第38話 助っ人

時刻は二時になっていた。

恐らく葉菜は眠っているだろう。

非常識な時間に電話をしたところで、文句の一つくらいは言ったとしても、葉菜は許してくれるに違いない。

でも、俺は葉菜のマンションに行くことにした。

それでもし、葉菜の部屋に明かりがいていたら、その時は自分の気持ちを真っ直ぐ伝えよう。

消えていたら……合鍵を使う? っていうのはナシだよなぁ。

まあその時はその時だ。


まだ雨が降っている。

俺は傘を持って玄関を出た。

「よぅ」

「……」

ドアの脇で、有希が座ってこちらを見上げていた。

まるで思いがけないところで出会えたみたいに、ふにゃーっと顔を緩ませる。

安心して力が抜けたようにも見える。

「どうした?」

「お店に行ったら、しゅんぺーが留守るすだったからー」

「店を俺の棲家すみかみたいに言うな」

「だってしゅんぺー、店長になってから、家よりコンビニにいる時間の方が長くない?」

……そうかも知れん。

亜希と有希は学校帰りに店に寄ることもあるから、深夜以外にも顔を合わすことが増えた。

「で、なんでそんなところに座ってるんだ?」

「お店でー、しゅんぺーの次によくいる人、えーっと、ようずみさん?」

「用済みかよ! 穂積だよ! お前ワザと言ってるだろ!」

「おりょ?」

「……まあいい。穂積がどうした?」

「コンビニは風邪薬置いてないってー」

「は? 言ってることが全く繋がって──おい有希! お前まさか!」

俺はしゃがんで有希のひたいに手を当てた。

……熱い。

「とにかく上がれ」

そう言い終えるよりも先に、俺は有希を抱きかかえていた。

心細くなるくらいに軽くて、何だか不安になる。

「しゅんぺー、お姫様だっこは予約してないわよ?」

「やかましい」

減らず口を叩く有希を布団ふとんに寝かせ、まだ靴を履いたままであることに気付いて慌てて脱がす。

「脱がしちゃらめぇ」

「やかましいわ!」

言ってることは普段通りだが、声は気怠けだるげで張りが無い。

こういうとき、まずは何をしたらいいんだろう?

子供の看病なんてしたことが無いし、ましてや女の子だ。

取り敢えず、体温計は……無かったはず

風邪薬はあるが、先に何か食べさせた方がいいだろうか。

「有希」

「……しゅんぺー、ごめんね」

「いや、それはいいけど、飯は食ったか?」

「……昨日から物欲が無いのー」

「誰が物欲の話をしてんだよ!」

「色欲も無いのー」

「性欲と言わず色欲と言うところが末恐ろしいなオイ!」

「……ごめんね」

目を閉じて、か細い声で言う。

眠ってしまいそうになりながら、ごめんねを言うときだけまぶたを持ち上げようとして、口調も大人びたものになる。

眠いなら眠らせて、その間に残り物のご飯と味噌汁で雑炊ぞうすいでも作ろう。

亜希へ連絡を入れるのは……取り敢えずはメッセージだけでいいだろう。

俺は冷蔵庫を開け、卵の賞味期限を確認しながらカレンダーに目をやった。

「あ……」

俺は何だか泣きそうになりながら有希を見た。

有希は寝息を立てていた。

幸い、それは穏やかなもので、寝顔も柔らかで満ち足りたような表情をしていた。

「バカだな……」

俺は有希の枕元に座り、その頭を撫でた。

明後日は亜希の受験日だった。

きっと有希は独断で、亜希に風邪をうつしちゃいけないと思って家を出てきたのだろう。

どんだけ気遣いの出来る小学生だよ。

風邪をひいたなら、ただ甘えればいいものを。

……でも、姉ちゃんに風邪をうつすわけにはいかないもんな。

それで、俺を頼ってくれたんだな。

そのくせ、俺の家の前まで来て、そこで遠慮しちゃったんだな。

どうせなら遠慮なんてせずに、我儘わがままと言っていいくらいに頼ってほしいところだけど……。

よし、俺はお前の期待に、期待以上に応えてみせるぞ!

そのためには助っを呼んで、万全の態勢でのぞもうではないか。

時刻は三時になろうとしていた。

雨も降り続いていたが、俺は躊躇ためらわずに電話をかけた。


有希はまだ眠っている。

雑炊の匂いが部屋に満ちる。

風邪薬に体温計、ミカンと甘酒、それに、サイズは合わないかも知れないが、女物の肌着などを持ってきてくれた助っ人は、台所に立って小さく鼻歌を歌っている。

寝ているところを起こされたのに機嫌がいいのかと思いきや、俺に背中を向けたまま、

「今度この部屋に入るときは、あなたに抱かれるときって決めてたのに」

などと恨みがましく言う。

「どういう経緯でその決断に至ったのか想像出来ねぇよ!」

返事は無いが、背中は笑っているみたいだ。

相変わらずだった。

しばらく会わなくても、その間、俺が彼女を作っていたとしても、すぐにそばにいるのが当たり前の空気に戻る。

「元カノに他の女の看病をさせる、あなたの思考回路の方が想像できないわ」

「いや、他の女って……」

「ああ、私が抱かれる筈の布団に他の女が!」

「やかましいわ!」

「……でも、本当にどうして?」

葉菜が、炬燵こたつに入っていた俺の向かいに座る。

「何が?」

「こんな時間に電話で叩き起こして、雨の降る暗い夜道を女一人で歩かせるだなんて」

「いや、ホントごめん」

「しかも替えの下着を持ってこいとか、着せ替えプレイでもするのかと思って、ついつい気合が入って勝負パンツを──」

「有希が寝込んでるって説明したよな!?」

「はっ! あなたまさか!?」

「な、なんだよ?」

「有希ちゃんに大人パンツを履かせて歪んだ性癖を満た──あいたっ!」

あ、思わず手を伸ばして葉菜の頭を叩いてしまった。

それは慣れ親しんだ当たり前の行為で、でもそれは、どこか喜びみたいなものを心に芽生えさせた。

「もう……」

いつも通り、軽く叩いただけだ。

痛くはない筈なのに、葉菜は頭をさすって唇をとがらせる。

……そんな仕草をされると、なんか照れ臭いぞ?

「ねえ」

心持ち上目遣いで、躊躇いがちな口調。

それでいて、どこか甘えを含んだ声。

「迷惑もかえりみず頼めるのは、彼女じゃなくて私なの?」

炬燵の中でも、同じことを尋ねるかのように葉菜のつま先が俺の足をつつく。

つんつん。

ノックするみたいなリズムで、優しくおねだりするみたいに催促さいそくしてくる。

俺はそれにうながされて答えた。

「……彼女とは、別れたんだ」

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