え?俺?」

 愛梨は大げさに両手を広げ叫んだ。

「傷ついた!私ねえ!こーんなに傷ついたよ!いっちゃんの馬鹿!沢山、沢山、傷ついた!馬鹿!馬鹿!全部、いっちゃんのせいだよ!」(ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、どうしよう…)

 大きく開いた愛梨の両腕を包み込むようにして抱きしめる一心。

「そうだね。ごめんね…愛梨」(愛梨、僕はいつも愛梨の味方だよ)

「…」(やだ…胸がキュン、キュンしいて目を見れない…)

 そんな愛梨には一心の声がいつもより渋くカッコよく聞こえる。それはまるで正義の味方が一般市民を助けるためにカッコよく登場するシーンの様だった。そんな愛梨の勝手な妄想が現在進行形の一心と交差して訳が分からなくなる愛梨。

「行こうか?」

 眩しく光る一心の横顔に心がフワッとする愛梨。

「え…」(え、何、行くってどこに?まさか…つ…ついに私たち…)

「お父さんの所に!」 

「え、うん」(そ、そうだよね…いっちゃんママ…私、恥ずかしいです…)

 その後、一心は愛梨の手をほどけない紐を結ぶようにがっちりと掴むと走り出した。




 その頃、幸弘は下水工事の現場で道路の交通整理の仕事をしていた。一心と愛梨が付いた時、幸弘は脳梗塞で倒れた時に残った後遺症の左足を引きずりながらも一生懸命、誘導棒を振りながら交通整理をしたり、保安を治したりしていた。そんな幸弘の働く姿を二人は少しの間、距離を置きながら見ていた。

「行こうか?」

「うん」

 愛梨と一心が傍に近寄ろうとすると、幸弘に向かって保安から出ようとしているトラックの運転手が大声で叫んだ。

「邪魔だ!クソ爺!っこの馬鹿野郎!早く開けろ!」

「…ひどい」

 そんな理不尽な行動を見ていた愛梨が珍しく眉間にしわを寄せるとそのトラックの運転手に向かって歩いて行こうとしていた。それに気が付いた一心が止める。

「愛梨、君は有名人なんだから」

「いっちゃん…」

「任せて!」

 一心はそういうと愛梨の手を掴んで抑えた後で、工事現場に向かって小走りで走っていった。

すると、一心は背負っていたリュックに入っていたバスケットボールをそのトラックに向けて投げた。言い合いをしている幸弘とトラックの間にボールが通り過ぎると現場の監督らしき人がキャッチする。

「すみません…ちょっと手元がくるって」

 驚いた表情の現場監督。

「…!」

「近所なんですけど、物凄い大きな声がして…喧嘩ですか?」

 幸弘が口を開く。

「お前…」

 すると愛梨が走って現場に向かってきた。それを見て幸弘は愛梨の方に向かって走り出す。現場に残され、トラックの運転手に睨まれて異様な雰囲気になる現場。

「…あれ?」(もうちょっと違う展開だと思ったんだけど…逃げればいいか?)

 一心はそういうと愛梨と幸弘の方を見て微笑んだ。すると現場の監督が声をかけた。

「おい!」

「…はい、もう僕、帰ります~」(こえ~)

「まんつ、んがだば、…神木 一心だべしゃ!」(おい、お前は…神木 一心だろ!)

「はい?」(誰この人?)

「まちがえねえ!まんつんだいば!」(間違いない!こいつそうだよ!)

「えっと?誰?」

「ばがいうでねえ、んがさっけ秋田じゃ芸能人より有名人だべしゃ!」

 現場監督もトラックの運転手も一心をまじまじと見た後、仕事を一時的に放り出して一緒に写真を撮り始めて大騒ぎしていた。そんな記念撮影に苦笑いしながら答える一心。

「あっははっはは…」(汗臭いんですけど…あ、愛梨、上手く話しているかな?)


 その頃、愛梨と、幸弘は現場から少し離れた反対側の路地にいた。暗闇の中、街灯がついたり消えたりする中で再開する愛梨と幸弘。

「愛梨…」

「お父さん…大好き」

 愛梨が幸弘に抱き着く。しっかりと背中に手を回して愛梨を温かい気持ちで抱きしめる幸弘。幸弘が口を開く。

「あの頃に戻ったみたいだ…」

 頷きながら愛梨が口を開く。

「ごめんね、お父さん」

 首を左右に振る仕草をする幸弘。

「愛梨…俺は弱い…そのせいで、お前に色々嫌な思いや苦労をさせて…すまない…」

「私、また遠くに行くの…」

「どんなに離れていても、どこに行っても、何をしていようとも、お前は俺の娘だ…」

「…うん」

 愛梨と幸弘は少しの間そうやってお互いの思いを感じ取るようにして抱きしめ合っていた。

 

 その後、工事現場の人達も一心の親戚と紹介された幸弘を優しく向かい入れてくれた。それを確認すると安心した一心と愛梨はタクシーを呼びホテルに戻った。そしてそのタクシーに乗る頃、自分が有名人だと勘違いしたのかせいなのか一心のテンションは頂点に達していた。そんな一心を見て愛梨は首をかしげていた。

「運転手さ~ん!いっちぇって~!GO、GO!」

「いっちゃん?」(なんか怖い…いつもと違うんですけど…変な薬でもやってるの?)


 

 数十分後、ホテルの部屋に戻ると、何故か足元が少しふらつている一心は愛梨の肩を借りながらベットの方に向かって行った。すると千鳥足の一心の短い脚が、愛梨の長い脚に絡まって愛梨が一心にベッドに押し倒された様な形になる。

「…キャ!」(え、うそ…もう…シャワーとか浴びてないけど…)

「はにゃふにゃ…」(あれ、ろれつが回らない…)

 愛梨は背中越しに一心の体温を感じ、一心は愛梨の背中にうつぶせになるような形で二人はベッドに横たわっていた。その状況に愛梨は動揺しながらも何をしていいのかわからずとりあえず口を開いた。しかし、その口調は緊張と戸惑いでしどろもどろしていた。

「い、いい、い、いっちゃんのお母さんが言うにはね…愛がないセックスは人間にとってたいした意味があることじゃないって…」(やだ…私ったら何言ってるの?)

「ええ、うん」(やばいな…これ…クラクラする…)

「でもね、愛があるセックスには意味があるんだって」(私…シャ、シャワー浴びたい…)

「うん」(気持ち悪い…吐きそうだ…)

 背中にのしかかる、愛梨の体が一心の胸を押しつぶす。

「何でだと思う?」(それに…この体制…苦しい…ちょっとリードしてよ!)

「さあ」(あれ?俺の見える世界が明るいような暗いような…)

「愛のあるセックスをすると心と心が通じ合ってその人の色々な事が見えるんだって」(もう、胸が苦しいんですけど!)

「へえ」(あ!あの店員がもしかしてウーロン杯と、ウールロン茶…間違えたのか!)

「いっちゃん、いっちゃんが望む愛の形は何?」(どうして、私の方が積極的なのよ!)

「形?」(そういえば部屋がグルグル回っているような…)

「最初の夜を覚えている?」(次は何を話そう…)

「うん」(お酒って…未知の世界…)

「私たち…永遠に続くかな?」(やだ…言ってる自分が恥ずかしい)

「うー」(うーなんか気持ち悪い)

「私たち…してみる」(言っちゃった…)

「あの…やろう…」(あの店員…なんかボケっとしてたもんな…気が気かねんだよ!)

「え、何?やる?」(いま…やるって…そう聞こえたけど…気のせい?)

「ヒックション」(あれ、気持ちよくなってきた…駄目だ…寝るべ)

「いま、いっちゃん…セックスって言ったの…し…したいなら…その」(もう、結構大胆なんだから…)

 覚悟を決めた愛梨は目を閉じて一心が愛梨に触れるのを待った。

(どうしよう…でも私はとりあえず目をつぶって…それからどうしたらいいんだろう…いっちゃんのお母さん、何か言ってたっけ?あ、そうだ…ゴム、ゴム付けなさいっていっちゃんに言っていた…どうしよう目を開けるの緊張して出来ない…」

「いっちゃん…コ…コン…」(勇気を出して言わないとね!)

 愛梨がそう言いかけると一心のいびきが愛梨の耳元で聞こえる。

「グゴー!グゴー!フー…グゴー!グゴー!」

「え?まさか…なに?寝たの?…いっちゃん…いっちゃん」

 愛梨の声が部屋に木霊した後で、一心の大きな大きないびきが部屋に響き渡る。

愛梨は起き上がり一心をはねのけるとベットの横に仁王立ちして一心を見た。

「…ちょっとやだ…酒臭い…未成年は飲酒禁止なんですけど!」

 そうとも知らずに一心は大きな、鼾を掻きながら気持ちよさそうに寝ていていた。

「愛梨…僕に任せて…むにゃむみゃ…」

 頭に血が上った愛梨はとっさにポーチから口紅を取り出し一心のおでこに

「不発弾!」と落書きをした。

「…もう、感じな時に!」

 しかしその後、愛梨は一心の体に布団をかぶせるとアマゾン川を駆け抜け楽しそうに羽ばたくアドニスモルフォ(アマゾン川に生息するチョウ)の様な美しい造形美で微笑んだ。そして一心の寝顔を見て癒される自分に満足するように隣で横になりながら一晩中、飽きることなく見ていた…そしてその経験は、愛梨にとって、色々な意味で忘れられない夜になった…


2020年 1月4日~


 東京駅、八重洲口改札通路付近。一心は愛梨を待つ車まで送るためにまるでボディーガードをするような形で護衛しながら愛梨と一緒に歩いていた。一心が口を開く。

「なんかさっきから見られてる気がするんだよね」

「私、有名人だからね」

 そう言った後でイタズラな顔をして微笑む愛梨。

「いや…気のせいかもしれないけど…いや、絶対に違うとは思うけどさ…すれ違う人が俺を変な目で見たり、笑ったりしているような気がするんだよ!」

 愛梨は出来心で一心のオデコに落書きをしたが、それがかえって二人にとってはいいカモフラージュになった。普通に歩いていればスタイル抜群の愛梨に目が行ってしまうところだが、一心のオデコに書かれた文字は行き交う人々の注目を愛梨以上に浴びていた。

「やっぱり、あの報道で俺が恋人ってバレたからかな?」

「勘違いじゃない?そこまで有名人ではないでしょいっちゃんは…それとも…モテたいの?私という国宝級の美女がいるのに!」

「ないです」

 一心がきっぱりとした口調でそういうと愛梨が口を開いた。

「いっちゃん、写真撮ろうか!」

「え、ここで?なんかみんな見てるよ?愛梨…バレたら大変じゃない?」

「大丈夫、私には頼もしい爆弾処理班もついているから!」

 愛梨の意味深な言葉に不思議な顔をする一心。

「爆弾…処理班ですか?」

 愛梨と一心は改札を丁度、出た所で一緒に顔を寄せながら写真を撮った。写真をスマホで撮った愛梨は確認すると満足げに微笑んだ。一心と、愛梨の写真に映り込んだ人々が怪訝な表情でこちらを見ている姿が何故かたまらなくツボにはまっていた。そんな写真を見て大笑いする愛梨。

「きゃははは、可愛い」

「え、どんな感じ?」

「だめ!見せない!」

「え、なんで?」

「私の初めての思い出だから!」

「…思い出…ねえ?」

 二人がそんな話をしながら改札口を出ると車が待つ路地に着いた。

「じゃあ、ニューヨークに行く前にもう一度ね…」

「うん、遠征から帰るのが10日の夜だから11日か12日の土曜日か日曜日には会えると思う。あ…だけど…」

「何?」

「その…どこかに泊まるなら11日かな…日曜日の夜には秋田に帰らないといけないから」

「いっちゃん…今度は不発しないでよ!」

「え?不発?」

「私は、お世話になっている関係者の人に挨拶したりで15日にニューヨークに出発する予定だから…」

 そう言うと車に乗り込もうとする愛梨。

「愛梨…やっぱ次の時に言うわ」(俺…あの日の事…覚えてないんですけど!)

「何?」(どうせあの話でしょ…)

「うん、いい」(聞けないよな…)

「いっちゃん、大、大、大、大、大好き!それとありがとう!」

 愛梨はそういうと、一心の頬に軽くキスをした。

「え、まあ、その…こちらこそ、ありがとう」(ま、いっか~結果オーライ!発射オーライ!だったような気が…する)

「だから私の気持ち…勘違いしないでね~」

 そう言ってイタズラに微笑むと愛梨を乗せた車が走り出した。一心はその言葉の意味を理解することなく手を振って微笑んでいた…






 その後、一心は合宿のある横浜に向かうため、東京駅から出ている長距離バスに乗って行くことにした。色々な事があって、疲れていたせいもあってか一心はバスに乗ると直ぐに眠気が襲われて、深い眠りについた。そしてその深い眠りの中で夢を見ていた…

 

 愛梨はシャワーを浴びた後でバスタオル1枚でホテルのバスルームから出てきた。すると一心が眠るベッドを見て口を開く愛梨。

「責任…取ってよ?私、初めてだったんだから…」

 物凄く驚いた顔をする一心。

「え?」

 その後、愛梨は移動して化粧台の鏡の前に立ちファンデーションを塗りながら口を開いた。

「気持ち…良かった?」

「え?」(やったのか俺?)

 一心は一度自分の股間を確認する。そんな不審な行動をする一心に対して不満げな顔をする愛梨が口を開く。

「まさか、覚えてないの?」

「え、覚えてるよ当然!」

「ならよかった!私、傷ついちゃう…初めての夜の事、これから先、死ぬまで忘れないでね!」

「…も…もちろんだよ!」

 そんな夢が終わる頃、バスは横浜駅に到着した。一心は目が覚めるとそれが夢だと気が付いたが少しの間、現実との区別がつかずにいた。

「俺…頭が可笑しくなったみたいだ…」



 その後一心は横浜駅から都築区にある横浜国際プールの中にある体育館に向かった。到着するとストレッチをしながら、愛梨の事、中国遠征の事、今後の進路の事、様々なことを真剣に考えている一心に流稀亜が声をかけてきた。

「ねえ、シン…あのさ…」

「何?」

「ちょっと言いずらいんだけど…それってみんなをリラックスさせるために書いてきたの?」

 流稀亜がそう言って心配しているが、すっとんきょんな顔をしている一心。

「何が?」

「気づてないの?…おでこに「不発弾」って書いてあるけど自分で書いたの?」

「え?不発弾?」

 流稀亜からそう言われると一心は体に電気が走るような感覚に陥った。

「そう、真っ赤な字で不発弾!って大きく書いてあるよ」

 流稀亜はそう言うと一心のオデコの写真を撮って一心に見せた。

「え、?えええ!」

 一心はその瞬間、走馬灯のように流れる景色の中で様々なことを思い出していた。そしてやる気のない店員がウーロンハイとウーロン茶を置く際に間違いてテーブル置いてしまい、それを飲んだ自分がその後、酔っ払ってベットにうずくまって寝てしまったことに気が付いた。すると流稀亜が声をかける。

「大丈夫?なんか顔色悪いけど…」

 呆然とする一心が口を開く。

「ルッキー今日は練習をサボってもいいですか?」

 一心がそんなことを話すのとほぼ同時に代表監督が笛を鳴らして練習の指示を出した。

「え、シャトルランからだって、行くよ!」

「…俺のシャトルは…不発弾…」

「え?何?シン!馬鹿なこと言ってないで、早くキャプテンなんだから先頭走ってよ!」

「…ファーイ…ティング…神木~」

 最初はそんな顔をしていた一心だったが練習が進むにつれ、代表の合宿を十分に楽しんでいた。久しぶりのバスケット、久しぶりの練習試合に胸を躍らせていた。

「中国代表…絶対に勝つ」

 一心他、流稀亜、マートンも同じ意気込みなのはそのプレーの激しさで伝わってきた。

ハーフコートのオフェンス確認しているスターティングメンバー。マートンが口を開く。

「おう!不発弾!ナイスパスじゃ!」

「それ、俺の名前じゃねえよ!」

「ボケ!デコ見てか言えや!」

「…覚えてろよ!ゲジ眉!」

 すると今度は流稀亜がボールコールする。

「シン!こっち!」

「OK!」

 一心は流稀亜に鋭い山なりのノールックパスを出す。

「ナイス!シャトルパス!」

「シャトルパス…ってルッキーまで…」

「へへっへ、ごめんごめん」

 中学遠征へ出発まであと3日…その賑やかな練習を行っていた日本の未来の3皇帝は中国の万里の長城の様にそびえたつ3つの壁の高さをその頃はまだ知る由もなかった…












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