第34話 散歩

夜勤明けにペロの散歩に行く。

リードを持っているのは詩音で、俺はそのとなりを歩く。

ペロの毛はだいぶ生えそろってきて、春には店長補佐としてデビュー出来そうだ。

犬が苦手な人もいるから、店の入り口にいてもらうわけにはいかないが、すみっこの方にいても可愛がってくれる人はいるだろう。

そう言えば、葉菜はペロを散歩に連れて行きたいと言っていたけれど、一向に連絡は無い。

それどころか、毎日電話するとか言っていたのに、あの年明けの電話以降、音沙汰おとさた無しだ。

「しゅんくん、しゅんくん」

「ん?」

「仮とはいえ、彼女の前で浮かない顔はダメだぞ?」

そっか。

俺は浮かない顔をしていたんだな。

「すまん」

「なんのなんの、人生、山あり谷あり」

祖母ばあちゃん子だなぁ。

「でもまあ、作戦通りかな」

「作戦?」

「あっしと付き合って、彼女さんの存在の大きさに気付かせる作戦」

「彼女はお前だろうが」

詩音の頭を軽く叩く。

詩音は、葉菜と顔を合わせたときに見せたような、なんとも言えない不思議な笑顔を浮かべた。

満ち足りているのに寂しい、そんな、相反するものを同居させた笑顔だ。

「そもそもお前は、彼女になりたいのかキューピッドになりたいのか」

詩音の言動を見ていれば、そんなことを聞いてみたくなる。

「しゅんくんのことは好きだけど、彼女さんのファンでもあるので」

「ファン? 一度会っただけで?」

「何て言えばいいかなぁ。自分の好きなものに対して、より深い造詣ぞうけいと愛情を持っている人を見たときの気持ち?」

詩音はその場にしゃがんで、ペロに向かって、「ね?」と言うように微笑む。

「ほら、オタクの人とかでもあるんじゃん? 自分がのめり込んでいる対象に、もっと時間と労力と愛を注ぎ込んでいて、舌を巻くほどの知識を持っている人に対するリスペクトみたいな」

「判る気はするが、葉菜は俺の専門家か何かなのか?」

いや、専門家かも知れないけど。

俺の身体の隅々まで知っていて、ホクロの位置すら把握はあくしている可能性だってある。

趣味嗜好はバレバレだし、子供の頃の失敗談から武勇伝まで、俺の昔話を語らせたら何時間でも話すだろうし、何度か俺自身が自覚してない発熱を指摘され、強引に学校から帰らされたこともある。

ヤバい。

アイツ、変態だ。

……でも、どこまでも知っていてくれてる安心感。

「ねえ、しゅんくん」

「ん?」

「そのマフラー、あのときのマフラーじゃないよね」

「あのとき?」

ペロが先導するように歩いて、いつもの公園に入る。

擦れ違うお年寄りに、詩音は積極的に挨拶あいさつをして、気候の話をしたりする。

あっという間に公園の常連さんみたいになって、最近常連になったばかりの俺より馴染んでいる。

お祖母ちゃん子だなぁ。

「まだ寒いけれど、木々の芽が少しふくらんできたね」

詩音が頭上を見上げて言う。

張り出した枝の一つ一つに赤みを帯びた新芽が付いていた。

ジャンプする前に身をかがめるように、寒さに身を屈めて芽吹きの瞬間を待ちびているみたいだ。

「ね、あっしの胸も春になったら──」

「季節は関係無いぞ」

「むぅ」

ちょっとねたように、胸じゃなくてほおを膨らませてから、しゃーないか、という感じに笑う。

それこそ芽がほころぶようで、詩音は春みたいだなと思う。

「あ、ほら、あんな感じ」

詩音の視線を追うと、手を繋いで歩く老夫婦がいた。

寄り添って、おぎなって、支え合う。

分かち合って、笑い合って、共に生きる。

ああ、あんな風に年老いていけたらいいのにと、がれるような気持があふれてくる。

ずっと手を繋いでいくことは、難しいことなのだろうか。

「ねえしゅんくん」

「ん?」

「longingって単語あるでしょ?」

俺はあまり、英語が得意では無いけれど……。

「……憧憬しょうけい? 切望とかだっけ?」

「うん。長いって言葉から、切望に繋がるのは判りみが深いよね」

ペロが詩音の足元に擦り寄る。

人と触れ合うことに、もう「いいの?」なんて躊躇ためらいは無い。

寄り添いたい気持ちを、素直に表してくれるようになった。

「彼女さんがペロを乾かすためにドライヤーを持ってきてくれたとき、紙袋の中にマフラー入ってたよね?」

ペロの頭を撫でながら、詩音は柔らかな声で言った。

「あれって、手編みだよね」

確かにまだ編み目も不揃いだったし、いかにも手編みらしいつたなさだったが、一目でそれを見抜いたんだな。

「初めて挑戦したみたいだから、アイツは次には完璧に仕上げてくるよ。そういうヤツなんだ」

次なんてあるはずないのに、何で俺は葉菜を擁護ようごするような口調で言うのだろう。

いや、でもそれは当然のことだ。

アイツが今までどれだけの努力をしてきたか、俺がいちばん知っているんだ。

「判るよ」

「え?」

「もの凄い愛情と努力の結晶だなって。なのにあっしがいたから、渡さなかったんだなって」

詩音……。

「ペロに、遠慮は無くなったよね」

「あ、ああ」

「遠慮なんてしてほしく無いよね?」

「……うん」

「だったらしゅんくんは、ペロを見習うように!」

そう言って詩音は、スキップをするような動きで俺に背中を向けた。

……お前は、自分のことを棚に上げて、俺のことを鼓舞こぶするんだな。

詩音こそ、遠慮を見せまいとして背中をはずませているくせに、お前は俺をしかるんだな。

そうやってお前は、振り返って満面の笑みを浮かべるのだ。

まるで、一足早く春が来たみたいに。

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